
「大仏は見るものにして尊ばず」とは奈良の東大寺大仏殿をはじめて訪れた人がとる行動らしい。手を合わせてお詣りするより前に感嘆の声をあげる「大きいなぁ」と。
大師といえば弘法、太閤といえば豊臣秀吉と相場が決まっているように大仏といえば奈良なのである。奈良といえば大仏である。手話で奈良を表す時は大仏さんの恰好をする。それほど大仏は奈良の象徴でもある。
奈良の大仏さん、本名は「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」(鎌倉の大仏さんは阿弥陀さん)
坐高5丈3尺5寸というから約16メートル(2度の焼失、再建を経て現在は約15メートル)。
聖武天皇の発願で当時流行った疫病と藤原広継の乱をはじめとする世情の不安を鎮めようと建立された。
毘盧舎那仏・・・サンスクリット語のヴァイロチャーナ(輝くもの、すなわち太陽を意味する)を音訳したものである。
奈良の大仏さん、毘盧舎那仏は太陽そのもので、この宇宙の中心で四方八方に光を放つ仏さんである。
したがってけた外れの大きさでなければならない。聖武天皇はこの世のものすべてに光をあてようとこの大きな仏を建立しようと発願したのだろう。
奈良の大仏さんは太陽。お目にかかって「大っきいなぁ」と見上げるだけで手を合わさなくとも御利益は充分にあるんだと思う。すべてのものに光を当てて下さるのだから。
大量の銅や金、木材を使い延260万人が関わった事業は壮大なものだったようです。
その副産物として環境破壊と金属公害がもたらされたことを聞くと複雑な心境になります。
いつの世も『光と陰』があります。陰の部分を見逃さない為政者ってなかなか現れてくれませんね。