岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

「松の戸に」

「絶え絶え」と同じほど大切な言葉、
それは「松の戸」の「松」だ。
「松の戸」が何を意味するか。
①粗末な家。
それだけではない。
②その周囲には松の木があり、
その松の木の枝に積もった雪が溶けて
ぽとんぽとんと松の戸に落ちている。
まだある。
③それは連想の仕掛けだ。
すなわち、古今集の次の歌を連想させる仕掛けだ。
「み山には松の雪だに消えなくに都は野べの若菜つみけり」
和歌るか?
「松の雪だに」、この表現から何が和歌るか。
当時、松の枝に積もった雪が一番先に溶けるものと考えられていた、
ということだ。
そうだ、
「山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水」では、
その松の枝葉に積もった雪が溶けはじめたと言っているのだ。
したがって、
ここの「松」は、絶対に「松」でなくてはいけない。
同じ2音の、たとえば、「真木」では歌にはならないのだ。
「真木」では山奥の粗末な家にはならない。
粗末な家でなければ、「あはれ」な気分が生じない。
新古今集の選者たちは、
この「あはれ」な気分が歌の背景に漂うことを理想とした。
「無に向かう移ろい」、「時間の流れ」、
こんなキーワードを使って、
僕はいずれ自分の和歌論を組み立てたいと思っている。

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