岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

あやに愛(かな)しも

擦れ違いざまの一瞬に恋したのは、
ボードレールだったか。
思えば、手軽な例示だった。
一人ボードレールだけではない。
わが「万葉集」にもある。
「柵(くへ)越しに麦食(は)む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛(かな)しも」
 (巻14、3519、東歌)
「柵越しに麦食む小馬の」までは、特に意味はない。
「はつはつに」にかかる序詞だ。
歌の意味は、
「ほんのちょっと逢ったあの子が何とも言えず愛しい」、
これだけだ。
「はつはつに」は「わずかに」という副詞だ。
「子ら」の「ら」は、「僕ら」の「ら」とは違い、
複数を表しているのではなく、
親愛の意を表す接尾語。
「子らし」の「し」は単なる強意。
「はつはつに相見し子らしあやに愛しも」、
誰でも経験することだろう。
プルーストは、この心理現象を
「失われた時を求めて」第3篇あたりで分析している。
わずかな時間に逢うからこそ
愛しいという感情がいつまでも燃え上がるのだ。
俗に言う「夜目遠目笠の内」ともつながる。
しかし、
なぜこの歌が万葉集4500首の中に含まれているのか、
僕には分からない。
どこがいいのか分からない。
しかし、
「失われた時を求めて」の中にも、
あのモーツアルトの作曲の中にも、
つまらない部分は数多くあるからな。
まあ、ええやろ。

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