VOICE - NAKAJIMA MASAKI - BLOG

◆ 中島マサキ オフィシャルブログ ◆ SINGER x VOCAL TRAINER

story...2

2010-02-28 | ★Diary...
さて、
まずは「自分が歌うこと」の歴史ですが、
一番昔の記憶で鮮明に覚えているのが、
3歳か4歳の頃です。これはどこかのページにも書いたし、
ワンマンライヴの時にも言ったような気がするが、
いしだあゆみという人が歌っていた『ブルーライトヨコハマ』
という歌を毎日狂ったように歌ってた記憶があります。
単にその曲が流行っていたのか、たまたまテレビやラジオで
流れてきて覚えたのか、とにかくなんでその歌を覚えたのかは
ハッキリわからないんですが、童謡やテレビ漫画の主題歌などでは
なく、僕のルーツは「ブルーライトヨコハマ」ということに
なります。(笑)
何故だかその時すでにぼんやりとですが、いつかステージにて
この歌をうたっている姿みたいなものも浮かんでました。
だから、一昨年に初のワンマンライヴをすることができたのですが、
その時にその「ブルーライト・・・・」だけは外せませんでした。(笑)
ま、小さいですが夢が叶った瞬間みたいなもんでしょうか。
その狂ったように歌ってた頃はそれを「夢」とも思っていなかった
のですが・・・。

その狂ったようにブルーライト・・・を歌っていたとき、
単に歌うというより、自分では無意識に『練習』してるつもり
だったように思います。
『あ、いまのとこ、音が違う』とか『あ!また間違った!』とか、
小さい子供ながらちょっとわかってたように思うし、
「ちゃんと歌わねばならない、間違ってはいけない」
と心中や脳みそで思っていたように思う。
だからか、同じフレーズを何度も何度も歌い直したり、
狂ったように・・・という表現が出てくるのも
そのせいかもしれません。
ただ、その歌っているという行為のとき、3、4歳くらいのときにも
かかわらず、一人ぼっちだった気がするのです。
とにかくそのころを思い浮かべると「一人」だったんです。
歌のときは。
親の前で真剣に歌うという場面が全然出てこないので、
なんか不思議です。。。

当時僕は両親と中本(大阪)というところに住んでいて、
今思えば小汚ない一間しかないアパートだった。
トイレも共同だったし、
もちろん風呂なんてない。テレビも白黒。ま、時代ですな。(笑)
昭和42年頃です。
近所には他人の子でもしっかり叱る「こわいおっちゃん」とかが
いた、ある意味良き時代だったのかもしれません。

全体的に自分の周辺は貧しかったように思う。
だいたいその頃のことを思い浮かべると、全部セピア色ですわ。
絶対、カラーでは浮かんでこない。(笑)
その頃父が何で生計を立てていたのかも知らないし、
僕が3歳ならば、すでに妹が生まれて1歳くらいになってた
はずですが、その記憶もあんまりない。
(その後バタバタと子供が生まれ結局は5人兄弟になる。。。)

そのころ住んでいたそのアパートの近くには神社があり、
小学校があり、幼稚園があった。
その頃の僕の遊び場としてはその3ヶ所となる。
歌を歌うときや歌いたいときは、その神社や、幼稚園の
門の前に行って、年上のお兄ちゃんお姉ちゃんが
遊んだりしているのを眺めながら、
ブツブツ歌ってたように思います。(でも自分の中では真剣に・・・)
親に、歌ってごらんとか言われるようになったのは
そのずっと後のことです。
別に歌ったら怒られるとか歌うなと言われたわけでもないのに、
とにかくとにかくその頃は「歌っているときは一人」という感じでした。
かすかにですが、
歌っているときは気持ちがいいという気もしていたし、
たぶんその頃すでに、歌が大好きになっていたんだと思います。



(ブルーライト・・の頃の僕(笑) 両親と...近所の神社にて)



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