シケた話さ!嗚呼、シケタタケシ!

ブログでしけたたけしは何をどう伝えられるだろう

この発想はなかなか出ないね。

2017年08月10日 16時32分41秒 | Weblog

もはや天才の発想……! 白塗りの人が納豆の上を歩くヌルヌル動画「納豆コマ撮り」がなんかくせになる

↓↓↓↓↓↓↓↓(元ネタ記事) 

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/29/news034.html


ミニストップ店長の必死さは偉い。

2017年08月08日 16時36分31秒 | Weblog

これを見た通行人がツイッターにアップしたら「やりすぎだ」って批判の声があがったって。ミニストップの店員の自作自演の駐車違反の撲滅キャンペーンだったってね。でも絶対効果あると思うよ。素晴らしいアイデアだと思う。ヤンチャな奴でもこれ見たら違法駐車しようと思わないよ。
物事には深い理由が色々あってこういうことをせざるおえない状況みたいなのを深読みして俺だったら単に「わ!めっちゃ厳しいことしてる!4万円なんて高すぎだろ!でもいつも駐車違反で大変なんだろうな。普通ここまでしないもんな」って思うだけ。極端なことする人って何かしら抱えてるっしょ。
嫌ぁーな物事に直面したら「なんでそうなるの?」って少し考えるだけでも本質がちょっとだけでもわかるかも知れない。俺らってほとんど自分の思い込み、決めつけで楽に処理しようとしちゃうから。
「決めつけが悪いって決めつけんな!」って言われそうw

↓↓↓↓↓(元ネタ記事)

http://www.asahi.com/articles/ASK8756K0K87UTIL02X.html


ララランドの批評。

2017年07月22日 16時41分07秒 | 映画

この映画をみた感想は「めちゃくちゃ良い!ってわけじゃあない」です。この記事を見てなるほどと思ったのは、確かにこの映画は「賞を絶対取りたい!」っていう商業主義のオーラが半端なく出てた気がした。大体の映画は賞を取りたいし、商業的に成功したいんだけどね。
ネタバレを含むので、まだ観てない人は以下の僕の感想文は読まないで下さい。
この映画に関しては主人公の2人が商業的に成功したい芸術家なのでそもそもが無茶な夢を追い求めてる多少の才能に恵まれた人間の物語なんで「諦めなきゃ夢は叶います。恋愛もいいけど夢の方が大事です」っていうメッセージが安っぽく感じてしまった。ちゃっちい人生観で商業的には成功した単なる小物タレントの恋愛話で終わってしまっている。オチのあたりでもっとなんか人間の深淵さを表現できた気もするんだが。大した感想文じゃないけどこれが言いたかった。

↓↓↓↓↓(元ネタ記事)

http://toyokeizai.net/articles/-/160362


「悪口を言うのは良いこと」と心理学者はいう

2017年07月11日 16時46分06秒 | Weblog

若い頃は影で人の悪口を言う前に直接本人に向かってズバッと言いたい!って思ってたけど全然直接言えなくて陰口も言わないから色々んな事で結構いっぱいいっぱいになってた時期が若い頃結構あったけど歳を重ねるにつれ人の悪口を言えるようになって来たら、いっぱいいっぱいになる事がほとんどなくなった。弱い自分自身を受け入れて許したって事だと思う。自分の弱い所、ダメな所、どうしようもない所を世の中に対してフルオープンにしてやるぜ!

↓↓↓ホンマでっかTVでの植木理恵先生の「悪口を言うことの長所」

https://www.facebook.com/takeshi.t.sakamoto/videos/1578427632176925/


無料のスーパーマーケット!素晴らしい!日本でもやってほしい!

2017年07月08日 16時53分32秒 | Weblog

世界初「すべて無料」のスーパー 値札なし、レジもなし

元ネタ記事

http://www.asahi.com/articles/ASK775T1GK77UHBI037.html


やっべー、もうそろそろじゃん。。。厄年

2017年06月11日 23時09分05秒 | 自己紹介自己分析

おれが献身的?自己犠牲?ぜんぜんしらなかった俺って潜在能力あるなー。そんな才能はいまのところふかーくふかーくもぐりすぎててちゃんと出て来るか難しいだろなぁ。駄目駄目、俺をますます増徴させるこんな占いは信じません!、、、、、少ししか!


俺の嫁は繊細で完璧主義

2017年06月02日 15時51分19秒 | 自己紹介自己分析



占いで縁のありそうな結婚相手はこんな感じらしい。
算命学という占い。
誕生日の占いっていうのは、中国4千年という長い年月の統計をとって出された複雑かつ細かく割り出す〝人格統計学らしい″

 


下の図は誕生日から割り出た、読めない漢字が枠で並んでいる人体星図というもの。一見は何だかよくわからないけど。。。
↓↓↓↓↓↓↓




右側の何だか読めないような漢字がマス目に並ぶ。(もし自分のを調べたいならネットでわかる→http://www.sanmei-gaku.com/sanmei/jintaiseizu.html)

1番左の真ん中の調舒(ちょうじょ)と書いてある場所を見る。

↓↓↓↓↓↓↓





だそうです。

俺は毒舌ズバズバだからヤバイなこりゃ。一生結婚なんかできねえな。。


ユンピョウvsスピルバーグの代表曲メドレー

2017年05月12日 01時45分52秒 | コミックバンド

 
 

伝説のコミカルミュージカルロックバンド「ユンピョウvsスピルバーグ」の代表曲メドレー。youtubeで聞けます。
↓↓↓↓↓↓↓

https://youtu.be/NFFMKCF_u3s
 
 

☆メンバー紹介
↓↓↓↓↓↓↓

http://blog.livedoor.jp/yunsupi/archives/4741497.html

 

☆その他の動画

「ユンピョウ走るッ!!ライブ映像」
https://www.youtube.com/watch?v=oq7ZkBMqICA

「蒼」・「ミラクルビキニ」
https://www.youtube.com/channel/UC-yoU0kRti5Z3kvpgkzN0XA

「最後のトライアンフ・Q-Version」
https://www.youtube.com/watch?v=DUL_15ApLZs

ライブ・PV映像など
https://www.youtube.com/user/kalansuzuki/videos

 

 


心理学の本読んだ

2017年05月11日 03時27分19秒 | 書籍


ホンマでっかTVの植木理恵さんの本!

心理学なかなか勉強になった!

人の心は面白い!

裏庭の虎落 in 実家 at GW

2017年05月09日 15時26分09秒 | 故郷
GW中に実家の裏庭の垣根の剪定をした。親から「裏のもがりを切ってちょうだい」って頼まれたけど、もがりってどういう字書くの?って思って調べたら「虎落」だって。虎落は本当は竹で作る物らしい。木の名前を調べたら「マサキ」だった。実家のほうじゃ垣根の全般のことを「もがり」って呼んでるんだな。虎落をもがりって読むことを決めた昔の人、やり過ぎです。


剪定前の垣根



剪定後の垣根




amazarashiのナモナキヒトを唄った

2017年04月25日 11時20分44秒 | 詩のいい曲

素晴らしい曲なんで唄っちゃいました。俺のへたうたですみませんw。
本人の方がずっと良いですがここは敢えて。
たぶん三年経って歌えるキーが上がってると思うし
アレルギー鼻炎も今のほうが良くなってるっぽいんでまたそのうち再録したいです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qQ7PpNe5L7Q

 

 

 

ナモナキヒト  by amazarashi

 https://www.youtube.com/watch?v=uWkoU--KFtQ


一人の夜の寂しさを 言い訳にしてみても
傷つける為の言葉は 空しくなるだけ 
それでも 心に穴が空いて そこに流れ込んだ泥水は
全部吐き出さなきゃ 苦しくても吐き出さなきゃ

上手くいかないときは 何をやっても駄目で
駄目だ駄目だって思ってりゃ 上手くいくもんもいかないよな
カーテンの隙間から 朝日が急かしやがるんだ
もう出掛ける時間だよ しょうがない出掛けるか

名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が
ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ違ったのだ
それを 出会いと呼ぶには つかの間過ぎたのだが
名前を付けてくれないか こんな傷だらけの生き方に

誰かが君の事を 悪く言っていたとしても 
大丈夫 人の生き方は 良い悪いではないのだ
目の前の分かれ道の 選択に悩みこそすれど
それを不正解と言ってしまう選択こそ 
最も不正解なのだ

上手く行かない時は 人のせいにしそうなもんで
それを自分のせいにしてる 君は優しすぎるから
駅のホームでも ため息さえ飲み込んで
息を詰まらせているのは 全く君らしいよ

名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が
ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ 違ったのだ
それを 運命と呼ぶには ありふれていたのだが
名前を付けてあげるのだ その傷だらけの生き方に

人知れず流した涙 隠していた悔しさ
名付けられる事無い 詠み人知らずの悲しみ
ビルの風に舞い上がり 路地の隅に吹き溜まる
始めから無かったみたいに忘れるか
僕達の名も無き悲しみは 今こそ讃えて然るべきだ
僕達の名も無き悲しみは 君に見つけられるのを待っている

名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が
ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ違ったのだ
それを 必然と呼ぶには 瑣末過ぎたのだが
今こそ 名前を呼び合うのだ この傷だらけの生き方の
名も無き人

一人の夜の寂しさを 言い訳にしてみても 傷つける為の言葉は 空しくなるだけ それでも 心に穴が空いて そこに流れ込んだ泥水は 全部吐き出さなきゃ 苦しくても吐き出さなきゃ 上手くいかないときは 何をやっても駄目で 駄目だ駄目だって思ってりゃ 上手くいくもんもいかないよな カーテンの隙間から 朝日が急かしやがるんだ もう出掛ける時間だよ しょうがない出掛けるか 名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ違ったのだ それを 出会いと呼ぶには つかの間過ぎたのだが 名前を付けてくれないか こんな傷だらけの生き方に 誰かが君の事を 悪く言っていたとしても 大丈夫 人の生き方は 良い悪いではないのだ 目の前の分かれ道の 選択に悩みこそすれど それを不正解と言ってしまう選択こそ 最も不正解なのだ 上手く行かない時は 人のせいにしそうなもんで それを自分のせいにしてる 君は優しすぎるから 駅のホームでも ため息さえ飲み込んで 息を詰まらせているのは 全く君らしいよ 名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ 違ったのだ それを 運命と呼ぶには ありふれていたのだが 名前を付けてあげるのだ その傷だらけの生き方に 人知れず流した涙 隠していた悔しさ 名付けられる事無い 詠み人知らずの悲しみ ビルの風に舞い上がり 路地の隅に吹き溜まる 始めから無かったみたいに忘れるか 僕達の名も無き悲しみは 今こそ讃えて然るべきだ 僕達の名も無き悲しみは 君に見つけられるのを待っている 名も無き僕 名も無き君 何者にもなれない僕達が ぼろぼろに疲れ 流れ着いた街で たった今すれ違ったのだ それを 必然と呼ぶには 瑣末過ぎたのだが 今こそ 名前を呼び合うのだ この傷だらけの生き方の 名も無き人
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4/18の夕方

2017年04月19日 16時07分31秒 | 風景

シケタタケシは嫌われる勇気、幸せになる勇気を読んだ!

2017年04月19日 14時55分35秒 | 書籍


嫌われる勇気を去年読んで、先日に続編の幸せになる勇気を読み終えた!

この2冊は俺にとって毎年一回は必ず読みたいと思える本だと思う。

個人差で色んな悩みがあるだろうが、自分自身の深層心理が問題を作ってる、大まかに言えばそんなようなことだ。

勇気のない奴はゴールデンウィークはこの本を読め!。

「家政婦は見た」の女優、市原悦子の放送禁止用語発言問題

2017年04月18日 04時21分01秒 | 怒り
まずは問題の動画。NHKあさイチの市原悦子出演の動画。
28分35秒あたりから声優を務めた「まんが日本昔話」のトークがはじまり37分00秒から問題のトークシーンになります。
この動画を見ればメディアの取り上げ方が大げさだと感じるでしょうし、NHKも謝罪の必要が本当にあったのか?有働アナは決まりきった謝罪文章が書いてある紙を読みながら大して悪びれた感じもなく「~深くお詫びいたします」と閉めた。1:28:39頃。
 
https://www.youtube.com/watch?v=8zwe9LIO7YY
 
一般的な意見
https://www.j-cast.com/2015/05/23235947.html?p=all
 
市原悦子さんは何を伝えたかったのか。NHK局の立場や差別用語の謝罪をしなければならないのはわかるが、根本的に、言葉以外にも表現の自由を奪っている、過度なTV局の自主規制の歪みが徐々に国民を脆弱化、無知化させていないかって常々に僕は思う。現在では差別用語として扱われている言葉が使われているセリフがあるため再放送が難しいが、内容がとても子供たちの為になる昭和のアニメ作品や子供向け特撮ヒーロー番組が多々ある。それはとてももったいない。

何年か前に渋谷を歩いていて少し離れた所から若い女性の驚いたように叫んでいる声が聞こえたのが「きゃー、しんしょう気持ち悪い!」という言葉だった。俺は呆然として声の方角に顔を向けて現場を探したが2,30メートル離れているし人混みのせいで立ち尽くしたままで加害者も被害者も探すのを諦めた。少し老けた今の自分ならひどい言葉を言われてしまった被害者を慰める為に見つけるまで探すだろうが当時はただとても悲しくなったと同時に自分の無力さに情けなくなった。

仮にもし差別を受けるような人々がもっとテレビなどで露出が増えたり我々ともっと身近な存在になったら街の中で本人にむかって大声で叫ぶ女も居なくなるだろうと思うんだ。テレビを見ている家族や友人同士で意見の交換にもなるはずだ。テレビに出るべき、でるべきじゃない、もっと身近になるべきとか。

身体障害者の方がTVで実際に言っていたことが「健常者の人たちはもっと自分をからかってほしい。腫れ物に触るように扱われ、気を使われるよりも普通の人間として冗談を言い合ったりお互いをバカにしたりからかい合ったりできるような人間関係を築きたいと願う。自虐ネタを言う時は大声でわらってほしい」という様な事を言っていた。それを今でもずっと覚えている。俺がこうして地味に書いているだけでも今は隅の方に追いやられている彼らが毎日を堂々と過ごせる環境に近づく手助けになればいいと思う。

差別用語を使うから差別になるんではなく、差別する人間が発する言葉が差別用語になるんだ。

っていう考え方の俺が演技の勉強の為に市原悦子さんのドラマを観たりウィキペディアで調べていたらNHKで問題発言があった等と書いてあったので調べてみた。もう2年も前の事だが、NHKでの市原悦子さんの問題発言についてのまったく素晴らしい内容を書いている藤本貴之氏の記事を載せました。現在病気療養中の市原悦子さんの完全回復を願うばかりです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

 

 

元記事

 

http://blogos.com/article/113393/

市原悦子の不適切発言?NHKの文脈をふまえない「放送禁止用語」認識こそ「卑猥」

藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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女優の市原悦子氏がNHKのトーク番組で、障害者を意味する「かたわ」、外国人を意味する「毛唐」を発言し、それに対して司会の有働由美子アナが謝罪したことが物議をかもしている。

番組は、5月22日に放送されたNHK総合の情報番組「あさイチ」。話題になっている部分は、市原氏が長く「まんが日本昔ばなし」(TBS)で声優を務めた経験を語り、その中の「一番すきな作品は『やまんば』」という話題で起こった。

その全文を引用する。

市原悦子「世の中からズレた、ハズれた、落ち込んだ人が山に行って。例えば『かたわ』になった人とかね。それから『人減らし』で、長男は良いけど『次男は捨てる』とかね。外国から来た『毛唐』がバケモノだ、とかね。そういう人が山で住んでいて、髭ぼうぼうになって、疎外された人たちが『やまんば』の原点だと勝手に解釈するんです、私。そうすると、彼らは大変な反骨精神と憎しみがありますよね。だから人に対する攻撃がすごいですね。そのかわり心の通じた人とはこよなく手をつなぐ。その極端が好き。」

以上である。

現在、「かたわ」あるいは「毛唐」は差別用語であるとされ、公の場での利用は事実上、制限されている。何をもって差別用語であるか?  妥当性はどうか? とった議論はさておき、利用が自粛すべきとされる放送禁止用語(自主規制)に該当する言葉であるようだ。

「かたわ」(片輪・片端)とは、その字からもわかるように、2つあるうちの一方が欠損している状態から、「障害(者)」を意味することばとして利用されてきた。

片方の欠損というマイナス印象の言葉であるからこそ、差別的と取られていることは理解できる。それを障害者を表現する言葉として利用することにマイナス性、すなわち差別性があるという解釈なのだろう。

しかし、ある2つ以上ある事物の「一方が有る/長い」状態をプラスと解釈し、「一方が無い/短い」状態をマイナスと解釈することは実に無意味で、合理性がない。

ようは「ある/ない」「長い/短い」という表現の違いであり、それが意味することは同じである。「片方がない人は、片方がある人」だし「片方が短い人は、片方が長い人」なのだ。そう考えれば、マイナスではなくプラスと表現すれば利用できるのか? という疑問も起きる。つまり、「かたわ」とは「片方が立派に存在している状態である」という解釈だ。詭弁だろうか。

「毛唐」(けとう)とは、古くから日本に来航する外国人を「唐人」(からじん・とうじん」と呼んできたことに由来する。外国人(唐人)が、日本人に比べて濃い体毛を持つことから、「毛」がつけられた呼称であろう。彼らが日本に伝え、それを語源とする食材は「唐辛子」「とうもろこし」(唐黍)など数多い。

こちらも「かたわ」と同様だ。毛むくじゃらの外人という外見だけで判断した表記が差別的であるするれば、「白人」や「黒人」はどうなのか? 肌の色が白いことや黒いことを嫌悪している「白人」や「黒人」だっているだろう。

筆者の海外の知人(ブロンドヘアの白人)は、白肌ブロンドを嫌悪し、日本人の黒髪に憧れて、必死に髪を黒く染め、褐色のファンデーションのメイクを好む。その彼女に対して「ブロンドの白人」は侮辱的な表現になるはずだ。

他にも外国人の形容として、欧米人特有の高い鼻をもってして「天狗」などと表現されたことがあるが、なぜか「天狗」は差別発言・放送禁止用語にはなっていない。

言葉が持つ差別性とは、必ずしも「言語それ自体」にはない。同じ言葉でも、使い方や使う場面、あるいはそれを発する側の意図や状況から、差別表現や侮蔑にもなれば、まったくそうはならない。むしろ、状況を理解する上で、適した表現になる場合も多い。

さて、そういった観点から、今回の市原発言を見てみたい。

当時(日本昔話の頃)の状況を的確に伝えるための表現として「かたわ」あるいは「毛唐」が利用されている。昔の人々がもっていた「異質」な対象への偏狭な差別意識や偏見に対する、「かたわ(障害者)」「毛唐(外国人)」の当事者たちが持つルサンチマン(憤り・怨恨)が、「やまんば」として得意な存在、キャラクター(あるいはその話)を作り出してきた、という話である。

そういった彼ら・彼女らのルサンチマンがある一方で、心を許した相手に対する深い愛情をもっていたアンビバレンスな魅力。それを伝えるために、それを意図して市原悦子氏が、当時の言葉として「かたわ」「毛唐」を使ったということは、誰だって理解できる。何よりも、市原氏が「一番好きな話」のことを語っているのだ。

むしろ、これを差別・偏見というなら、そう感じる人は、「女子高生のセーラー服」や「看護婦のナース服」や「ミニスカート」を見た瞬間に、「卑猥なコト」を連想する人と同じだ。「セーラー服やナース服は男性の性欲を刺激する」という偏見を持つ人こそ、常にそう思っている人なのだろう。

当たり前の服装や存在を、やましい心と目で見る方が卑猥なのだ。常識的な感覚でそれが使われている状況を理解できる人であれば、そんなものを見ただけでは卑猥だとも差別とも思わない。

もちろん、内規・自主規制として定めてある言葉を使ったことへの「自省・反省」からの謝罪であるならばまだ理解はできる。「共演NG」「スポンサーNG」のような暗黙のルールはメディアである以上、持っていてしかるべきであるからだ。

しかし、理解できないのは、有働由美子アナが、

「体の不自由な方や外国人の方々を傷つける言い方でした。深くお詫びいたします」

という謝罪をしたことである。市原悦子氏の発言の文脈上、どこに「体の不自由な方や外国人の方々を傷つける言い方」があったのか。もしあったとすれば、それを説明する必要があるのではないか。「そう決まっているんです」というだけで納得できる人はいない。

むしろ、「オタク」やら「引きこもり」といった現代的なトピックをNHKが取り上げる番組は多いが、そこで紹介され、描かれる「オタク」や「引きこもり」はステレオタイプなまでに差別的(侮辱的)であることは少なくない。

NHKが定める自主規制の放送禁止用語の妥当性や是非はここでは議論はしない。しかし、それをさておいても、その謝り方や姿勢は、どう考えても常識的な理解の範疇を超えていると思えてならない。

藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

 

元記事

http://blogos.com/article/113393/

 

 

 

 

 


シケたたけしはララランドを観たぜ。

2017年04月17日 13時18分12秒 | 映画
 

ミュージカル映画。それぞれの自分の夢を追う男と女の恋の模様。

とにかく主演女優が感情豊か表情豊かでこりゃアカデミー賞取るっていうのは納得するぜぃぃい。

個人的な評価は6つ星。

映画全体は物凄く素晴らしいっていえる感じじゃねえけど、悪くもねえわけだ。

他の人に感想を聞いたらものすげー良いっていう人らが多数。

ものすげー良いのもわかるよ。でも、良くないって言う人の感情もわかるわなぁ。

ストーリー的な好き嫌いなのか、音楽やダンスの好き嫌いなのか。

でもな、観ている最中のワクワクドキドキ感はとても、とっても良いんだよ。

普通の暮らしもできるのにあえて夢を追いかけて頑張る事ってのわぁ、

ほんと、揺るぎない信念と情熱を腹ん中に持ってるってことよ。

おう、ララランド、ありがとよ。