岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

印象深い場面

「失われた時を求めて」、この長い小説の中で、
最も印象深い場面(あるいは、記述)はどこか。
難しい問題だ。
今までは、パリの女の唇はみな違うという記述だった。
馬鹿げている。
たったそれだけか。
そうそれだけだった。
馬鹿げている。
いや、美しい場面は、無論、あった。
あの水平線に少女たちの頭が載る場面だ。
今は、
すなわち、3回目を読んでいる今は、
この場面だと言いたい。
第3篇の最初のほうだ。
話者の「私」が、
(この「私」は祖母の心を自分の心として生きてきたのだが、
その祖母は今病気になり、死の一歩前にたたずでいる。)
外出しなくなった祖母を、
医者の助言に従い、
家の中に閉じこもっていてはかえって病気を重くしてしまうと考えて散歩に連れ出す。
その散歩時に、祖母は発作を起こす。
「私」は緊急のこととて主治医ではなく、
近くに住む知り合いの医者に診察を頼む。
医者はその日は診察日ではなく、
晩餐会に出かける予定があった。
おまけに、着ていく燕尾服の修繕もしなければならない。
時間がなかった。
しかし、医者は結局は、長年の懇意な関係もあったので、
15分だけという条件で祖母を診察する。
医者は診察室で祖母を診察するが、
その間に、
祖母の文学好きを知っていたので、
文学の話をしたり、詩を引用したり、冗談を言ったりする。
診察は医者の哄笑で終わった。
時間は5分超過していた。
医者は眉を険しくしかめた。
「私」は祖母を診察室の外へ出してから、
再び中に入り、医者に聞く。
医者は「助かる見込みはありませんね。
自分の診断が間違っていることを望みます」と言う。
私は診察室の外に出て、祖母を階段のほうへ連れて行く。

「・・・その時、私たちは大きな怒号を聞いた。
小間使いが略綬章を並べて通すボタンホールを付けておくのを忘れたのであった。
それを付けるのに又10分はかかるだろう。
教授(医者のこと)は
私がもう助かる見込みのない祖母を階段の踊り場で眺めている間も
ずっと怒鳴り続けていた。
なるほど人はそれぞれに孤独なのだ。
私たちは再び家路に向かった。」

この抜書きだけでは、
よく分からないだろうが、
忘れられない場面だ。
考えさせられる場面と言ってもよい。
ここの「孤独」の意味は、どういう意味か。
辞書に載っている意味だけではない。
一人で死んでいかねばならない祖母。
祖母から心理的に自立せざるを得なくなる「私」。
主人の医者の怒号にも平伏して生きていかねばならない小間使い。
そして、
自分の思い通りに進むことを遮られて自分らしさを失う医者。
4人とも、(もっと言えば、人は皆)、
それぞれ自分だけの運命を担って一人で生きて行かねばならない。

文学とは何か。
辞書に載っている言葉で書かれているが、
書かれたものが表現しているものは、
単なる語義以上のものだ。
読むとは、
その語義以上のものをどう読み取るかだ。

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