もの事を決める際、普通に多数決が行われています。職場の親睦旅行の行き先を決めることから国会の議決まであらゆる場面で多数決が用いられます。しかし、なんでもかんでも多数決に頼るのはどうでしょう。現代の日本では多数決こそが民主的だという短絡的な考え方が定着しているようです。では多数決で決めたことはすべて正しいのでしょうか。
多数決の原理とは何でしょう。それは「多数の意見は正しい」とするものでしょう。多数決は多数の意見が正しいとしてよい事柄に関してだけに適用できるのではないでしょうか。ではそれはどんな場合か。多数決で決めたことによって少数意見の者がさほど困らない時だと考えられます。ともかく多数決原理をこの問題に適用してよいか否かじゅうぶんに議論したうえで適用すべきだと思います。ところが日本人は乱暴なことに、どんな問題でもいきなり多数決原理を適用してしまいます。それで少数者が泣かされてしまいます。少数者に対する配慮がほとんどありません。障害者や在日外国人等の少数者への配慮がまだまだ足りないように思います。
多数の意見が誤りを犯したという例はたくさんあります。ソクラテスを死刑においやったのも間違った多数意見です。また天動説も当時としては多数意見でした。第二次大戦も少数の者というより、わが国の多数意見が当時の指導者を支持したから起ったことでしょう。でもその多数意見というものが誤りであったことは明白です。
民主主義=多数決ではないということを認識することが大事なことです。数の論理、数の暴力があってはならないと思います。事の次第によっては”少数決”で決めてもいいのではないかと思うときもあります。
多数の意見は正しいこともあるし誤っていることもあります。
多数決の原理とは何でしょう。それは「多数の意見は正しい」とするものでしょう。多数決は多数の意見が正しいとしてよい事柄に関してだけに適用できるのではないでしょうか。ではそれはどんな場合か。多数決で決めたことによって少数意見の者がさほど困らない時だと考えられます。ともかく多数決原理をこの問題に適用してよいか否かじゅうぶんに議論したうえで適用すべきだと思います。ところが日本人は乱暴なことに、どんな問題でもいきなり多数決原理を適用してしまいます。それで少数者が泣かされてしまいます。少数者に対する配慮がほとんどありません。障害者や在日外国人等の少数者への配慮がまだまだ足りないように思います。
多数の意見が誤りを犯したという例はたくさんあります。ソクラテスを死刑においやったのも間違った多数意見です。また天動説も当時としては多数意見でした。第二次大戦も少数の者というより、わが国の多数意見が当時の指導者を支持したから起ったことでしょう。でもその多数意見というものが誤りであったことは明白です。
民主主義=多数決ではないということを認識することが大事なことです。数の論理、数の暴力があってはならないと思います。事の次第によっては”少数決”で決めてもいいのではないかと思うときもあります。
多数の意見は正しいこともあるし誤っていることもあります。

少数意見はもっと尊重される場合があっていいと思います。少数意見があるから盲目的暴走に歯止めがかかるのだと思います。