長浜あざいあっぱれ祭り。
ある人がリンクしてたページへ飛んだら、総踊りの仕切り中に目の前に来て、あ!って顔をしたと思ったら人の手を思いっきり叩き、お前むかつくねん!と一言残して去っていった男(笑)がこんな事を書いていました。
以下、引用。
本来ダンスの評価、審査は「1、テクニック(スキル)2、ビジュアル 3、パッション」の3つの大きな観点で評価されるものである。(これは多少の違いはあれ、どのダンスの評価でも同じである)
しかし現状の「YOSAKOI」「よさこい」系の祭りの評価はどのようになっているのだろうか。
私が見る限り2、ビジュアル(「笑顔」と「衣装」と「構成」、「小物使い」)が評価の大部分を占めているような気がする。(私も何度も祭りの審査をするがその時の他の審査員の点数を見る限り大差なくそのような点数である。)
踊りの評価で一番大切な1、テクニック(ダンススキル)3、パッション(熱情・思い・感情表現)の評価がほとんどないがしろにされているのが現状である。
ましてやよさこい系の祭りの審査員のほとんどがダンスに関して「素人」が行っているからなおさらである。
それに反していわゆるニューダンス系の大会を見るとどうだろうか?
まず人数は多くて10人程度で競われる、審査員が踊り手に近いところで見る、小道具使いはほとんど意味をなさない、という状況の中で評価されるのが
1、テクニック(純粋にテクニック)2、ビジュアル(表情・・・※「笑顔」でなく表情である。本来踊りの表情はその曲やその曲の場面にあわせて「喜」「怒」「哀」「楽」が表現されなければならない)3、パッション(伝わってくる熱情)
の3点である。
もちろんこの観点で言っても点数のつかない表現部門の審査は人によって差異は出てくるものだが・・・
よさこい系の祭り審査の現状は
1、テクニック(審査員が遠くて見えない。人数が多いからテクニックはごまかせる。衣装・・・特に「そで」付き衣装で手のばらつきはごまかせる)
2、ビジュアル(「笑顔」とにかく作ってでもいいから「笑顔」。他の表情はいらない。その最たるものがYOSAKOIソーラン祭りである。あとは構成。そして小物使い、大道具使い・・・傘やら扇子やら太鼓やら笛やらほんとにあきれるほと色々な物を使っている)
3、パッション(ほとんど関係なし)
である。
あ、同じやな~ええ事書いてるやんと誤字を訂正したから上から目線(笑)
かつて同じメシを食べてた頃(笑)こんな事を言ってたことがある。
本人は呑んでたから覚えているかは分からんが(爆)
カメラマンは大切にしーや。いつも一番観てくれてはるんやから。
自分の目で観てる観客は全体はよく見えている。
ところがカメラマンは望遠レンズと言う武器を備えている。
カメラのファインダーの中で踊り子一人一人のそれこそ産毛の一本まで見えている。
裸眼では決して見えない息遣いまで撮れるかは別にして見ている。
どまつりには今年のYOSAKOIソーラン祭りで大賞を獲った平岸天神と準大賞の夢想漣えさしがやって来た。
それを最前列で見ていると、改めて2チームの凄味を知ることになった。
これらは決して離れた審査員席からは見えないだろうと思うぐらいに。
指先まで神経が届いてあるであろう技術が、素人にも見て取れた。
さて今回の長浜あざいあっぱれ祭り。
あっぱれ大賞 舞宇夢赤鬼
あっぱれ準大賞 AZAIまんてん
...
優秀賞3位 天舞賤ヶ岳
優秀賞4位 ピンクチャイルド
優秀賞5位 関西京都今村組西部連合「龍」
個人的に仲の良いチームもあり、なかなか言うには勇気が要るんだけれど、赤鬼の人はまさか大賞と言ってました。
前回見たソーラン日本海百万石大会から主力メンバーが欠けているという事もあり、あれ以上の力は感じられなかった。
昨年が3回流れた結果で出てくれたチームの上位2チームを2位、3位に入れたのかなと思うけれど、ファイナルに出たチームの中では光ってたなと思う。
赤鬼を凌ぐ贔屓のチームがピンクチャイルド。
和歌山ではまだ凄味の片鱗しか見えてなかったんだけど、今回のファイナルステージは身震いした。
自分の中では大賞かな、やはり。まさに踊り一本。今では何処のチームでも使ってるであろう大旗も使いませんから。
よさこい撮影も毎週のように行ってると、刺激に慣れてしまってくる訳で。
そんな時、原点回帰とピンチャを見に行くと、うんうんやっぱりこうだよねって。
ダンスチームですから、ダンスコンテストでプロダンサーの批評を年に何回も聞いてるわけですし、踊りに妥協は皆無です。
一人一人がどう踊るべきか、自分が何をすべきか、どの子を見ても分かってる。
今村組はパレードから見てました。批判的に見れるだろうから(笑)
カメラを構えて観るって観てるようで見ていない所もあるので、生の目でジッとね。
踊ってる子達はいい踊りしてるんだよね。
以前はそんな些細な事を増幅して何で問題にしてるんだろうって思ってた。
が、子供の時分って感情表現が未熟な分、表現方法に乏しいわけです。
踊りを通して早熟を求めるっていうかね、色々な事案を考えさせることに拠って、大人になる事を求めるのが今村組なんですよね。
一人一人の問題意識のレベルを上げる為に、あえて怒ってるみたいな。
多くの人間が居れば、必ずレールから外れてくる人間が出てくる。
これらをフォローするのは大人であるべきでしょう。ところが今現在の日本の教育って、大人になる事を求めてはいない。
ただ安い給料で文句を言わずに働く人間が欲しいだけなんですよね。
その供給源として学校教育を行っているというかね。いい大学入っていい会社入って、高い給料を貰って良い生活。
受験戦争って事は級友同士のいわゆる殺し合い。当然イジメは起こる。
級友の戦力を奪うと必然と自分のポジションが上に上がるわけですから。
人と人の繋がりを散々切り刻んで胡坐をかいてる連中が今こそ絆が!とか日本人がとか言うと、バカ言えと思う。
経済効率を最優先にと教育されてきた連中にとって一番困るマニュアルに無い物が何か起こっても、当然その処方箋を言える人間が皆無に等しい。
つまり大人がほとんど居ない。
だから切り捨てて不愉快な物を目の前から消すしかない。まさに清潔なファシズム。
不満のガス抜きに大手マスコミが流す不愉快な事件について、同じ事を言って溜飲を下げて満足。
あれ?何を言ってるんだろう(笑)
外から見るとヤンキー軍団(笑)かって思いますが、自分が付き合いがあった頃は拍子抜けするぐらい人懐っこい連中でしたね。
ただ全員不器用なんだ。割とシャイだし。
と、結局何を言いたいねんって事ですが(笑)
お祭りって事で、地元の活性化が主柱って事が念頭にあるかなと。
今回はコンテスト色よりもそちらを優先させたかなと。
と昨日にここまで書いて寝たんだけど、あの人、続編を書いてる(笑)
よっぽど期する所があったんだろうね。
http://ethankki.exblog.jp/d2012-09-03/
と、最後の祭りについてって部分。
正直、見直しましたね。お祭りの本質って何?って部分に言及したところ。
元来は豊穣への感謝とか祈りとかが原点にあるんですよね。
バカ騒ぎの延長線上にある物じゃない。
とはいえ、あの石原慎太郎ですら震災後には花見を自粛すべきと情緒的になったバカ発言をするぐらいですから、古来からの風習にどんな意味があるかなんて知らないのは当然かなとも。
花見って何でするか。親しい人と酒を酌み交わすことによって、生きていると確かめ合う行為なんですよ。
更に、死者と酒を酌み交わして、故人を偲ぶって事なんですよね。
最近日本海側のお祭りに行って心に沁みると感じるのは、冬場は雪に阻まれて太平洋側に比べれば生活が楽ではなかったことが下地にあるのではないかと。
自然の猛威に対して人間は無力です。それこそ祈るしかない。
そう感じるのは、自分自身の出身が石川であるって事もあるんでしょうけど、現代科学では説明出来ないものがDNAに組み込まれているんでしょうが。
YOSAKOIイッチョライにしても、フェニックス祭り自体が、昭和20年の福井大空襲・昭和23年の福井大地震・昭和23年の福井大水害からの復興を掲げて立ち上がったお祭りです。
だから必然と祈りとか、神話を題材にしたストーリー性のある踊り、鎮魂がテーマだったりしているんですよね。
経済的に裕福な大都市圏では日々の生活に困るなんて事が少ないでしょうから、最近特にただただ軽さを感じるのはここなのかなと。
尤も、政(まつりごと)って意味の祭りはあるんですけどね、日々の糧を得る為の祭りではない。
とはいえ古都である奈良や京都は神事があるから、それらが薄れつつも祭りの本質を見失っていない部分もあるとは思いますけど。
ここ最近ずっと感じていた違和感っていうのが、あの人(笑)の文章がきっかけになって、やっと言葉になって実体化した気がします。
文体見たら継ぎ足し書いたんがバレバレ(苦笑)
しかし文章下手やわ(爆)
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ある人がリンクしてたページへ飛んだら、総踊りの仕切り中に目の前に来て、あ!って顔をしたと思ったら人の手を思いっきり叩き、お前むかつくねん!と一言残して去っていった男(笑)がこんな事を書いていました。
以下、引用。
本来ダンスの評価、審査は「1、テクニック(スキル)2、ビジュアル 3、パッション」の3つの大きな観点で評価されるものである。(これは多少の違いはあれ、どのダンスの評価でも同じである)
しかし現状の「YOSAKOI」「よさこい」系の祭りの評価はどのようになっているのだろうか。
私が見る限り2、ビジュアル(「笑顔」と「衣装」と「構成」、「小物使い」)が評価の大部分を占めているような気がする。(私も何度も祭りの審査をするがその時の他の審査員の点数を見る限り大差なくそのような点数である。)
踊りの評価で一番大切な1、テクニック(ダンススキル)3、パッション(熱情・思い・感情表現)の評価がほとんどないがしろにされているのが現状である。
ましてやよさこい系の祭りの審査員のほとんどがダンスに関して「素人」が行っているからなおさらである。
それに反していわゆるニューダンス系の大会を見るとどうだろうか?
まず人数は多くて10人程度で競われる、審査員が踊り手に近いところで見る、小道具使いはほとんど意味をなさない、という状況の中で評価されるのが
1、テクニック(純粋にテクニック)2、ビジュアル(表情・・・※「笑顔」でなく表情である。本来踊りの表情はその曲やその曲の場面にあわせて「喜」「怒」「哀」「楽」が表現されなければならない)3、パッション(伝わってくる熱情)
の3点である。
もちろんこの観点で言っても点数のつかない表現部門の審査は人によって差異は出てくるものだが・・・
よさこい系の祭り審査の現状は
1、テクニック(審査員が遠くて見えない。人数が多いからテクニックはごまかせる。衣装・・・特に「そで」付き衣装で手のばらつきはごまかせる)
2、ビジュアル(「笑顔」とにかく作ってでもいいから「笑顔」。他の表情はいらない。その最たるものがYOSAKOIソーラン祭りである。あとは構成。そして小物使い、大道具使い・・・傘やら扇子やら太鼓やら笛やらほんとにあきれるほと色々な物を使っている)
3、パッション(ほとんど関係なし)
である。
あ、同じやな~ええ事書いてるやんと誤字を訂正したから上から目線(笑)
かつて同じメシを食べてた頃(笑)こんな事を言ってたことがある。
本人は呑んでたから覚えているかは分からんが(爆)
カメラマンは大切にしーや。いつも一番観てくれてはるんやから。
自分の目で観てる観客は全体はよく見えている。
ところがカメラマンは望遠レンズと言う武器を備えている。
カメラのファインダーの中で踊り子一人一人のそれこそ産毛の一本まで見えている。
裸眼では決して見えない息遣いまで撮れるかは別にして見ている。
どまつりには今年のYOSAKOIソーラン祭りで大賞を獲った平岸天神と準大賞の夢想漣えさしがやって来た。
それを最前列で見ていると、改めて2チームの凄味を知ることになった。
これらは決して離れた審査員席からは見えないだろうと思うぐらいに。
指先まで神経が届いてあるであろう技術が、素人にも見て取れた。
さて今回の長浜あざいあっぱれ祭り。
あっぱれ大賞 舞宇夢赤鬼
あっぱれ準大賞 AZAIまんてん
...
優秀賞3位 天舞賤ヶ岳
優秀賞4位 ピンクチャイルド
優秀賞5位 関西京都今村組西部連合「龍」
個人的に仲の良いチームもあり、なかなか言うには勇気が要るんだけれど、赤鬼の人はまさか大賞と言ってました。
前回見たソーラン日本海百万石大会から主力メンバーが欠けているという事もあり、あれ以上の力は感じられなかった。
昨年が3回流れた結果で出てくれたチームの上位2チームを2位、3位に入れたのかなと思うけれど、ファイナルに出たチームの中では光ってたなと思う。
赤鬼を凌ぐ贔屓のチームがピンクチャイルド。
和歌山ではまだ凄味の片鱗しか見えてなかったんだけど、今回のファイナルステージは身震いした。
自分の中では大賞かな、やはり。まさに踊り一本。今では何処のチームでも使ってるであろう大旗も使いませんから。
よさこい撮影も毎週のように行ってると、刺激に慣れてしまってくる訳で。
そんな時、原点回帰とピンチャを見に行くと、うんうんやっぱりこうだよねって。
ダンスチームですから、ダンスコンテストでプロダンサーの批評を年に何回も聞いてるわけですし、踊りに妥協は皆無です。
一人一人がどう踊るべきか、自分が何をすべきか、どの子を見ても分かってる。
今村組はパレードから見てました。批判的に見れるだろうから(笑)
カメラを構えて観るって観てるようで見ていない所もあるので、生の目でジッとね。
踊ってる子達はいい踊りしてるんだよね。
以前はそんな些細な事を増幅して何で問題にしてるんだろうって思ってた。
が、子供の時分って感情表現が未熟な分、表現方法に乏しいわけです。
踊りを通して早熟を求めるっていうかね、色々な事案を考えさせることに拠って、大人になる事を求めるのが今村組なんですよね。
一人一人の問題意識のレベルを上げる為に、あえて怒ってるみたいな。
多くの人間が居れば、必ずレールから外れてくる人間が出てくる。
これらをフォローするのは大人であるべきでしょう。ところが今現在の日本の教育って、大人になる事を求めてはいない。
ただ安い給料で文句を言わずに働く人間が欲しいだけなんですよね。
その供給源として学校教育を行っているというかね。いい大学入っていい会社入って、高い給料を貰って良い生活。
受験戦争って事は級友同士のいわゆる殺し合い。当然イジメは起こる。
級友の戦力を奪うと必然と自分のポジションが上に上がるわけですから。
人と人の繋がりを散々切り刻んで胡坐をかいてる連中が今こそ絆が!とか日本人がとか言うと、バカ言えと思う。
経済効率を最優先にと教育されてきた連中にとって一番困るマニュアルに無い物が何か起こっても、当然その処方箋を言える人間が皆無に等しい。
つまり大人がほとんど居ない。
だから切り捨てて不愉快な物を目の前から消すしかない。まさに清潔なファシズム。
不満のガス抜きに大手マスコミが流す不愉快な事件について、同じ事を言って溜飲を下げて満足。
あれ?何を言ってるんだろう(笑)
外から見るとヤンキー軍団(笑)かって思いますが、自分が付き合いがあった頃は拍子抜けするぐらい人懐っこい連中でしたね。
ただ全員不器用なんだ。割とシャイだし。
と、結局何を言いたいねんって事ですが(笑)
お祭りって事で、地元の活性化が主柱って事が念頭にあるかなと。
今回はコンテスト色よりもそちらを優先させたかなと。
と昨日にここまで書いて寝たんだけど、あの人、続編を書いてる(笑)
よっぽど期する所があったんだろうね。
http://ethankki.exblog.jp/d2012-09-03/
と、最後の祭りについてって部分。
正直、見直しましたね。お祭りの本質って何?って部分に言及したところ。
元来は豊穣への感謝とか祈りとかが原点にあるんですよね。
バカ騒ぎの延長線上にある物じゃない。
とはいえ、あの石原慎太郎ですら震災後には花見を自粛すべきと情緒的になったバカ発言をするぐらいですから、古来からの風習にどんな意味があるかなんて知らないのは当然かなとも。
花見って何でするか。親しい人と酒を酌み交わすことによって、生きていると確かめ合う行為なんですよ。
更に、死者と酒を酌み交わして、故人を偲ぶって事なんですよね。
最近日本海側のお祭りに行って心に沁みると感じるのは、冬場は雪に阻まれて太平洋側に比べれば生活が楽ではなかったことが下地にあるのではないかと。
自然の猛威に対して人間は無力です。それこそ祈るしかない。
そう感じるのは、自分自身の出身が石川であるって事もあるんでしょうけど、現代科学では説明出来ないものがDNAに組み込まれているんでしょうが。
YOSAKOIイッチョライにしても、フェニックス祭り自体が、昭和20年の福井大空襲・昭和23年の福井大地震・昭和23年の福井大水害からの復興を掲げて立ち上がったお祭りです。
だから必然と祈りとか、神話を題材にしたストーリー性のある踊り、鎮魂がテーマだったりしているんですよね。
経済的に裕福な大都市圏では日々の生活に困るなんて事が少ないでしょうから、最近特にただただ軽さを感じるのはここなのかなと。
尤も、政(まつりごと)って意味の祭りはあるんですけどね、日々の糧を得る為の祭りではない。
とはいえ古都である奈良や京都は神事があるから、それらが薄れつつも祭りの本質を見失っていない部分もあるとは思いますけど。
ここ最近ずっと感じていた違和感っていうのが、あの人(笑)の文章がきっかけになって、やっと言葉になって実体化した気がします。
文体見たら継ぎ足し書いたんがバレバレ(苦笑)
しかし文章下手やわ(爆)
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