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事故の進展

2013-03-15 11:01:28 | 脱原発依存
1) 1~4号機における事故の進展

福島第一原発の各号機における被災状況とそれぞれの事故の進展に関しては、既にいくつかの調査報告書において時系列的に解説されている。そこで本報告書においては、そのような時系列的な解説を繰り返すことは控え、同時に被災した1~4号機の原子炉に対し、福島第一原発の運転員がどのような対処を試みたのか、その全般的な流れを総合的に整理した。

a. 平成23(2011)年3月11日

① 当初、最も危険だとされた2号機
地震によりスクラム停止し、主蒸気隔離弁の閉鎖によって復水器への排熱が遮断された1号機の原子炉には、もともとICによる圧力調整手段があった。ICは、これ自体が最終ヒートシンクであり、原子炉からの崩壊熱を蒸気管から受け入れ、内部の細管を介して胴側の水に伝えることで除熱の機能を果たす。やがて胴側の水は沸騰して減少し始めるが、これを補給するための系統も準備されていた。非常用ディーゼル発電機からの交流電源とともにバッテリーからの直流電源も喪失し、ICの操作ができなくなってしまったが、それが、ICが隔離されたタイミングにおいて発生していたことによって、その後の事故の展開を急激に悪化させた。

しかし、このときの1号機において起こった重大な状況の変化が関係者の間で認知されず十分に共有もされず、その代わりに、運転状況が不明となった2号機のRCICに注意が引き付けられた。交流電源と直流電源の喪失は2号機においても発生したため、そのことによって、それまで正常に運転をしていたRCICが停止してしまったのではないかと推量したからである。その場合、原子炉水位は21時40分までに有効燃料頂部(TAF)レベルまで低下することになる。そのため東電は16時36分、原子力災害特別措置法第15条に該当したと判断し、このような事態を政府に報告した。

3号機

2013-03-14 17:24:36 | 脱原発依存
c. 3号機

① RCICやHPCIによる延命はどのような影響を伴ったか
3号機原子炉建屋における爆発の後、最上階から水蒸気の白煙が激しく立ち上るのが観察され、自衛隊のヘリコプターによる散水が行われるきっかけとなっている。

やはり原子炉建屋が爆発した1号機においても同様な状況であったと推測されるが、このような規模の漏えいを生じさせ、閉じ込める機能を失った原因は、効果的な原子炉の冷却が行われるまでに長時間を要したことによって、格納容器が長時間にわたって著しい高温・高圧環境にさらされたためであったと考えられる。

結局、RCICやHPCIの運転による延命は、後にこのような影響を伴う潜在性を秘めていた。

② 直流電源が生き残ったにもかかわらず、事故を回避できなかったのはなぜか
3号機の場合、直流電源盤は浸水を免れ、SR弁操作やベント操作のための空気作動弁の開操作が可能な状態が3月13日2時42分まで維持され、また、HPCIも運転可能だった。しかし、状況が複雑化し混乱した中では、この幸運を十分に生かすことはできなかった。

後日、ある国外のBWRプラント運転事業者が、本事故に臨んでどのような運転上の対応を行うことで早期に事態の収束を図ることができていたかを評価し、その趣旨を論文にして発表している[50]。その骨子は、原子炉水位の維持に拘泥せず、注水ポンプの吐出圧力を下回るまで速やかに原子炉を減圧し、その後に間髪を入れずに注水して一気に原子炉圧力容器を冠水するというものである。

直流電源の喪失を免れ、SR弁の操作が可能であった3号機にのみ、この実行による原子炉事故回避の可能性があった。しかし、発電所内外に依頼した救援もその優先順位は全電源を喪失した1、2号機よりも劣後し[51]、注水のための消防車は全台1号機の対応のために充てられた。また、他の災害援助の要請との錯綜や交通網への影響のために迅速な対応が期待できず、実行のための好機を逸した。

やがて原子炉水位が低下し、HPCIが自動起動した3月12日12時35分時点でも直流電源は維持されていたのであるが、翌日の3月13日2時42分、ついに直流電源が消耗してからは実質的に1、2号機と同じ状況に陥ったことになり、その後の原子炉の強制的な減圧操作や格納容器のベント操作はやはり困難を極めた。しかも、ようやく成功したベント操作は、確かにその後の復旧活動を前進させる上で不可欠な役割を果たしたが、その一方で、4号機原子炉建屋での爆発を誘発してしまった。