たった一匹、庭で虫が鳴いている。
寂しい秋の末だ。
前にも書いたことがあるかもしれない。
「秋の暮れ」と「暮れの秋」との違いについて。
秋の暮れは秋の夕暮れを言う。
芭蕉の句に「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮れ」がある。
暮れの秋は秋の終わり、すなわち晩秋を言う。
漱石の句に「手向くべき線香もなくて暮れの秋」がある。
我輩は屯するの語義さえまともに知らない野蛮人だ。
こういう風雅の世界とはもともと縁が薄い。
が、暮れの秋の暮れに、
我が庭の隅に
たった一匹生き残っている虫の鳴き声を耳にすると、
「心なき身にもあはれは知られけり」の気分に陥る。
今夜、テレビで「かぐや」が撮影した月の写真を見た。
月の表面を見ずに「月見れば」と歌った大江千里君と
見てしまった我輩とどちらが幸せか。
何かを得るということは
同時に何かを失うことでもある。
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