魚ちゃんのよさこいコーナー

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福井今村組北辰会 第65回福井フェニックスまつり

2018年10月26日 03時13分47秒 | 関西京都今村組
【第一部 西側エリア】★最優秀賞★































































































何時かは書かないとと思っていた。今まで何度か書いてきた事だけれども。
本当は琉球天道組の所で何か書こうと思っていた。
最近ある人と今村組の話になって、何となく分かる気はするが、実際何なのかがよく分からないと。
そして演舞中に今村克彦が煙草を吹かして見てる姿も。

一般的に言えば表層だけ見てれば恐らく理解は出来ない。最初から理解しよう思わねば見えてこないだろう。
上から目線であーだこーだと言うのは簡単。ましてや嫌悪感を示している人にとれば目にも入れたくないだろう。

今村組に集まる踊り子たちは各自特殊な事情を抱えている。
そしてその各自とも答えが簡単に見付からない個人ばかりだ。
一人として同じ人間は居ないのは常だが、レールに乗っている人間ではない。
この時点でハードルは想像を絶するほど高い。
甘えているの一言で解決できれば最初から今村組は存在していない。
今村組にやって来ても10人来て1人残るかどうか、今村克彦のこの言葉に偽りはない。

言葉だけで対話だけで解決出来れば、踊る必要はない。人間は言葉では示せないものを多く抱えている。
言葉で理解して貰えない事を踊りで表現する、自分が思うにこれが今村組の肝だろう。
紆余曲折、試行錯誤の日々に違いない。ただ今村克彦の対外的な表現が巧くないのかもしれない。
これがまず誤解を生む原因にもなる。しかしそれがどうであれ、一体何をどうしたいのか葛藤に終わりはないだろう。

今村組の中だけで完璧ならそれでいいじゃないか。
いやそれでは駄目なのだ。彼らは自分たちを見てもらいたい。そして考えてもらいたい。
だから各地のコンテストに出て時には認められ、時には跳ね返される。
踊りのスキルだけを見て欲しいんじゃない。彼ら個人個人の個性を見て欲しいのだ。
俺たち私たちはここに居るんだって事を。
認められれば分かってくれると安堵するが、認めてくれないと分かってくれないと吠える。
審査員にそれを求めるのは酷だと思いつつ、踊り子一人一人の顔を見ていると言わずにはいられない。
それで批判が自身に降り掛かってくるのは承知の上。その批判を跳ね返す事をエネルギーにする。

やり方はスマートではない。実に泥臭い。そこに人間味がある。
人間関係が希薄になったと言われる現代に於いて、稀有な存在かも知れない。
別に褒めている訳じゃない。一般的なチームと今村組の橋渡しをするわけでもない。
ふとこないだ他人に今村組の事を語って書こうかと思っただけだ。

今度一人煙草を吹かして目を細めて自チームの演舞を見てる時があれば一言言ってやろうと思っている。
また格好付けてるの?って(笑)


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