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アンコール・ワット

2014年06月17日 | word
 Angkor Vat: カンボジアに栄えたアンコール朝(9~15世紀)の首都に建てられた、クメール族による代表的な建造物。シエムリアップ市の北約5㎞にある。砂岩のブロックを積み上げて建てられた巨大な聖殿で、その全景のシルエットが美しいため、クメール建築の最高傑作としてたたえられている。12世紀前半にスールヤバルマン2世によって造営されたヒンドゥー教(ビシュヌ派)の霊廟寺院である。すなわちこの寺院はスールヤバルマン2世の死後、葬儀を行う所として建設され、王は死後の幸福を願って、ビシュヌ神に帰依している。この寺院の中央塔堂には、そのビシュヌ神を本尊とする石像がまつられてあったはずと思われるが、現在ではそれが消失してしまっている。王の死後、王の霊をまつる霊廟として、後世に残された。
 寺院は、一番外側が幅190mの水濠によって囲まれている。その南北の長さは1300m、東西は1500mある。その水濠の内側に沿って回廊が設けられ、入口のある西側から入って参道を東へ進むと、第一回廊(南北180m、東西200m)が現れる。さらにその内側に第二回廊(南北100m、東西115m)が設けられている。第二回廊の内側は、高い基壇からなるアンコール・ワットの中心部にあたり、その基壇上に第三回廊の内側中央に、ビシュヌ神像を安置していた中央塔堂(地上高65m)がそびえたつ。したがってこの中央塔堂を囲んで、方形の回廊が全体で四重ということになる。これらの回廊の特徴は、その入口、もしくは回廊の四隅に、中央塔堂と同じ形のクメール式塔堂(プラサートと呼ばれる五階層の塔堂)が建てられていることである。
 アンコール・ワット芸術の第一の重要性は、第一回廊の内壁に表された<物語浮彫>の存在である。これはクメール族が世界に誇りうる最も偉大な文化遺産といえる。この第一回廊は内側の壁面が閉ざされ、その大壁面が余白を残すことなく、薄肉の浮彫で彫りつくされている。この回廊は1周760mあり、巡礼者はそこに見る浮彫の絵巻物を通じて、人生の教訓を身につけていく。まず西面の南側は、古代インドの叙事詩<マハーバーラタ>からの場面で、王の肖像と彼の軍隊の行進の姿で占められる。次に南面の東側はきわめて教訓的な場面で、ヤマ神(夜摩天)によって裁かれる人間の天国と地獄の世界がまざまざと表されている。壁面の上段には善行によって導かれる平和な人間世界が、またその下段には悪行によって地獄におち、裁きを受け、責苦にあう悲惨な人間たちの姿が見られる。この裁判官たるヤマ神は18本の手を持ち、牡牛に乗る姿で表されている。東面の南側は、この回廊浮彫のうち最もみごとな作品で、有名なヒンドゥー教神話の<乳海攪拌>の場面である。これはヒンドゥー教の天地創造神話で、ビシュヌ神の化身である亀クールマの背の上にマンダラ山を乗せ、その山に大蛇バースキをまきつけ、その蛇の胴体をデーバ(神)とアスラ(阿修羅)によって左右に引かせている。このようにして大洋がかき混ぜられ、ついに繁栄の女神でビシュヌ神の妻であるラクシュミーが誕生する。次に東面の北側には、ビシュヌ神とアスラとの戦いの図があり、中央に霊鳥ガルダに乗ったビシュヌ神が堂々と表されている。そして、北面の東側には、<マハーバーラタ>の付録<ハリ・バンシャ>物語からとった、ビシュヌ神の化身クリシュナと怪物バーナとの戦いの図がある。さらに北面の西側には、先の乳海攪拌によって得た不老不死の妙薬をめぐっての、ヒンドゥー教の神々とアスラとの戦いが表されている。そして西面の北側に至って、古代インドの叙事詩<ラーマーヤナ>からとった、その主人公ラーマ王子の率いる軍隊と悪魔ラーバナ軍との戦いの場面が展開する。王子を助けた猿ハヌマーンたちがダイナミックに描写されている。
 また、アンコール・ワットの回廊等の壁面には、高さ1m前後の女神が高浮彫で彫られている。彼女らは<アプサラス(舞女)>もしくは<デーバ(女神)>とみなされ、すなわち本尊に対する霊をなぐさめる供養女たちで、1700体以上数えられている。さらに、聖殿内にはかつて1632年(寛永9年)にここを訪れた日本人の森本右近太夫の墨筆の跡があったが、1970年代の戦乱中に、惜しくも損傷した。