🌷疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。🌷
マタイによる福音書 11:28-30 新共同訳
当時のイスラエルでは、民はみな疲弊していました。
ローマの属州であったイスラエルでは、人々は圧制により苦しい生活を強いられていました。
それだけではありません。
遥か昔に定められた民のための神の戒めは、口伝律法と呼ばれる、人間の手によって変わっていってしまった厳しい規則で、人々はきゅうきゅうとしていました。
イエスは、神の真理からかけ離れてしまったその律法によって、苦しんでいる人達を「私のくびきは負いやすく、荷物は軽い」と言いました。
キリストの新しい戒めは学びやすく、そして束縛から自由にさせ、重い荷物を下ろすことのできるものでした。
私たちはみな、毎日の生活で疲れています。
重荷からも逃れる事はできません。それが生活であり「一日の労苦」と言われています。
また「重荷」には、自分を喜ばせようとするものでもあります。
しかし、色々と工夫して自分を喜ばせようとしても、満たされることがなく、不安はついてまわることもあります。
同時に、現代人は心の豊かさをも求めます。
それは逆に言うと、心が満たされておらず、どこか虚しさを感じてしまうからなのです。
この矛盾を抱えている理由は、自分を喜ばそうとしているところに起因しています。
自分を喜ばす生活から、イエスのところに来て学び、神を喜ばす生活に入りなさい、と招いています。
それらにともなう約束は「安らぎ」です。
このことによって、初めて重荷を下ろす事ができて、平安な生活を送ることができるのです。
「くびき」とは、牛舎で牛が車を引く部分です。そのくびきの形によって、牛が車を楽にひくことができるかが決まります。
イエスがこしらえたくびきは、イエスが私たちのために立てられた計画のことを指しています。
イエスがこしらえたくびきとは何でしょう。
難しい律法ではありません。
私たちを造られた神を愛しなさい。そして、神が愛している人間を同じように愛しなさいということです。
イエスに従うこと、自分を奉げることは、実はとても楽なことなのです。
使徒ヨハネも「神を愛する事は、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(1ヨハネ5:3)と言いました。
イエス・キリストは今もなお悩み苦しむ人達を招き続けておられます。