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覚書

  

小説 「O嬢の物語」

2004-08-27 | 小説
O嬢の物語の存在を最初に知ったのは某ビデオショップでAVコーナーの側で見かけた時である。
単なるポルノ作品かとも思ったのだが、結論から言うとこれは間違っている。
(因みに、調べたところ原作の形を留めているのは1975年にジュスト・ジャカン氏が監督をつとめたもののみのようである。機会があったら一度見てみようとは思っている)

内容を端的にかくと、Oという一人の女が恋人のルネに連れられてロワッシーという所に連れて行かれる。
そこで彼女は彼の所有物になるべく男たちに蹂躙され陵辱を加えられてゆく。そして彼女はますます美しく、慎ましやかになる。
その後彼女はステファン卿に渡され、さらに「奴隷」としての美しさを手に入れていく。最後にはもはや、彼女以上に素晴らしく、美しい奴隷はおらず、誰も彼女にはなりえないのである。

矢張りいかがわしいポルノではないか、と思われる方もいるだろうが、断じてそうではないと私は言い切る。
何故ならこの本には性交に関する描写が極めて乏しい。ただ淡々と、その行為の結果とOの思った事のみが語られる。
また、Oは「恋人のため」という言い訳で鞭打たれたり烙印を捺されたのではない。彼女はルネやステファン卿の所有物になることを望み、そのためにこの奉仕が必要であると悟り、そしてそれに深い喜びを感じ取っていた。
その理由は彼女がマゾだからという理由ではない。彼女は女、ひいては美しいものを所有する喜びと、所有される喜びの両方を知っていたのだ。
この事からも、最終章で彼女がステファン卿に捨てられ自殺するという最期を私は支持したい。美しくない奴隷は必要ない。たとえ彼女がいかなる地位や価値を社会的に持っていたとしても、主に捨てられればそれらはなんの意味もない。

こう書くと、女が犯されることや奴隷となることをきみは認めるのかと筋違いなことを言い出す莫迦者がいると大変迷惑なので、すべての「O嬢の物語」愛読者の名誉のために言っておく。

これは完全なファンタジーである。ノンフィクション、ましてや妄想などではありえない。
これは神の世界である。人間の脳内のみで生きられる世界であり、形を成して人の世界にでることはまずありえない。
確かにOの心理は異常なのかもしれないが、私は彼女と容易にシンクロ出来る。女としての男への万人共通の感覚、そういっても差し支えないものがこのOの態度の根底にある。
それは本能と理性、同時に働きかける類の物だから下品どころか寧ろ崇高である。



ところで、この本にある前書(ジャン・ポーラン氏著)のために一つの誤解が世に生じたようである。
というのはこの作品の著者である、ポーリーヌ・レアージュのことである。
彼女は偽名でこの作品を発表し、内容から様々な憶測が飛び交った。そして、後書(澁澤龍彦氏著)にも述べられているように、これがジャン・ポーラン本人の作品であるという推測が主流になっていたそうだ。これを未だに信じている方もいるのではないだろうか?
というのは、実は最近になって真の作者が既に真実を語ったからである。
真の作者の名はドミニク オーリ(Dominique Aury)女史。1994年「The New Yorker」誌のインタビューに答え、自らが 「O嬢の物語」の作者であることを認めたという。
彼女はジャン・ポーランを一方的に愛していたのだが、ジャン ポーラン氏より、「君にはエロティックな物語は書けまい」と言い放たれたことに対し、「O嬢の物語」で応えたのであった。
オーリ女史は「O嬢の物語」は、ジャン ポーランに対する「ラブ レター」であったと語っていた。