たらったら♪生活

10年前の子宮頸がん2b放射線単独療法経験日記

悲しい知らせ

2006-12-19 | もう1つのがん(病気)日記

去年までは、がん友とお茶や食事をしながら、
1年間の経過の近況報告を同じ境遇同士という
ことで盛り上がる季節なのだが、今年は行か
ないので手紙だけのやりとりで終わった。

私は去年といい今年といい
身内のがん、死別が続いて
愉快な話が全く無くて、がん友に
悪いなーと思っていた。
せめて、がん友は何も無い1年であって
欲しかった。

私が愛猫と別れ、母のがんデビューや知人の死に
遭遇していた時、がん友も愛犬を亡くし、
また彼女の、末期のがん友の最期に
ずっと、つき合って見送っていたそうだ。

私のがん友に紹介されて一度だけ合った
その人はその時、既に多臓器への転移を
抱えていた。去年の今頃、がん友から
聞いた話では元気にしてるとのことで
安心していた。

今年の夏「入退院を繰り返して輸血も
受けてる」と聞き、状態は徐々に
悪くなっていってると知った。
それでも温泉へ行ったり食事をしたり
よく話すと聞いていた。

次第に弱ってくる友達にどう声をかけて
いいか悩んでいた彼女に私もまたどう
言ってあげればいいのか、わからず結局
ただ聞いているだけだった。

同じがんで病院で知り合って
相手は深刻な状況で、こちらは初発治療を
終えたばかりで大変さが違うから
すべてを理解するなんて到底、出来ないけど
それでも他人事や無関係だなんて思っていない。

何も出来ないけど、その辛さや寂しさを
少しでも受け止めたい気持ちがある。

元気でいて欲しいと思う気持ちと
苦しまないようにと思う気持ちと
居た堪れなさと、受け止めなくてはと思う。
当然何も出来ない。でも見届けなくては。

死は誰にでもやって来る。それには逆らえない。
多分、死んだら「大丈夫」なんだと思う。
心配することはないんだという気がしている。
苦痛・苦悩からぱあっと解放されるはず。

でも、お別れはそんな理解とは別に単純に悲しい。
胸は苦しいし虚しさでいっぱい。
でもまだここにいる者の務めとして見据えなくては。

がん友はさらにもう一人、見送っていた。
これで同じ病室の人、皆、逝ってしまったそうだ。
残される者も本当に辛い。がん友は相当まいって
いる様子でいつもの元気が無い。

今年、最後の最後まで別れが続くことになるとは。
私は「あーあ、つまんないなー」そう言って
はあーっと、大きく深い溜め息をつくくらいしか
虚しくやり切れない気持ちのやり場が無い。


































2 コメント

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気持ち、よくわかります。 (taku)
2006-12-20 23:56:21
私には、がん友はいないのですが(しいて言えば、fuupuさんかな?)同室の方は、進行した卵巣がんのため、あまり近寄れませんでした。がんに勝てなかった人の分も私達でうんとがんばりましょう。今年感じたことは、若い子の自殺、がん患者の私には、命を粗末にしてもったい。もうひとつ、母親の我子への虐待、これも、子宮を失った私からみたら複雑な心境です。あーダメですね、暗くなって、次回は何か明るい話題をお願いします。
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それでも笑顔で (fuupu)
2006-12-21 22:49:50
takuさんにがん友と言って頂けて嬉しい限りです

生きたいと願う人が生きられないのは辛いですね。
虐待は親自身が子供の頃、虐待を受けていたケースが多い
ようです。困った問題ですね。

がんで亡くなることは負けじゃないよ。きちんと終えた人達。
見送る私達も「お疲れ様でした」と言いたい。
苦痛から解放されて安らかなはずだもの。

再三、明るい話題リクエストされてますが...
それがなかなかねぇ(笑)あと1回は追悼の話があるので
どうか許して下さい。
楽しい話題、探しているんですがねぇ..
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