心に響く聖書の言葉

聖書のみことばの学びを日々つづっています。

勇気を出しなさい(ヨハネによる福音書 16:33)

2020-10-04 09:00:00 | 日記
🌷これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている🌷
ヨハネによる福音書 16:33 口語訳

励ましの言葉。
イエスさまにあって、私たちは真の平安を持つことができます。喜びと同じように、時には心を騒がせ、悲しみに苛まれることもありますが、イエスさまを見る時、困難な中にいても平安を持つことができます。

「わたしはすでに世に勝ったのです。」
イエスさまは既に勝利されている。

どうにもならない困難や恐れ、時には痛みや憎しみを受けます。しかしイエスがすでに勝利されていることを思い出してみます。

ヨハネは手紙の中で、こうありました。

「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(Ⅰヨハネ4:4)

イエスは十字架の上で、悪魔の力を砕かれました。

ヤコブはこう勧めています。

「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ 4:7)

心が悲しむ時、怒りに支配される時、私たちは悪いものに捕らわれてしまってるかのようです。しかし恐れることはないのです。

イエスにあって平安があること、またイエスは勝利されたことを思い出すと心強くなります。

悲しい時は、主の御前に静まって、祈ります。
主は必ず、その悲しみを喜びに変え、喜びに満ちあふれるようにしてくださるからです。


鹿のように (詩編 42:2‭-‬3)

2020-10-03 09:00:00 | 日記
🌷涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。🌷
詩編 42:2‭-‬3 新共同訳

ダビデがこの詩を書いたのは、おそらく息子が自分に反逆し、エルサレムの町を乗っ取っとられた時と考えられています。

ダビデは、エルサレムを離れヨルダン方面に行き、エルサレムで神の民とともに主を賛美し、礼拝した時のことを思い出しながら、今の霊の渇きを表現しています。

ダビデは、鹿が谷川の流れを慕いあえぐ様子をよく知っていました。

死海の周辺一帯は荒野で緑が全然ありません。

けれども、ところどころに、ぽつりぽつりと緑があります。それは、死海の西側にある山から死海へと、流れてくる川の辺りが緑になっているからです。そこに鹿を見ることができます。水や木陰を求めてやってくるのです。

その渇きは、ちょうどダビデが今感じている、神への魂の渇きと似ていたのです。

霊的な枯渇は、私も感じることがあります。
特に忙しすぎて祈る時間が無かったり、聖書を読む時間が無かったり。または、疲れてしまって日曜日の礼拝に出られなかった週など…

私もまた涸れた谷に水を求めるように、神を賛美し、祈り求め、御言葉の糧をいだだきます。魂を満たしていただくために…

「鹿のように (As The Deer)」
https://youtu.be/LtHXFJ-BJOc


へりくだる心 (フィリピの信徒への手紙 2:3‭-‬5)

2020-10-02 06:18:46 | 日記
🌷何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。🌷
フィリピの信徒への手紙 2:3‭-‬5 新共同訳


どのようなところででも、「自己中心」や「虚栄」のあるところでは、人間関係はぎくしゃくしてしまいがちになります。ピリピの教会でも確執がありました。

それぞれが自分の主張をし続けると、少しずつ確執は起こり、その時の自分の心の姿は、相手を悪く思ってしまいがちです。

そこで状況を良くするために、相手を自分よりも優れているという「へりくだり」の思いが必要になります。

一致について考える時に、意見を統一しなければならない、とか、同じ聖書解釈を持たなければいけないとか、同じ活動をしなければいけないと考えます。

けれども、それは表面上のことです。むしろ、自分の心構えが大切になってきます。

どれだけ、自分のことではなく、他の人のことを考えているか、そして祈り、愛し慕っているかに関わってくるのです。

自分ではなく、他人のことを考える、これが大切です。

最たるお手本はイエス・キリストでした。

🌷キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。🌷
フィリピの信徒への手紙 2:6‭-‬8 新共同訳

自分の心を無にして、人に思いやりを持って接する。万人に対してすることは容易なことではないかもしれません。

祈りながら、神の御旨にかなう者へと変えられていきますよう。

神さまは低くなられた者を必ず高く上げられると約束されています。

老いる日まで背負って行こう(イザヤ書 46:4)

2020-09-12 19:23:14 | 日記
🌷わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。🌷
イザヤ書 46:4 新共同訳

私の信仰生活は時々、一生懸命になりすぎることがあります。
いつもきちんとしていなければ…
クリスチャンとしてこうあらねば…
仕えなければ…
そんな重荷をしょいこむ必要は全くないんですよと言われてるかのような聖句です。

ここは、偶像に心を惹かれるイスラエルの民に、主は偶像を拝むことの空しさを語っています。

バビロンの神々は支えがないといけなくて、彼らにとって重荷となっていました。

しかし、イスラエルは逆に、主ご自身が支えていてくださり、主がイスラエルの重荷を担ってくださいます。

信仰は、自分を支えていてくださる神を証しすること。

奉仕は、自分を担っていてくださる方に感謝をもって応答すること。

そして、教会は神の素晴らしさを、その素晴らしさの中にいる人々によって自然と明らかにされているところです。

神は私たちを造ってくださり、よぼよぼになっても背負ってくださる、そして必ず救い出すと約束してくださいました。

私たちは安心して身を任せることが出来るのです。

心配事はお任せしなさい(第一ペトロの手紙 5:7)

2020-09-10 10:52:02 | 日記
🌷思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。🌷
第一ペトロの手紙 5:7

思い煩い、心配事…
今の混沌とした世の中に生きていると、次々と出て来てしまって、なくならない心配事や不安。

これら全てをひとりで抱える必要はなく、何でも遠慮せずに、祈りの中で打ち明けて良いといいます。

思い煩いを神にお任せすることは、パウロもピリピ人への手紙の中で話しました。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」ピリピ4:6

またイエスさまも、

「何を食べるか、何を着るかについて、心配しないようにしなさい。」

と言われました。

神は心配してくださる。

悩みを神に聞いていただくのは申し訳ないとか、自分で頑張って考え悩まなければいけない、などと考える必要はこれっぽっちも無く。

神は常に私達のことを心配してくださっています。

そして憐れんでくださいます。