岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

バスムービー 1

Bus Movie



 僕はBWMバスに乗り、どこにでもあるような座席を選んで座った。座ると、ちょうど目の高さに小さなスクリーンがあった。そうだ、座席の数だけスクリーンがあり、座席の数だけ映画を選択することができるのだった。僕は窓外の景色を見ずにひたすら映画を鑑賞することにした。

バスが停止した。運転手が乗客に「30分休憩します」と告げた。下車しようとすると、運転手が僕に「どの女の子を選びますか」と聞いた。僕は「どんな子がいるんですか」と聞いた。運転手は僕の目を覗き込むようにして、「きょうは、頷く女の子コカリンと、よく喋る女の子カロリンとがいます。どっちにします?」と聞いてきた。僕はなぜかモヤモヤした気分だったので、「気分を紛らわしたいので、よく喋る女の子の方を望みます」と答えた。「了解」と言った後、運転手は「昨晩、整備係は遅くまで入念に整備していましたが、きょうはちょっと外気温が低いので少々狂う場合があるかもしれませんが、お許しください」と付け加えた。

 森の中へ行くと、落ち葉の上に敷かれた赤い毛氈の上にカロリンがいた。白いワンピースは短めで、彼女の可愛い膝頭が眩しく見えた。肌の色は雪のように白く、じっくり見ないと頬の辺りの薄い紅色を感じ取れないほどだった。「こんにちは」と言うと、彼女はほとんど間を作ることなしに、次から次へと話しかけてきた。しかし、取るに足りない事ばかりなので、ここにその内容を一々書く気にはならない。しかし、何も書かないと、読者に作り話だと受け取られかねないので、一つだけ書くことにする。少し品が落ちるが、彼女は「服の色の選択はできないけど、追加料金9,000円を払うと、下着の色を12色の中から選べますけど、どうしますか?」と聞いてきた。僕は二人の間の空気が少し温もってきていた頃だったので、遠慮なく、「できれば、薄い黄色をお願いします」と答えた。「黄色がお好きなの?」とカロリンが聞いた。「黄色じゃなくて、薄黄色です」と僕は親指と人差し指の間に1ミリ程の隙間を作り、それを彼女の目の前に差し出しながら言った。「どう違うんですか、あなたの中では?」と彼女は僕の胸に人差し指を突き付けながら言った。「薄い黄色は、柔らかで、優しくて、甘い香りが漂っているようで、心が慰められるようになるんです」そう僕は思いつくままに答えた。「じゃ、向こうの山の方を見てて。着替えるから」そう言って、バッグを開くと、カロリンは12色の中から薄黄色の下着を取り出した。

 「もういいわよ」と背中の方でカロリンが言った。僕は振り向き、彼女の眉や目や鼻筋に見とれながら、「二人でこんなことをしていると、とても君が感情のないロボットだなんて思えないよ」と言った。「急に変なことをあなた言うのね。私、ロボットじゃないわよ」とカロリンが笑いながら言った。「最近のロボットは喜怒哀楽の表情さえ人間並みに表現できるんだから中々見分けが難しいよね」僕はカロリンの頬を人差し指で突っつきながら言った。カロリンは頬をほんの少しずらし、僕の指を避けた。そろそろ30分の休憩時間が終わる頃だった。僕はバスに戻らなければならなかった。

 僕は再びバスに乗り込んだ。目の前の電源を入れると、小さなスクリーンに映画が始まった。口髭を生やした男がたった一人で世界の果てにある断崖の上にいた。下の方には青い海が永遠の時を刻んでいた。次に、突然、僕が僕の幼年時代の友達数人とかくれんぼをしている様子が数秒間映し出された。すぐ元に戻り、「口髭を生やした男は、その後精神を病み、長年の間、物陰に横たわり、影のように生き、影のように死んでいった」というナレーションが入った。次に、また突然、僕の現在の顔、すなわち、BWMバスに乗っている現在の僕の顔が映し出された。その僕の顔は僕が持っていた自己像とは少し違っていた。左右の対称が少し崩れていた。歪んでいた。映し出された僕は僕より老齢になっていた。暗然として僕はバスムービーの電源を切った。歪みが出るという故障がスクリーンに発生しているのだ。そう理解しなければ、僕の心は安定しなかった。もし故障でなかったら、僕の風貌は変わってしまったことになる。心に不安の雲が広がった。しかし、どうしてバスムービーに僕の顔が映っているのだろう。僕は「気紛れ男の長距離バス旅行」という映画を選んだはずなのに。僕は両耳からイヤホンを外して、頭を座席の枕に付けて目を閉じることにした。

バスが停止した。信号待ちだろうか。目を開けると、バスの中は、いつの間にか混雑していた。座席に座れずに立っている乗客が10人以上いた。午後だった。N市のN駅発O市のO駅行のバスだった。バス停で新しい乗客が乗って来るたびに、女性の車掌は乗車口の扉を開け、襷掛けにした黒いバッグから乗車券の束と鉄製パンチを取り出した。乗客が自分の行き先を告げると、車掌はパラパラと手際よく乗車券の束から該当のページを開き、パンチすると素早くミシン目に沿って切符1枚だけ切り取り、乗客が差し出す現金と引き換えに手渡した。バスは交差点で右左折する時、バナナのような形をした方向指示器を水平に出した。そうだったよね。もし君のスクリーンにも同じ映像が映っているなら、僕らは同じバスムービー付きバスに乗っている可能性がある。

O駅行のバスは夕暮れを帯びてきた。次の停留所で降りる乗客がいないと確認すると、車掌はその度に必ず車掌の定位置(乗車口のすぐ後ろの空間)にあるベルをビィ・ビィと2度指で押して鳴らした。それは運転手への「次のバス停、降車なし」の合図だった。バスに揺られながら、僕はぼんやり考えた。この夕暮れの果てに運転手は職務終了後どこへ帰るのだろう。家に帰れば、妻子が待っているのだろうか。この夕暮れに続く夜をまだ若い女性車掌はどう過ごすのだろう。狭いアパートの狭いトイレで放尿しながら、故郷から届いた封書を開封するのだろうか。確言できることは、人はそれぞれ自分の時を過ごすということだけだ。紆余曲折はあるものの目的実現のための計画的かつ意欲的な過ごし方か、糊口を凌ぐだけの目的を絞れないままの漂うような過ごし方かは別にして、人はそれぞれ自分の時を重ねてゆく。思えば、僕も一つ一つの夕べを覚えているわけではない人間の一人だった。毎夕、夕べの祈りをする人は、後悔することがないのではないか。バスの窓ガラスに映った僕の顔に重なって西の山の端に日が没した時、ふと、そんな思いが僕の頭の中をよぎった。

バスムービーに電源を入れると、背後に「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が流れる映画リスト選択場面になった。僕は再度「気紛れ男の長距離バス旅行」を選んだ。すぐ「チャチャチャララ・チャチャチャララ・チャチャチャラララン」が途絶え、黒白の映像に変わった。伊吹山の麓だった。北東から南西に延びる直線道路上に小学生くらいの僕がいた。不思議な話だが、もう僕は目の前のスクリーンに自分の幼い姿が映し出されても動揺しなかった。男のようながっしりした体格の近所のおばさんが、南西の方角に指を指しながら、「傘直し屋ならすてんしょの方へ行かはったで」と言った。「すてんしょ」とは、その頃あったバス停「春照下」方面のことだった。なぜ春照下のことを「すてんしょ」と呼ぶ人がいるのか、その頃の僕は、いや、きょうまでの僕も知らなかった。昨日、僕は職場で整理棚の上の反故紙や雑誌を紐で縛っていた。全部処分するつもりだった。中に手垢の付いていない雑誌があったので何気なくペラペラと捲ると、北海道道東の鉄道に関する記事が目に入った。ちょうど行きたいと思っていた場所だったので、捨てずに取っておいた。きょうの午後、徒然を紛らわすためにその雑誌「鉄道時間」をペラペラと眺めていると、突然、「春照村」という字が飛び込んできた。スクリーンには明治26年の地形図が大写しになった。関ヶ原と長浜とを結ぶ鉄路の中の一駅として「春照駅」があったと説明してある。当時、関ヶ原から長浜へ行く路線と関ヶ原から米原へ行く路線の2本があったということだ。前者は1883年5月1日に利用開始され1899年12月28日に廃線になった。すなわち、僕が生まれる52年前に廃線になっていた。「すてんしょ」とは「ステーション」の訛りに違いない。北東から南西に延びる直線道路上に立っていたのが8歳の僕だと仮定するならば、廃線から60年経過しても、駅の愛称だけは村人の口から消えずに残っていたということになる。否、廃線から113年経過した現在でも、ひょっとするとあのおばさんはまだ使っているかもしれない。僕はもう春照に住んでいないが、数ヵ月前にそのおばさんには会っている。数ヵ月後にはまた会うだろう。その時、僕は何気なく雑談の中で、今はない昔のバス停「春照下」の方面を指差しながら、その昔の駅名を引き出すように仕向けてみるだろう。そう思った瞬間、リアルタイムで僕は目の前のスクリーンにそう仕向けている自分の未来の映像を見た。

 こんなふうに、光も届かぬ記憶の深層に何十年も眠っていた疑問が、或る日まったくの偶然から、一気に氷解する。そんな事が誰の人生にも時々は起るだろう。逆に、自分がまったく疑問にも思っていなかったことの答えを、その疑問自体を知る前に他人から教えられることがある。僕らは中学校の図書室にいた。僕の同級生には兎唇を持つ者が二人いた。一人は近所の女の子で、もう一人は他部落の男Rだった。Rは二人きりの図書室で、権威ある百科事典を取り出してきて、僕に赤ん坊はどこから生まれるかを教えてくれた。僕は客観的事実を教えられたことにより却って今まで考えたこともない秘密を知ってしまった。ちょっとした衝撃だった。何か宇宙の謎の一部が解明できたような、嬉しいような、熱い気分の中にも、索漠たる沈黙がなぜか心の中に広がりゆくのを押しとどめることが出来なかった。竹の節や桃の実から人は生まれくるのではなかったのだ。スクリーンには開いた股の間から子供が産まれるシーンが大写しになった。映像を見ているだけでも、僕は平常心を失くした。現実に自分の目の前で出産場面を見たら、僕は卒倒してしまうだろうか。何と薄っぺらな教育を受けてきたのだろう。泣くよ(794年)坊さん平安遷都。こんな俗歌を暢気に歌っていずに、生や死の現実をもっと体験的に知っていたならば、今の僕はもっと違った物語を書いていただろう。誰かがグラスに黄金色の液体を注ぎ込み、上部に作ったクリーム状の泡の先端をグラスの縁から零した。バスムービーにもやっぱり宣伝が入るのか。そのビールをごくごくと飲み干す若い女性の顔が映った。何とカロリン嬢だった。僕は咄嗟に身を起こし、スクリーンに目を近付けた。カロリンが「ビールのお友に私カロリンはいかが?」と言ってウインクをした。このウインクは僕だけに対するものだろうか。僕は周囲を見回した。乗客は減っていた。あちこちで乗客は各自好みの番組を見ているようだった。夜だった。僕はスクリーン横のボタンの列から「次の休憩所案内」を選んで押した。すぐスクリーンに「次の休憩所は、ドライブインSです。この先10分ほど走行した地点にあります」と表示された。僕は心の中で、カロリン嬢を再度指名することに決めた。

バスがドライブインSの駐車場に完全に停止した。停車時の揺り戻しを座席の背中で感じた後、僕はおもむろに立ち上がった。心の中の逸り立つ気持ちを気取られぬように、ゆっくりとバスの前方のステップに降りようとした。紺の帽子と制服を身に纏った運転手が「30分休憩します。どの女の子を選びますか?」と聞いた。僕は「もう自分の席で直接予約しました」と答えた。段々自分がBWMバスのシステムに馴染んできているのを自覚した。ドライブインの中に入り、「BWMバス利用者専用」と表示された休憩室の前に立った。入口の認証機器の小窓に乗車券をかざすと、ドアが内側に開いた。中に入ると、そこから奥の方まで小さな個室がホテルの客室のように並んでいた。僕はドアに「カロリン」と黄金色で表示された部屋の前に立ち、ドア横の認証機器に自分の暗証番号を入力した。ドアが内側に開いた。白い服を着たカロリンが頬笑みを浮かべて立っていた。
「今晩は、山際さん。疲れたでしょ?」とカロリンが尋ねた。
「同じ姿勢を続けていたからね」
「何かお飲みになる?」
「シャンパン、ある?」
「本物があります。でも、別料金になりますけど、いいですか?1杯2,500円です」
「君が宣伝していたビールを5本飲むより、僕は1杯のシャンパンの方がいいよ」

狭い部屋だった。靴脱ぎのすぐ左手がトイレとバスルーム、右手がキッチンと食卓、奥にベッド、それだけだった。カロリンは「ベッドの縁に座って飲みましょうか?」と提案した。青みがかった細長いグラスの底から白い粒のような泡がシュワシュワシュワと次から次へと上昇していった。僕らはグラスとグラスとを触れ合わせた。キーンと硬質の接触音が部屋に響いた。まるで僕らの心と心とが触れ合ったような音だった。定型的な喜怒哀楽の表情はできても、カロリンは所詮ロボットだった。なのに、なぜ、僕が「心と心とが触れ合ったような音」と感じ取ったのか、自分にも分からなかった。「目は口ほどに物を言う」という慣用句があるが、カロリンの目も人間と同じようにその心、言外の言を表すことが出来た。カロリンはしかし、目で言外の言を表す比率は予め低めに設定されていた。その特性は「過剰気味の言語表現」だった。

カロリンはグラスに口を付けて飲む真似だけをした。実は、飲んだり食べたりすることも出来るのだが、消化機能がないので、タンクに飲食物が溜まってくると、BWM会社の整備係が随時処理することになっている。「飲む真似」や「食べる真似」は初期反応で、状況の進展次第では本当に飲んだり食べたりするように設計されている。僕は単価の高い酒なので、敢えて彼女に飲ませようとはしなかった。それに飲ませても彼女は決して酔うことがない。飲ませる意味がない、もったいないと思った。

「君が口に含んだシャンパンを僕の口の中に移してくれないか?」
「いいわ。上手くいくかしら」カロリンは軽く一口シャンパンを口に含むと、僕をベッドに仰向けに倒し、僕の唇に唇を重ねてほんの少しずつその唇を開いていった。カロリンの唇は人間と同じ柔らかさと温かみとを持っていた。甘美な時間が流れた。あるいは、流れていた時間が甘美なままで止まった。僕の口から少しシャンパンが筋のように流れ、喉の方へ伝っていった。目を瞑っていると、口の中に生温かい舌が滑り込んできた。一瞬、僕は驚いたが、それは人間の女の子の舌とほとんど同じだったので、何の違和感を持つこともなかった。ただ彼女は仰向け状態で寝なければ目を閉じないように設計されていたので、僕の上になってキスをしている間はずっと目を開けたままだった。

 瓶の半分ほど飲んだ頃、僕の酔いはちょうど良い加減になった。僕はベッドの上にカロリンを座らせ、「立て膝をしてくれないか」と頼んだ。「脱いだほうがいいですか?」とカロリンは人差し指で自分の洋服を指し示しながら聞いた。僕は「脱がないほうがいいんだ」と答えた。僕は部屋の照明を最大限に明るくしてベッドの脇に立った。太腿の付け根と薄黄色の下着が見えた。もしこの精巧なロボットが言語を操らなかったら、遣る瀬無い気分に僕は陥っていただろう。カロリンが僕の顔色を読むようにして、「こんなことであなたの心は安らぐのですか?」と聞いた。「そんなふうに僕の心にすぐ君が反応してくれる、そのことが僕の心を安らぎで包んでくれるんだ。理解できるかい?」僕はカロリンの黒い瞳の奥を覗くようにして言った。「私のようにあなたに対して素直に純粋に反応する女性は、この世にはいないと思います。現実に生きている女性は、あなたに対して反発もすれば無視もする、場合によっては、好意的に受け入れてくれることもある、そういう予見の困難性が、しかし、逆に面白いのではないですか?たとえ失恋して心が傷ついても、それは正に生きている証拠ですから」カロリンが手で肩にかかった髪を払い除けながら言った。その瞬間、初めて僕は彼女の耳朶に付いている香水の香りに気付いた。彼女の内部にある蓄電池が消耗しても、この香水の香りは消失せずに暫くは残るのだろうな、と僕は思った。

「カット!」その怒鳴るような大声に驚き、振り向くと、谷監(谷川監督の略称)が泥鰌の髭のような無精髭の中で歯を剥いていた。「山際君、カメラの位置を頭に入れておいてもらわないと困るよ。君の女性ファンは君の後頭部ではなく、君の横顔に見とれていたいんだぞ」「監督、大目に見てくださいよ。カロリンが規則違反の香水を本当に付けて来たんですよ」僕は肩を竦め、左手の掌を上に向けてカロリンの方へ差し出し、「ついその香りにうっとりしちゃって、撮影中ということを忘れてしまって、・・・」と言い訳をした。「休憩だ!」谷監はそう叫ぶと撮影所から出て行った。照明が一斉に消された。僕はカロリンに「ごめん、僕がもっと注意深く演技していたら、こんなことにならなかったんだ」と詫びた。「悪いのは私。昨日の夜眠れなくて、昼までぼんやりしていて、多分それで化粧する時うっかり香水を使ってしまったと思うわ」そう言うカロリンの言葉は、僕の耳には全部薄水色を帯びているように聞こえた。僕が何か暖色系のことを言おうと考えている間に、カロリンは飛魚のように銀青色の残像を延ばしながらドアの方へ飛び去って行った。僕は目を閉じ、右手で5秒を数え、左手で5秒を数え、目を開けた。目の前のスクリーンには飛魚のような銀青色の残像が流れて、消えた。僕は自分が出演しているバスムービーを見ていた。・・・そうだ、ここまで来たら、もうそろそろ僕の魂胆を明かしてもいいだろう。僕の魂胆は自分自身と読者を同時に「想像の混乱」に陥れることだ。その結果、何を突き破り、どこへ到達することが出来るのか、誰にも想像出来ない。今はただ、この世には読み辛い不快な物語があってもいいだろう、と自らを慰めるだけだ。

いつ夜が明けたのだろう。朝が来ていた。僕は生きていた。あるいは、生きている自分を僕は発見した。ふと目を前列の席に向けると、二人の若い女の子が並んで座っていた。二人ともよく似ていた。匂うような頬はふっくらとしていた。大きな目は甘く黒く潤んでいた。右側の窓際の女の子の前のスクリーンには映像が流れていた。見ると、そこにはカロリンがベッドの上で立膝をしている場面が映っていた。イヤホンが抜かれていたのか、スピーカーから「脱いだほうがいいですか?」と言うカロリンの声が聞こえてきた。前列の窓際の女の子が画面の中のカロリンを指差しながら、「女性がこんなこと言う訳ないよね」と隣の女の子に言った。隣の女の子は「そこがやっぱりロボットじゃないですか。ロボットがもし含羞を表現できるようになったら、・・・。いやあ、ちょっと想像できないですね」と答えた。「最近の谷監の映画って、筋らしい筋がないからよく分かんないね」と窓際の女の子が言った。「そうですね。それに最近谷監は変装して自分の映画によく出てくるけど、
もう自分でも自分が何をやっているのか分かんなくなっちゃったのではないですか?」と左側の女の子が言った。僕は後方から話し合う二人の顔を盗み見ていた。二人とも始終顔に笑みを浮かべていた。思春期の娘の華やかさ、美しさに、僕は暫く見とれていた、朝靄を切るように遮断機の下りた踏切の手前でバスが一旦停止するまでの間。

僕は決断のできないまま逡巡していた昨日の僕に帰らねばならなかった。そこにしか僕の再出発する場所はないような気がした。ただ僕が昨日の僕に出会っても、そこに火花は散らず、そこに何か新しいものが生まれる余地もなく、輪郭の不鮮明な「淀みつつ流動する時間」に半ば受動的に運ばれざるを得ないだろう。残念ながら、僕は、毎晩日記を書いて自省するような人間ではなかった。雑で、無作法で、愚かで、少し古い表現を使えば、穀潰しだった。問題は、周囲から存在しない方がましだと思われるような人間でも自己の存在を全否定することが出来ないという点にあった。そもそも自己否定とは何か。例えば、僕が仮に親に心配ばかりかけてまったく孝行しなかったとする。あるいは、僕が仮に若い女友達に堕胎させたとする。そういう自分を自分は望ましい人間とは思わない。が、それが直ぐに自己否定に直結することはない。規範の自己への適用は甘くなりがちだからだ。僕の定義によれば、自己否定とは、自己の可能性に対して、無私の精神で挑む意欲を自ら燃え立たそうとしないことだ。この意味での自己否定は、多くの人の日常生活において頻繁に無造作になされているだろう。何もしないこと、それが無私ではないのだ、雑なのだ。何もしないこと、それが無私ではないのだ、無作法なのだ。何もしないこと、それが無私ではないのだ、愚かなのだ。何もしないこと、それが無私ではないのだ、穀潰しなのだ。淀みつつ流動する曖昧な時間。自分の物語はいつ始まるのか。いつ始まりを宣言し、いつ終わりを宣言するのか。多分、物語は終わりから、それも悲惨な終わりから考えていくべきものだろう。僕は通勤バスに揺られながら、段々とそういう方向に自分の考えを整理していった。それでも、なお、曖昧な昨日と同じような時の歩みが今日も相変わらず僕の歩みを囲い込んでいるようだった。それでも、しかし、心の奥の小さな新しい泉からは透明な水が湧き出る気配を僕は感じていた。

どこへ行くのだろう。どこへ辿り着けるのだろう。朝食の後、お茶を飲み終わる頃、僕は昨日までの僕と完全に重なった。この想念は、しかし、鏡のようにすぐ破損した。昨日の自分に帰れるわけがない。昨日の自分は割れた鏡の破片の間に歪んで閉じ込められている。僕は過去につながる長い道程を振り返りながら、多くの自分と生き別れのままになっていると思った。床の上にズタズタに切り裂かれた映画フィルムのように、多くのシーンが宙ぶらりんのままあちこちの路傍に散乱していた。

僕は毎朝7時8分発のT駅行バスで通勤していた。始業時刻の30分前には職場に到着する。大抵一番乗りだ。早めに出勤するのは、通勤途上で同僚や上司と出会いたくないからだ。昨日まで僕にはそんな一面があった。今日の僕にもある。職場に通勤途上でも会いたいような可愛い女性、魅力的な女性がいたら、時間差を作って避けるように出勤することもないだろう。大抵の事には裏事情があるものだ。毎朝乗るバスの座席の位置も先客に取られていない限り同じだった。変化が少ないことは心理的な安定をもたらすのか。若くて華奢な女性の隣の、幾分広めの空間に座ることが好きだった。大柄の男の隣に座ることは、窮屈なので避けた。毎日同じような時間が過ぎることに対して、あるいは、自ら毎日同じように時間が過ぎるようにしていることに対して、僕は特に何も積極的には考えたり反省したりせずに過ごした。1日が終わると、その延長線上に同じような次の1日を待つばかりだった。類似の日々の堆積。破綻もなければ、歓喜もなかった。そういう僕の味気ない日々の生活に時々刺激を与えてくれたのは、耳目を驚かす新聞記事、あるいは、街やホームで偶然擦れ違う可愛い女の子の存在ぐらいだった。腹を抱えて笑うこともなければ、踊り狂うこともなく、泣くこともなければ、緻密な計画を立てることもなかった。身体的な気になる不調は、ほぼ毎月何がしかあったが、絶望の淵に立つまでには至らなかった。淡い雪のような悲しみも心に積もっていないわけではなかったが、それも時々思い出す程度でそのために心が不可逆的に凍りついてしまうというほどのこともなかった。自分の人生の残り時間が少くなってきたのか、「時を超える体験」をしてみたいと思うことが多くなってきた。時間を忘れるほど何かに熱中したい。そういう願望の回りを堂々巡りしている自分を見つけ出すことが日課のようになっていた。

〈ここまで書いたら、ペンを置くこと〉
 僕はこの指示に従ってペンを机上に置いた。と、右斜め後方から、「カット!」と叫ぶ谷監の声が響いた。撮影所内の照明が全部消えた。外へ出ると、僕らは真昼の直射日光を浴びながら歩幅をそろえて歩いた。

「この瞬間にも、この広い地球上では、誰かが子を産み、誰かが息を引き取り、誰かが誰かを殺し、誰かが人命救助し、誰かが寄付し、誰かが盗み、誰かが誰かを強姦し、誰かが愛の告白を受け、誰かが笑い、誰かが泣き、誰かが山に登り、誰かが海に潜り、誰かが眠り、誰かが起き、誰かが小説を書き、誰かが映画撮影し、誰かが誰かのことを考えているんだよ」谷監が歌うように言った。
「確かに、誰かは現在の貧困問題について考えているけど、誰かは自分の蓄財についてのみ考えていますね」僕がアドリブで答えた。
「山際君、私は現代社会の矛盾や貧困を抉り出す映画を撮るつもりはないよ。いつも言うことだけど、今、他の誰かが何をしていようと、私は自分の頭の上の蠅を追い払うだけで精一杯だ。そして、君を慕う一部の女性ファンを喜ばせる事だけしか考えていない。君の望む『最大多数の最大幸福』を追求して仕事をしているわけではないよ」谷監が少し歩度を速めて言った。
「監督、僕はその場限りの娯楽映画ではなく、映画館を出た後に観客に考えさせるような映画を作りたいのです」
「山際君、私はテーマとメガホンを同時に持つことはしないんだ。脚本なしで現場での自分のひらめきだけで映画を撮る監督なんて私以外にはいないと思う。私が大事にしているのは、テーマではなく、現場での現瞬間の自分の感覚だけだ。そして、君の外観だけだ」
「僕は絵ですか?」
「絵として使っているだけだ。内面の表現が必要な場合は、今日のようにスクリーンに直接言語でもって表現する。私はいずれ人間の俳優なんて使わずに人間そっくりの精巧なロボットで済ますつもりだ。ロボットなら遅刻もしないし、セリフも間違えない。弁当もギャラも不要になる」
「水戸黄門のような映画ならば、確かにパターン化されているので、俳優はおろか監督さえロボットで済ますことができそうですね。でも、監督が今実験されているような感覚主義的な映画作りだとどうでしょうね」
「あ、そこを右だ。混んでなければいいけどね」谷監と僕はうどん屋の薄黄色の暖簾を潜った。窓際の席に座ると、谷監は小声で、「薄黄色とは偶然の一致だね。しかし、下着じゃないんだから、暖簾はやっぱり紺に限るよ。紺に変えなきゃ、もうコンぞ」と駄洒落を言いながら泥鰌髭を指で捻った。「監督、冴えない駄洒落は止めてくださいよ。僕が僕らの世界を材料にしてリアルタイムで小説を書き、リアルタイムで演技し、リアルタイムで映画化し、リアルタイムで鑑賞し、リアルタイムで無化していることはご存知のはずです。作品に汚点が付いてしまうじゃないですか」僕は割り箸の先を谷監の心臓に向けて言った。
「山際君、いつものようにキツネうどんでいいんだろ?私は天麩羅うどんの大盛にするよ。」隣に立っていた和服姿の女給にメニューの該当箇所を人差し指で指し示しながら、谷監が注文した。「山際君、私は君が言っていることに関心がないから意味がよく掴めないよ。あるいは、君が言っている意味がよく掴めないから関心を持つことができないよ」
「監督、僕はただ、駄洒落ではなく、もう少し観客の心に響くような科白を言ってほしい、と言っているだけです」
「例えば、君ならどんな科白を言うつもりだい?」谷監が卑下せずに髭を捻りながら尋ねてきた。僕は割り箸を割りながら、「例えばですね、今、日本にはホームレスもいれば天皇もいる。働きたくても仕事がなく、食うや食わずの人もいれば、すべての面に亘って特別扱いをされている人もいる。数年前のK首相などは『格差があって、何が悪い』と言っていました。ここですよ、ここで言わなければならないのです。『天と地の間にあるすべての格差を隠さずに抉り出せ』」と答えた。
「隠さずに格差を抉り出せ、か。山際君、私たちは団栗だ。背比べせずにうどんを食べよう」僕らの目の前に女給が運んできたうどんからは湯気がコイル状に立っていた。僕らはズルズルッと啜った。谷監が勢いよく口の中に啜り込むうどんの尻尾が最後に跳ね、その汁が僕の頬に当たった。汁が当たったことなど谷監は知るまい。僕は心の中で、「知る(汁)も知らぬも逢坂の関」と歌った。

丼を傾けて汁の最後の一滴を飲み干すと、谷監が次のシーンの説明を始めた。
「山際君、君が一人で空調のない殺風景な倉庫で整理整頓の作業をしている。そこへ偶然カロリンが、事務所に通じる重い鉄扉を開けて蝶のようにヒラヒラと舞い込んで来る。本当は、鉄扉は重くない。カロリンが両手に分厚い書類の束を抱えていたから開けにくかっただけの話だ。倉庫の床はコンクリートで、所々に油のような染みが付着している。隅には紙くずや荷造り紐の切れ端が転がっている。君達は無言で硬い表情のままXの字のように斜めに擦れ違う。その瞬間、君の鼻腔は甘い香水に満たされ、心身ともに酔ってしまう。反射的に、君は足を止め、首を捩じり、カロリンの後ろ姿を見る。目には見えないが、香りの道が続いている。犬でなくてもカロリンの跡を辿れる、と君は思う。大人の男女が倉庫の中で二人きりだ。何かが君の心の中で爆発する。君は、数日前から密かに内部で言い淀んでいたことを、とうとう彼女に向かって吐き出す。『カロリン、3月になったら、転属するのですか?』口から実際に出た言葉は、しかし、誘惑者の科白ではない。カロリンは、止まり、振り向き、『はい』と短く返事をする。君は、しかし、次の科白を用意しておかなかった。言い淀む。深緑色の瀞に浮かぶ小さな落ち葉が渦を巻くように漂う。カロリンが少し体を君の方へ近付けて何かを待つようなたおやかな仕草をする。力ずくで抱き寄せれば、しかし、犯罪になる可能性がある。君はただ『ああ、そうですか』と応える。後は、灰色だ」僕は泥鰌髭の動きを見ていたが、「灰色だ」の続きは出て来なかった。僕が「明日の撮影はそれだけですか?」と聞くと、谷監は「明日どころか、君が私生活でカロリンを口説かない限りずっと灰色のままだ。たとえ肘鉄を食らったという話になってもいいんだ。私はその顛末を撮るよ。いいかい、山際君、私はお膳立てを整えた。後は、君が勇気を出して実演するのを待つだけだ。忘れてはならないよ、君は既に寂しがり屋の気紛れ男として出発しているんだ。カロリンだけが当面の君の希望の光なんだ」と言った。「監督、勘弁してくださいよ。僕はカロリンを嫌いではないけど、好きでもないんですから」「これは仕事だよ、君。何か勘違いをしていないか」谷監が少し背を丸め、声を潜めて付け足した。「ギャラをもらって、女性を口説けるなんて、こんな甘い話がどこにある。君の理想像と一致するような女性が私たちの身近に出現するのを待っている暇はないんだ」僕は心の中のスクリーンで、自分がカロリンを食事に誘い、拒絶される場面を見た。自分の中の自己像が醜く歪んでいくような予感を持たざるを得なかった。サンタクロースに変装してプレゼントを配る役ならできる。しかし、カロリンを誘惑する役は、どんな仮面をかぶれば出来るだろう。仮面なしのぶっつけ本番で失敗したら、自分の地の自己像が歪む。スクリーンの外のカロリンはロボットではない。暫くぼんやりとした内面世界にいると、遠くの方から谷監の声が聞こえてきた。「私は一個人としての君に頼んでいるんじゃない。一役者である「山際」という男に頼んでいるんだ。君の中には、少なくとも二人の人間がいるはずだ。君という一個人と「山際」と言う名の一役者と。そして、私は今、一役者の「山際」の方に仕事を命じているだけなんだ」和服姿の女給が番茶を運んで来た。立ち去る時、空の丼を持って行った。湯飲み茶碗の中を覗くと、茶柱が1本立っていた。糾える縄のような吉凶を踏み越えて行けるだろうか。谷監は五円硬貨の穴ほどの極小カメラと腕時計そっくりの極小録音機を僕に手渡した。「君に任すよ。仮の作り事の中から真実を拾い出すことが出来るかどうかは実際にやってみないと分からないものだ。スクリーンの中でロボット役のカロリンも言っていたじゃないか。『予見の困難性が逆に面白い』って。ただし、この場で、私に真実の定義を性急に求めないでくれよ。私が求めているのは、言わばアポステリオリなものだからね」僕は左の掌にカメラと録音機を載せた。500円硬貨よりも軽いと感じた。僕は銀青色の飛魚のように去って行ったカロリンを思い出した。僕の存在が彼女の心に何か暖色系のイメージをもし与えることができたら、・・・と夢想した。僕はカロリンと話す機会が偶然訪れた時に食事に誘うことを決意した。無論、その偶然とはカロリンの目から見ての偶然ということだった。僕らがうどん屋を出ると、下駄履きの女給がすぐ続いて外に出て来た。白足袋の踵を上げて軽く背伸びし、薄黄色の暖簾を外すと、そそくさと店内に入り、引き戸をピシャリと閉め切った。

寒い夜だった。谷監のやり方に対する寒気に似た違和感が、少しずつ僕を包むように広がってきた。気付くと、僕は撮影所の入口に立っていた。顔馴染みの管理人に短く挨拶した後、中に入り、常夜灯の点いていた大道具のバスに乗り、運転席の後ろの座席に身を沈めた。どうしてロボットのカロリンが今度は倉庫で仕事をしているのだろう。初めの設定では、カロリンはBWM社の接待ロボットだ。そして、僕の役回りは倉庫会社で働く迂闊な中年男で、今は、その本物の女性そっくりのロボットを相手にして孤独を紛らしながら旅行をしている段階だ。それなのに突然、どうして僕は勤務場所に戻り、突然、どうして接待ロボットが僕の同僚になるんだ。長距離バスをドライブインSから先に進めるべきだ。まったく分からない。なぜ僕が相手役の女優カロリンを私生活において誘惑しなければならないのか。谷監はその顛末を参考にして映画の展開材料にすると言っていたが、それこそ灰色の破綻になるような予感がする。僕は夢を見ているのだろうか。そう言えば、つい最近まで、僕は空を飛ぶ夢を見ていた。いや、夢と言ってはいけない。本当に空を飛んでいたのだ。春照の家の屋根から飛び立ち、高圧電線を注意深く避けながら名古屋の街まで飛んだことだって一度や二度ではない。飛んでいる最中に「これは夢だろうか」と考え、自分の頬を強く抓ったことがあった。痛かった。やはり、これは夢ではない、自分は空を本当に飛べるんだ、と確認したことも一度や二度ではない。あの確認の後、どんなに嬉しく、どんなに幸せだったろうか。そうだ、今度谷監に会ったら、忘れずに頬を抓ろう。いや、相手の谷監の頬を抓ってもいいだろう。タヌキが化けているのなら、尻尾を出すかもしれない。ここまで考えると、僕は「眠ったほうがよさそうだ」と自分に言い聞かせ、誰もいない撮影所内の段ボール製のバスの座席の中で目を瞑った。

誰かが僕の左肩をポンポンと叩いた。撮影所の夜間管理人だった。焦点が合うと、目の前にあるのは三角のサンドイッチの包みだということが分かった。「おはようございます、山際さん。良かったら、どうぞ」と言って、管理人は僕に三角の包みと三角錐の牛乳パックを差し出した。僕は心の中で「テトラ」と囁くと同時に口では「あ、ありがとう」と応えた。何十年振りかのテトラパックだった。懐かしかった。バスから出て、洗面所に行くと、鏡の中に髪をボサボサにしている男がいた。見ていると、その男のポケットで携帯電話が鳴っていた。ポケットから取り出して「もしもし」と僕が言うと、その男は「はい、山際です」と名乗っていた。

助監督の森部が小走りに谷監の傍に来ると、「監督、カロリンが体調不良のため休みます。今連絡が入りました」と報告した。朝サンドイッチを食べたバスの座席で、支給された弁当を食べていた僕の耳にも谷監の溜息が聞こえてきた。僕もカロリンと偶然に二人きりになって、食事に誘う科白を言うつもりだったので、肩透かしを食わせられたような気分になった。上手に味付けされた蓮根を箸で摘まんで穴を覗いてみたが、閉ざされた灰色の向こう側を見通すことは出来なかった。
 

1899年12月28日に廃線になった関ヶ原から長浜へ行く鉄道は、現在は、国道365号になっている。その国道がまだ舗装されていなかった時だった。小学5年の僕は通学の行き帰りに長浜方面から関ヶ原方面へ走るトラックをしばしば見かけたものだった。饅頭屋のひ弱な息子と一緒に連れ立って行くことが多かった。村人はみんな渾名を持っていた。僕らも渾名で呼び合っていた。ハッしゃんはその日も屁ばかり放いていた。しかも、「20発目だ、31発目だ」と自己更新記録を出すたびに得意げに声を高めて叫ぶのだった。僕は最初は面白がっていたが、段々と回数が増えていくに連れて学友に対して少々気味の悪さを感じるようになっていった。「登呂やん、あれ見て!」とハッしゃんが後ろを振り返って指差した。「トロやん」と呼ばれた理由は、僕の本名が山際登呂彦ということと小さい頃からトロッコ遊びが好きだったということ、この二つだった。形容詞の「とろい」とは関係がなかった。(名誉にかかわることなので、ここに一言書き添えておく。)促されるままに振り向くと、トラックだった。トラックと言っても、タイヤが4本、ハンドル1本、風防ガラスなし。屋根なし。ドアなし。荷台なし。さすがに、運転手はいる。タオルで口と鼻を覆い、首の後ろで結んでいる。上半身は白いランニングシャツ1枚だけ。埃を濛々と巻き上げながら走って来る。今から50年も前の情景だ。今では車を見ない日は一日もないが、その頃は車を見ることは珍しかった。

弁当を食べた後も、撮影中止で解散になった後も、僕は50年前のことを断片的に思い出して過ごしただけだった。何もしないと、時は速く過ぎ去る。口と鼻を白いタオルで覆った運転手は、50年の月日を一気に走り去って行った。僕はその夜、枕元に万葉集を広げたまま眠りに落ちた。誰の歌を枕詞にして眠ったのか、覚えがない。

翌日、撮影所の階段から降りる時、下から上ってくるカロリンと出くわした。彼女の方から「おはようございます」と小声で挨拶してきた。見ると、彼女の足取りは軽やかで、もうほとんど回復しているようだった。一日中僕も彼女も何かと雑用に追われていた。何度か撮影所内で擦れ違ったが、私的に対話する機会は掴みにくかった。ただ一つ、僕の心に引っ掛かる事があった。休憩室の僕の机の隣にカロリンが書類を運んで来ていた。何かを探しているか、整理しているようだった。僕はそれを自分用のロッカーの陰から見ていた。すると、カロリンは顔を僕の机の上の方へ向けて、犬のようにくんくんと僕の匂いを嗅いでいるような仕草をした。机上には僕が飲み干したコーヒーの紙製コップと歯ブラシとが置いてあった。カロリンは僕の不在にちょっとした寂しさを感じて、せめて僕の残り香を吸い込もうとしているかのようだった。この僕の一方的な独断的解釈は、それにもかかわらず、なぜか僕の心の底を希望の色で薄くほんのりと染めてくれた。僕は、今、自分のスクリーンに書き込みたい。いや、書き込まねばならない。今後とも僕に必要なものは、彼女からのイエスではなく、僕自身へのイエスだ、と。

机上の電話の呼び出し音がカロリンの右腕を一直線にした。カロリンは僕の席に腰かけ、「谷川映画製作所の寒崎でございます」と名乗った。「はい、少々お待ちください」保留ボタンを押すと、カロリンは水色のパーティションの向こう側にいる谷監の席に転送した。「監督、日の出信金の五藤さんからです」谷監が遠近両用眼鏡を外して受話器を取った。「あ、ゴっさん、どうも。谷川です。で、どうなりましたか?」会社の最近の苦しい資金繰りについては、僕も知っていた。映画や脚本の中ならば贅沢にシャンパンを飲む場面など簡単に作れるが、零細な独立プロの現実の厨房では昼食用の番茶さえ払底していることがあった。「あっ!」僕は谷監が握る受話器を見て叫んだ。「携帯だ!」僕は自分の携帯電話を洗面所に置き忘れてきたのに気付いた。休憩室兼事務所から飛び出て、二階の撮影所横の洗面所へ急いだ。社員は少数で、皆気心の知れた者ばかりなので、盗まれる心配はなかった。それでもやはり、反射的に急ぎ足になった。僕は携帯電話のことだけに心を捕われてその他のことをすべて放り去って走った。左右上下の景色は蕩けるように後方へ流れ去り、僕の視野は小学生の頃潜った土管ほどに狭窄になった。走っていた。どこかを走っていた。走っていた。誰かが走っていた。僕は誰かだった。同時に、僕は誰でもなかった。どこかを走っていたが、どこでもない場所のようにも思えた。誰かが走っていたが、誰でもない人間のようにも思えた。急いで階段を駆け上っている間に、谷監から自己像が傷つく恐れのある行動を命ぜられた僕の気掛かりが、いつか僕の内部から外部へ出て行ってしまった。僕の内部では、一つの時間が流れるでもなく、止まるでもなく、大洋の表面のような、ゆったりとした波動だけを示していた。もっと思い出した方がよさそうだ。階段を駆け上っていた間、僕は何かを感じ取っていた。急いでいたので、何もない「ゼロの無心」の境地にいたわけではなかった。が、多くの余分なものが、階段を駆け上がるたびに心身から脱落していった。僕は、言わば、「一の無心」の境地を切り開いたようだった。ゼロではなく、一つの事に心が捕われていた。それゆえに、その時の僕は、その他の事に捕われることは一切なかった。一あるがゆえの無心だった。一気に駆け上がり、洗面所で自分の携帯電話を見付けた時には、僕は心を曇らせる何物にも捕われていない超脱の極みにいた。そこには俗世とは思えないような静謐と安堵感があるばかりで、何の悩みも煩わしさも不安も倦怠も妬みもなかった。限られた短い時間ならば、人は手軽に場所を選ばずに捕われの自己像を超越できる。そう思った。禅寺に参禅しなくても、無我夢中に自分の運命と組合う決心さえすれば、最後は、偶然が賽の目を出す。自分の時が満ちたと直感したら、自分の内部で澱んでいた奔流に決然と身も心も任せればいいのだ。走り出した時、僕が僕の外部に脱け出したのか。僕が僕を自分の外部に曝け出したのか。一段駆け上がるたびに、一段駆け上がる前の自分よりは軽快で明確な輪郭を持った自分に接近していった。

洗面所に到着すると、蕩けたような周囲の景色も復元していた。自分の殻から脱け出して、外部からその脱け殻を観察しているような気分だった。僕は僕の形を単純かつ平凡な線で作り直す試みを始めた。携帯電話を置き忘れた自分は間抜けだった。間抜けな自分を永遠の銅像に固定したままにしておくほどの間抜けではなかった。失敗の多いありふれた日常を生きればよい、と自分に言い聞かせた。失敗は取り戻すためにあるに違いない。歪んだ自己像は直すためにあるに違いない。自分を取り巻く相関関係の混沌たる動態の中で、僕はいつでも直感的に自分の通路を切り分けるようにして進んできた。未来と言う霧の奥で見出すものは、あるいは、見失うものは、いつも置き忘れた携帯電話のような物であるとは限らない。鏡の中の僕はそう呟いている僕をぼんやりと見ていた。

二階への階段を駆け上る際、僕は躓かなかった。幸運だった。これは、次のように言い換えても良い。足を踏み外して足首を捻り、顔を顰めている自分を、僕は超越してしまったのだ、と。階段から足を踏み外さなかったのは一つの奇跡である、と言いようによっては言える。その起きたかもしれない奇跡を、僕は未然に超えてしまったのかもしれない。何でもない平凡な一瞬と奇跡の一瞬との間にはどんな差があるのだろうか。その差異はあるようでない。ないようである。要するに、問題は物の見方だ。その差異は、無事に生き延びた者の軌跡を形作っている脱け殻の鎖状に対して意識的に拡大鏡をあてがう者だけが発見するだろう。見るべきものは、「今」とか「過去」とかいう掴みどころのないものではなく、「今を意欲的に構築する材料としての過去」だけだ。僕は捨象しながら階段を上った。洗面所の中で、少し息を切らしながら鏡面に映っていたのは、純粋に胸を撫で下ろしている男の姿で、ためらう誘惑者のそれではなかった。僕は鏡の中の自分に言った、「そうだ、カロリンの所へも何か自分のものを置き忘れることだ。そして、それを探しに行くという行動型を作り出すことが出来たら、成功しそうだ。〈自分のもの〉と言っても、物品ではなく、何か心理的なものだ。何を置き忘れようか?」

僕は暫く鏡の前と鏡の中で考えた。心の触れ合いを純粋に喜ぶ心。そうだ、そういう素朴な心があるはずだ。それをカロリンの心の中に僕は既に置き忘れているはずだ。自ら作る物語は夢のある仮定から始めるべきだ。ないことはない。カロリンという鏡の中に置き忘れているはずだ。僕がそれを見付け出すまではあるはずだ。・・・この洗面所における目論見を実行に移すことは、しかし、後日、容易ではないということが分かった。なぜなら、置き忘れているものなどないという冷酷な現実が僕とカロリンとの間に横たわっていたからだった。僕は自室で、大学ノートの上で企図を練り直すことにした。まず表紙に作戦名として「連続自己改造作戦」と書き、裏表紙にはその心構えを「〈自分へのイエス〉を目標にはしない。常に〈自分からのイエス〉を出発点にせよ」と書いた。結果や到達点に拘るのではなく、常に次の瞬間をどう生きるかがすべてだからだ。次に、ノートの左側に誘惑のシナリオを書き、右側には実際の自分の言動とカロリンの反応を書き込むことにした。

或る日、カロリンがシナリオにはなかったのに、出勤してきた。事務所内での予定表では彼女は「休暇」になっていた。僕が思いがけず一日一緒に同じ場所で仕事ができる喜びを押し隠して、コートを着たままのカロリンに「今日は休みじゃなかったの?」と尋ねると、カロリンは「止めました」と短く答えた。残念ながら、その日はそれですべてだった。僕が彼女に対して関心を持っているというメッセージだけは伝わっただろうか。少なくとも僕のノートの右下の自己評価欄にはそのように整理してある。明日がある。良いことだ。

劇的な一日になった。正に土壇場でカロリンを夕食に誘うことに成功したのだ。2012年2月12日、日曜日、記念すべき日になった。僕は日曜日の勤務を終えると、その場にいた谷監や運転手役の里間さんやコカリン役のモナミやカロリン役の寒崎バビ子に挨拶して撮影所を出た。きょうこそバビ子を誘うぞと思って機会を狙っていたが、結局、その日も空しく「お先に失礼します」という科白を自分の耳に聞くことになった。バビ子はパソコンの前で何か小難しい顔をしていた。ドアを後ろ手で閉めた。1階へ降りる階段の踊り場で方向転換した時だった。斜め上の方で、ドアの開閉音が響いた。西方向に階段をゆっくり降りながら、振り向くと、バビ子が手に書類を持ってすぐ後ろの段にいた。気がついた時は、僕はもう「あ、寒崎さん」と呼び掛けていた。もう戻れなかった。
「はい?」
「突然だけど、今夜空いてないですか?・・・」
バビ子は僕の目を見て、
「空いてますけど、・・・」と言った。
「居酒屋でも行きませんか?・・・」
「居酒屋ですか?・・・」と言いながら、バビ子は少し顔を背け、口をやや曲げた。
「何かおいしいものでも食べに行きませんか?・・・」と僕は誘った。
僕らは階段上で、「名古屋駅の金時計に6時過ぎ」という約束をした。この誘惑シーンは、無論ぶっつけ本番ではなかったが、シミュレーション通りでもなかった。生きた人間が相手の芝居だ。一寸先は灰色だった。
 

それは奇跡だった。2月12日、日曜日、午後6時過ぎ、僕らは名古屋駅の金時計で落ち合った。夢ではなかった。起るはずもない奇跡が起きていたのに、僕は、しかし、リアルタイムでは奇跡の真っ只中にいるという実感はなかった。僕の目も、皮膚も、その時はバビ子と二人きりで一緒にいるんだという喜びで生き生きとしていた。金時計の周囲は落ち合う人々で一杯だった。彼女はどちらの方面から来るだろう。分からなかった。金時計の背後の階段に向かって左側で僕は待っていた。5分ほど待っていた頃だった。バビ子が突然僕の目の前を斜めに横切って行った。職場での顔と同じ寒色系の、地味な、愛嬌のない顔だった。近寄ると、僕を見付けた彼女の顔が、急に、女性らしい、花が開いたような暖色系の顔に変わった。それを見た僕は、短い幸福を感じ取った。誘って良かった、と思った。彼女の顔に今こういう美しい表情を作らせているのは、この僕だ。心の中で、その時、僕はそんなふうに考えたかもしれない。僕らは高層ビルの12階で一緒に夕食を食べることにした。僕らは和食の店に入った。メニューに書かれていた金額は最低でも6千円だった。バビ子は高いと言って驚いていた。僕らは菜の花や河豚を食べながら、旅の話やお互いの出身地の話をした。バビ子は痩せ形で小柄だったが、心の強い、賢い女性だった。なぜか職場に関する愚痴話は一度も出なかった。終始背筋を伸ばして良い姿勢を保っていた。そのシーンは日時が経過するに従って段々と僕の心の中で奇跡になっていった。デートをした後、職場で、バビ子の顔に何か以前と違う表情が出て来ないかどうか観察をしたが、何も出て来なかった。事務所では毎日忙しく擦れ違うばかりで、二人きりの親密な対話は出来なかった。僕だけが落ち着かず、機会あるたびにバビ子を盗み見るようになっていった。一度目のデートをしたために、かえって僕はバビ子と一緒にいられない時間に灰色の砂を感じるようになってしまった。進展しない物語、シミュレーションさえ出来ない行き詰まり感。僕はバビ子からの私的なシグナルを待った。待つ以外にないのか、破局を覚悟に自分の願望を直言した方がいいのか。僕の「連続自己改造作戦」は早くも暗礁に乗り上げてしまった。初デートの夜から時間が経過すればするほど、その夜の数時間が僕にとっては、より深い、あり得ないような奇跡になっていくのだった。

僕の耳にはバビ子からの二つの相反する返答が特に印象深く残っている。一つは食事中の会話で、「今度は肉を食べに行こうか」と誘った時で、バビ子は間髪を入れず、「時間がないし、疲れが蓄積しているので、・・・」と僕の視線を避けるように体をくねらせ、顔の前で右手を左右に振って拒絶の表示をした。一つは、食事後名古屋駅で別れる時で、僕が「時間があったら、また付き合ってください」と言ったら、バビ子は「ぜひぜひ」と弾むように元気よく返答した。後者の返答が所謂外交辞令だとするならば、すべては辻褄が合い、諦めもつくような気がする。しかし、もし後者の返答に彼女の本心が少しでも入っていたのならば、僕は次にどういう接近をすべきなのか。この問題の解はどこにあるのだろう。

 解など自ら見出すまでは存在しない。バビ子は僕の誘いに対しては、その時の気分で返事をするだけだ。その時の気分とは、文字通りその時の気分だ。なるようにしかならない問題について、多くの時間を費やして思い悩むのは馬鹿げている。僕は「連続自己改造作戦」ノートにそう記入した。人生の残り時間は少ない。僕は短期決戦を行う覚悟をした。

問題は2回目の誘いだ。休日の前日の夜に、電話で誘った方が僕の心底を彼女は探り当てやすくなるだろう。しかし、それでは、諾否にかかわらず、彼女の返答時の表情を撮影できない。何のために谷監から超小型撮影機具を預かっているのか分からない。やはり、F2Fで、こちらも敢えて自己像を曝け出す形で責任を持って誘う方が真実の対話になるだろう。男が女に拒絶される可能性というものは、僕の場合に限らず、古今東西、常に高いものだ。それゆえに、純情な男というものは、偶々、天の配剤で、何かの間違いで、ある女から受諾されると、それを希少性の高い、貴重な宝石のように尊ぶのだ。そして、僕は正にそういう純情な男の一人だったし、今もまだ多分そうだと思う。・・・話が脱線していきそうだ。元に戻ろう。僕は作戦ノートを開き堂々巡りをしたが、谷監への報告を手ぶらでする訳にはいかなかったので、結局は、電話作戦に×印を打ち、F2F作戦に○印を打った。僕は最悪のシミュレーションをし始めた。体よく断られる。僕は「やはり駄目か」と悄然とする。と同時に、僕はバビ子の目を、顔を、表情を、言外の言を撮影する。僕は僕の本当の目的を成就する。すなわち、他にはない一回きりの、現実の、女からの拒絶シーンの記録だ。その報告を受けて、谷監はまた物語の展開を考えるだろう。ロボット役のカロリンのではなく、本名寒崎バビ子の素顔に肉薄する決意を、本名山際登呂彦としてではなく、長距離バス旅行中の気紛れ男として、僕は固めた。バビ子に対する誘惑を〈実生活で〉演技するのだ。あるいは、〈虚構の世界で〉真実の抑えがたい情念をバビ子にぶつけるのだ。その結果、僕がバビ子から得る現実の反応は、僕の二つの自己像、すなわち、スクリーンに映し出される気紛れ男役としての自己像と本名山際登呂彦としての自己像、この二つの自己像をどのように変化させるのだろうか。それとも、このような虚実綯い交ぜの、矛盾に満ちた自己像こそが、本来のものなのだろうか。スクリーン上の自分は、無論仮の姿だ。しかし、現実世界に生きている自分も、ひょっとすると、仮の姿かもしれない。もしバビ子が拒絶によって僕の仮の姿を鏡のように割ってしまったら、どうなるだろう。その時、それでもなお僕の心に残るものがあれば、それが僕の変わりゆく自己像の核になるような気がする。その意味では、バビ子は僕を形作る触媒のような働きをする可能性がある。それとも、僕の仮の姿が砕け散ったら、後には何も残らないだろうか。ちょうど波が岸辺で砕け散ったら、後には砂浜の砂しか残らないように。それもいいだろう。最悪の場合、僕は砂浜の砂になって終わるのだ。

その全く予想外の偶然に僕は驚き、胸が高鳴った。原因不明の高熱が出て会社を休んだ翌日のことだった。昼休みに、歩いて10分ほどの所にある白金神社へ行った。熱による疲労感なしに立って歩けるというだけで十分幸せだった。病のないごく普通の日常生活が、病み上がりの身には既に大きな奇跡の一つに感じられた。境内で見上げると、樹木の枝と社殿の屋根に囲まれ狭められた空は、曇っていた。一方で健康体が齎す幸せを再確認しておきながら、一方で、僕の心はやはり、バビ子の不在をうら寂しいと感ぜずにはいられなかった。バビ子と夕飯を食べた高層ビルが、西南の方角に2本の楠の大木の間から見えた。石垣の上に座って、その夕食のシーンを断片的に思い起こしながら、お握りを食べていると、6羽ほどの鳩が地面に降り立ってきた。フランスの或る作家が一粒として同じ石はないと言った話を思い出しながら、足元の地面の小石を見た。確かに色も形も様々だった。こういう小石にもそれぞれ何億年にも亘る物語が潜んでいるのだろうが、僕には到底それを簡潔に描き分ける力がないと思った。僕は数億年、数十億年の物語が詰まっているだろう小石の一つを掌に拾い上げた。運命は、また、運命と言う名辞は、悲しみの色を帯びやすい。突然、私の近くで木の実か何かを啄んでいた鳩が、一斉に羽ばたき、一斉に同じ方角へ飛び立ち、数秒で50mほど離れた家の屋根の上空に移動した。なぜ6羽の鳩が瞬時に一斉に同一行動を取れるのだろうか。この世は多くの謎で満ちている。鳩の謎を解くのと女心の謎を解くのとどちらが賢明な男のすることだろうか。僕は食後、水筒の茶を飲んだ後、楠の大木の下でストレッチを始めた。バビ子はその朝、出勤後すぐ谷監に1時間前に早退したいと申し出ていた。誰かとデートするのだろうか。単なるリフレッシュだろうか。そんなことを境内で考えるともなく考えていた。と、50mほど先の道路に、工事中の家の陰から人影が急に現れた。見覚えのある人影。バビ子に似ている。ひょっとしてバビ子か。バビ子だ。何という偶然か。遠くのバビ子の姿が僕の目の前の木立の葉叢の中に小さく見え隠れした。祈願してはいなかったが、白金神社は霊験灼たかと言うしかなかった。心に思っていた人が突如、その姿を現したのだ。バビ子は石畳の参道を本殿の方へ歩いて来た。僕は百度石の傍に立っていた。僕は石段の上に姿を現して、バビ子が上って来るのを待ち受けた。バビ子も予想外の僕の出現を認めたようなバツが悪そうな表情をした。僕に石段の上から見下ろされていると知ったバビ子は、参道を歩きながら、一度顔を横に逸らした。知り合いに出くわした時などに人がよくする仕草だ。石段の上から石段の下のバビ子に、僕は「お参りですか」と尋ねた。「郵便局からの帰りです。ついでにどんな所か一度寄ってみようと思って、・・・」とバビ子は足を止めずに答えた。いつものように背筋をピンと伸ばした良い姿勢だった。僕との間の距離が近くなっても、いつものように愛想のない顔付きだった。12日の夕刻、金時計の周りの人ごみの中で見せたあの柔らかい上品そうな笑顔は何だったのだろう。僕の胸の高鳴りは急激な落下の感覚とともに消失してしまった。石段の上に辿り着き、そのまま一直線に本殿に向かうバビ子の傍に寄り、一瞬、「ここで抱き寄せた場合の靡く可能性」について透視したが、僕の直感は何の詩情も伴わない拒絶を見ただけだった。バビ子は更に小さな石の階を上り、本殿の前まで進み、賽銭を投げ入れ、参拝した。何を祈ったのだろう。僕は自分に割り振られている役を意識した。自分の出番だった。シナリオの空白部分なので、アドリブに頼るしかなかったが、自分が科白を投げかけなければならない場面だった。白金神社の本殿をたとえ1時間撮影しても、それだけでは物語にはならない。谷監に報告できない。参拝を終えて小さな石段を下りてくるバビ子に僕は再び寄り添った。郷土史家しか立ち寄らないようなすぐ近くの城跡の話を枕にして、(と言っても何の関連性も持たせられなかったが)、本題の2度目の誘いを仕掛けた。厳密な意味では、F2Fにならなかった。バビ子は僕の方に顔を向けようとはしなかった。「寒崎さん、お忙しそうだけど、時間ないですか」科白については幾度かシミレーションを重ねていたが、本番で出た科白は平凡だった。ここで表現された非連続的な物言いは、表現されなかった連続的な心の言を却って浮かび上がらせる効果を齎したかもしれなかった。僕が男と女の関係を望む道筋にいることを、僕自身もこの誘いの科白を吐くことによって明確に自覚した。こうして僕は僕を形作っていくのだろう。役に成りきることによって逆に自分の変貌を遂げ、自分が変貌を遂げることによって逆に役を創出していくのだろう。バビ子の寒色系の横顔から出た返事は、案の定、「2月末日までは忙しい」だった。その答え方には、僕に対する親愛の情が微塵も含まれていなかった。僕はもうバビ子との関係からは何も得られないかもしれないと感じた。と同時に、僕はこの前方通行止めの標識にも似た拒絶の表示を受けて、自分は「何者でもない存在」だという自己認識に一歩近づき得たとも感じた。様々な他人から様々に規定され、様々に名付けられ、様々にファイルされることは避けられない。その度に、僕は、しかし、他人から与えられた名や役に囚われない、或る時は自由に、或る時は不自由に変わりゆく存在になることを憧れるだろう。「何者でもない存在」とは、僕にとっては、そういう意味だった。

バビ子が今日は風邪気味のため昼に早退した。帰って行くバビ子の後ろ姿を盗み見ながら、僕は「本当にこの体が欲しいのか」と自問した。彼女の体が欲しいのではなく、僕の抱擁によって彼女の体に快感と幸福感を味わわせたいだけだ。そう自答した。もしまだ目覚めていないのならば、彼女の体は、僕の体によって目覚めさせたいと思った。その、言わば性的な慈善が、結局は、僕を喜ばすことになると思った。それは、しかし、扉を開けた一歩目の想念だった。更に次の一歩を踏み出せば、変容してゆくだろうことは見えていた。バビ子にとっても性的愉楽は一つの踊り場に過ぎないに違いない。その無形の踊り場の先には、バビ子の新しい可能性へと続く階段が続いているに違いない。僕としては、その踊り場で踊るダンスの相手になりたいという希望があるばかりだった。バビ子が茶系の襟を立てて早退していった後、僕は暫く、現実の世界から逃れ出ていたようだ。谷監の声で谷川映画製作所の事務所内に呼び戻された僕は、それでもなお、心の中で、ここはどこなんだと自分自身に問わずにはいられなかった。また、自分が今は誰なのかも判然としなかった。ドライブインSの中のカロリンの個室の中にいる気紛れな倉庫係役の山際なのか、谷監からカロリン役のバビ子を実生活で誘惑しろとの業務命令を受けている一役者としての山際なのか、役者の仮面も脱いだ何者でもない存在としての山際登呂彦なのか。果たして今は、影として生きているシーンなのか、生活の糧を得るために働いているシーンなのか、命と引き換えにしてもなりたい自分になろうとしているシーンなのか。
「おい、山際君、何を悩んでいるんだい?」左斜め上に目を向けると、谷監が僕の事務机の上の大学ノートを覗き込むようにしていた。近くで見ると、その泥鰌髭にも白いものが増えてきているのがよく分かった。僕がぼんやりしていると、
「日の出信金のゴっさんから制作依頼が正式にあったよ。振り込み詐欺防止対策用の15分程度のものだ。山際君、君とモナミと里間さんの3人で頼むよ」と機嫌良さそうに続けた。
「ああ、あの手のフィルムですね。大洋銀行へ行くと、いつもロビーで流している、あの見たくも聞きたくもないような啓発フィルムですね」僕の代わりに、僕の正面に座っていた助監督の森部が口を挟んだ。
「モリベエ、おまえに任せるよ」そう言うと、谷監は防水機能付きの青ジャケットを肩に引っ掛けて出て行った。
「15分じゃ、あまり金にはならないですね」と森部が独り言のように言った。乗り気のなさそうな表情とは裏腹に、その華奢な手は、早くもキーボード上で、詐欺防止啓発フィルムのシナリオを入力していた。森部は男のくせに色白で、頭髪をいつも七三にきちんと分け、その縁なし眼鏡のレンズは完璧に磨かれたばかりのようで、見る者に清冽な印象を与えた。タパタパタパという操作音に引っ張られるようにして立ち上がった僕は、森部を見下ろしながら、「モリベエ、同工異曲だけは止めてくれよ。大洋銀行のフィルムを作ったのは、ライヴァル会社の志摩プロだ」と言った。滑らかなタッピングを突然止めると、森部は「山際さんのお好きな濡れ場はないですが、濡れ手で粟の犯罪を防止する詩情溢れる短編映画にします」と真顔で答えた。「モリベエ、君に任せるよ」そう言うと、僕もなぜかジャケットを肩に引っ掛けて出て行きたくなったが、勤務時間中なので、近くの1階のトイレではなく、遠くの2階のトイレへ行くことにした。階段をゆっくりと上りながら、「トイレだけではない。ガールフレンドの数もそうだ。いや、ひょっとすると、自分の人格さえも複数持っている方が男は潰れにくいのではないか。その方が幸せになれるのかもしれない」と考えた。唐突から唐突へ、断片から断片へ、愚から愚へ、こういう思考表現の特徴は凡俗によく見られるものだが、僕もその特徴を放尿と共に排出することはできなかった。タパタパタ、タパタパタ、タパタパタパタパタ、タッタタッパタッパタッパタッパタッパパア。

人は人を思いのままに分類し、整理する。滑稽なことに、例えば、守銭奴Aが同僚のBを吝嗇家と分類し、自分自身をあたかも気前の良い人間のように見なして憚らないことがある。あるいは、僕のように自分のことは棚に上げておいて、誰かのことを女誑しと指弾することがある。心理学で言うところの「投射」だ。人前では自己表現せずに押し黙っているのが賢明かもしれない。しかし、ここで語り手の僕が沈黙を続けていたら、物語が展開しない。現実の生活においても、虚構の世界においても、言葉や態度(それが自分のものであれ、他人のものであれ)が真実かどうかは多分最重要なことではないのだろう。と言うより、真実かどうかが最重要でない場合があると言い換えた方がより適切になるだろう。と言うより、真実かどうかが最重要になる場合よりもならない場合の方が多いと言うべきか。と言うより、その言動を受け取る側が、その言動からどういうヒントを得て、それをどう活用するかが最重要なことではないだろうか。誰もいない2階のトイレの鏡の前で、小さな鋏を取り出すと、僕は鼻腔からはみ出た鼻毛を切りながら、心の中で断言した。他の誰でもないこの僕が、主観的に判断する効用がなければ、どんな物語も自分にとっては空しい煙だ、と。

何の特徴もない日、僕はいつもと違って1本早い午前8時5分発の通勤バスに乗った。後方右側に座った。二つ目のバス停で乗り込んできた客の中に一人の青年がいた。大柄で肥満型で、頭髪は角刈りで、その頭の中には奇妙な知性が潜んでいるようだった。乗り込んで来るや否や、大声で何か訳の分からないことを繰り返し叫んでいた。僕の耳にはっきりと入ってきた単語の一つは、「triple soldier」だった。曖昧に聞こえて来たのは、「薄黄色の砂塵」とか「紫色の影」とか「青い雷鳴」だった。何かのゲームの話だろうか。僕が下車しようと席を立とうとした時は、僕の左前の席に大股を開き、窓外へ顔を向けた姿勢で、「さようなら、ありがとうございました」と繰り返していた。「ございました」の部分だけは、特に力を込めて高い声で叫んでいた。僕はなぜか、下車した後も、昼の休憩時間も、夜布団の中に潜り込んでからも、「triple soldier」が頭から離れなかった。どういう意味だろう。「a triple joy」と言えば、「三重の喜び」だ。もしtripleを「三重の」という意味に取れば、急に、そこで、僕の心に響いてくるものがある。ひょっとして「triple soldier」とは、僕のことではないのか。三つの人格が重なっている自分の姿が鏡に映った。好色であると同時に臆病で、なおかつ虚栄心の強い男。薄黄色と紫と青とが三重に重なりながら不規則に蠢いている不定の者。ある時は倉庫係、ある時は俳優、ある時は何者でもない存在。ある時は精勤し、ある時は殺人に加担し、ある時は打ちひしがれる。際限もなく、僕は僕の辞書の中のtripleの意味を追った。

事務所内の掲示板に張り出された3月分の予定表を見ると、バビ子が初旬に1週間の休暇を取っていた。日の出信金防犯フィルムの撮影開始は下旬だった。1週間もどこへ行くのだろう。バビ子の前では予感としては加虐性愛に目覚めそうな僕としては、その加虐の対象の不在に対して一抹の寂しさを感じないこともなかったが、そういう心の傾斜に足枷を嵌められるには、僕はあまりにも気紛れだった。感性豊かな青春時代からも遥かに遠ざかっていた。財布の中は、紙幣よりも診察券の枚数の方が多かった。若い頃は恋心が分別を曇らせた。今は、妬ましさの方がより多く分別を狂わせる。恋心は通常その対象が一人に絞られる。妬ましさはその対象が固定されるとは限らない。むしろ次から次へと移り変わりやすい。いつの頃からなのか、移り気が僕の自己像の表層を作っていた。加齢と共に変化するのは外貌だけではない。心の、言わば佇まいさえ変化してやまない。予定表のバビ子の欄から自分自身の欄へ、僕は焦点を移した。僕は僕で割り振られた予定表の隙間を狙って温泉でのリフレッシュを夢想した。残された少ない時間は、諸事情が許す限り、激烈な行動で埋めねばならない。遅疑逡巡や拘泥は禁句だった。僕は時の歩みを、与えられた関係性を、意味の繋がりのある行間を敢えて超えねばならなかった。僕は僕に適応できない病的な面があると同時にそれを自ら楽しむ面と自ら卑しむ面とがあった。「気紛れ男の長距離バス旅行」の役は、ほとんど地のままの演技で谷監のOKをもらっていた。バビ子の行き先については谷監もモナミも知らないようだった。谷監に聞かれてモナミは軽く、「実家じゃないの」と返答していた。僕は波照間島のキビ畑で働く老夫婦の横にバビ子を置いた。バビ子の長い、遠い不在。僕はバビ子から置き去りにされたような自分の存在に対して寂しい沈黙を壁土のように塗り込めた。気紛れということは、何度も心の同じ場所に立ち返るという傾向もあるということだ。僕は長い間、事務所内の自席に座っていた。右の紙包みを左に置き、左の紙箱を右に置き、机上の物を引き出しの中に入れているうちに昼の休憩時間になった。掲示板の左横のドアから外に出た。僕は網目のように交差している微妙に曲がった路地を当てもなく漂い歩いた。西の空に伊吹山の姿が微かに見えた。僕は台地にいた。その際まで歩くと、眼下にはY川の蛇行も見えた。紆余曲折を経ながらも、最後は海に辿り着く川。紆余曲折を経ながらも、最後は終幕に至る物語。そして、「triple」に拘るならば、ここでもう一つの紆余曲折を重ね合わせなければならない。しかし、僕の直感では、それは予測される均衡を破る形で描出されなければならない。僕は少年だった。帳面の上で数学の問題と格闘していた。何度も数式を書き、何度も消しゴムで消した。解答に辿り着ける道は、迷路での模索のような作業の中で見つかった。あの伊吹山麓での無我夢中の時間が今では愛おしく見える。あの時も、何もない「ゼロの無心」の境地にいたわけではなかった。が、多くの余分なものが、消しゴムで消すたびに心身から脱落していった。僕は、言わば、「一の無心」の境地を切り開いていたようだった。あの時も、ゼロではなく、一つの事に心が捕われていた。それゆえに、その時の僕は、その他の事に捕われることは一切なかった。一あるがゆえの無心だった。数式の横の見えない川を横切り、消しゴムの横の見えない尾根を這いずり上がり、薄青い横罫線の間にとうとう自分の解き明かした答えを書き付けた時には、僕は心を曇らせる何物にも捕われていない超脱の極みにいた。・・・昼休みが終わる前に台地から事務所に戻った僕は、すぐトイレの鏡の前に行き、歯を磨いた。モリベエが自分のパソコンの上の天井の蛍光灯を取り替えていた。
「その2に続く]

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