世の中は不思議な事だらけ

化学系の職業だし、見て見ぬふりし続けてきました。最近はそういう不思議な事をちょっとずつ書いていこうかなと思っています。

長野群馬県境のドライブインと同じ

2022-06-07 01:58:00 | 怪談
長野群馬県境のドライブインという怪談実話は有名ですが、あの怪談はおそらく2013年頃の話だと思います。

私たちが件のドライブインを見たのは、1991年か1992年のことです。

有名な2013年の怪談の中に登場する失踪者の女性が失踪した頃より更に10年は前の話。

長野諏訪出身の父母の実家の墓参りの帰り道でした。

峠を越えて、群馬を通り抜けるつもりでした。峠のトンネルを抜け、山の森林を通る道。

1本道で間違えてはいないと旦那は言っているが、道でも間違ったのかと思われるほどまったく街の明かり一つ見えてこない。

かれこれ1時間40分以上走っている。

暗闇の林間を走っていると妙な感じがしてきたのだ。空間が変なんだ。時間も怪しい感じ。

長野や山梨の方ならわかると思うけど、山道ならつづれおりに道が曲がっているのが当たり前なんだが、

この1時間以上緩やかなカーブしかなかった。絶対おかしいと思った。

ガソリンも心配だし、何よりペットボトルの飲料が大好きな旦那はすっかり飲み終わってしまった。

自販機でも見つけたなら寄って買いに行きたがる頃あいだ。

地図を眺めたが、道は間違っていないようだ。この時代はカーナビも携帯も持っていなかった。

一般的に普及していなかったのよ。

おかしいねーって言いながら、車を進めていると、こんな山の中にドライブインの明るい看板が見えてきた。

だが、まがまがしい感じがわんわんとする。

ペットボトル飲料ほしさに寄ろうとしたら全力で反対してやろうと、

ぎゅっと握りしめた拳がガタガタ震えていたのだが、あっさり通過した。

すると20分もたたないうちに街の明かりが見え、町の中のコンビニエンスストアに到着した。

そこでなぜさっきのドライブインに寄らなかったのかと聞いたところ、「古臭いの嫌いなんだよ」

とのこと。 助かった。旦那の新し物好きのおかげで危うきを逃れることができた。

2013年の長野群馬県境のドライブインという怪談を読んだとき、これ同じドライブインだと思った。

本当にあの時寄らなくてよかった。死んでたかもしれないと思うと今でもドキドキする。



長野群馬県境のドライブインの話と私たちの時の共通の部分はドライブインが見えてくる前、

所謂逢魔が時から件の場所に差し掛かり、日没に至るまで異常に間延びしたドライブ時間があるということだ。
異世界へのワープの工程なのかもしれない。

虹の橋

2020-12-16 22:20:39 | 日記
今日、14歳4か月で、家族の一員だったチワワの裸で輝く男ことらきお、ラッキー君が虹の橋を渡りました。朝ご飯を用意している間にけいれんと呼吸が止まり、命の炎が燃え尽きたのです。
水頭症と戦い、すごいあっぱれな最期でした。
かわいらしい顔とふさふさのロングコートが自慢のわんこでした。人に興味がなく、犬それも男ばかり好きで、やさしい男でした。
水頭症はチワワにありがちな病気です。6歳ぐらいから寝ていることが多くなりました。と同時に鼻水が多くなりました。
8歳ぐらいから眼球が時々ぐっと突き出るようなことが目立ってきました。
10歳を超えてから、白内障、緑内障、後ろ足の亜脱臼もちょっとあり、散歩の距離が減りました。
13歳の時、水頭症の耳からの感染症で急性増悪。プレドニン、抗生剤服薬で、眼振やふらつきは多少改善したものの、徐々に歩けなくなり3か月後には寝たきりになりました。その1か月後には初めてのけいれん発作。ここから、食事が徐々に難しくなっていきました。右側の口に力が入らなくなり、硬いフードは食べることができず、ふやかしたものも嫌いで、あの手この手の暗中模索が始まりました。
おむつは普段家に寝ているときは動かないので、人間のたっぷり安心吸収を2~3回に分けてあてがいずらして使いました。この頃膿皮症になり、背中を剃り治療しました。
けいれん発作は3か月に1~2回起きました。けいれん発作が起こるたび麻痺が進み、体の動かせる場所が減りました。膿皮症は完治することなく、皮膚のあちこちで再発。こまめにシャンプーすることしかできませんでした。大体1日おきか2日おきにシャンプーしました。
14歳の誕生日の後のけいれん発作の後ぐっと悪くなり、何も食べることができなくなりました。ペットと一緒に食事できるレストランに行きみんなでディナーを食べました。するといい匂いに誘われたのかお肉にくらいつき、元気を取り戻しました。匂いはまだ効くようでした。またしばらく元気に寝たきり生活をしておりましたが、1週間前に突然けいれん発作がおこり、また食べることができなくなりましたが、大好きなちーかまやマクドナルドのチースバーガーのお肉を少し食べてくれました。
昨日は具合が悪いのか、私の姿が見えないと鳴いて呼びます。普段はおしっこ出たときやお腹すいたときだけ鳴くのですが。チュール総合栄養食を1本食べてくれました。水を飲んだ後夜8時ごろに強いけいれんが起きました。1時間たってもやむことがなく、ダイアップ4mg1本入れました。ウンチと一緒に出てしまい。2回入れ戻しました。3時間以上だっても収まらず、もう1本入れました。まったく効果なく、獣医さんに電話相談。もう打つ手はないとの回答。時間も11時過ぎ。仕方なく激しいけいれんをただ茫然と眺めるのみ。朝6時激しく飛び出ていた眼球も引っ込んで、けいれんも穏やかになりましたが、やむことはなく6時10分ごろ、けいれんが止まると同時に呼吸も止まり、犬生を静かに終えました。
水頭症と戦い、苦悩した日々が終わりを告げたのでした。
家族みんなでペットセレモニーで火葬、パウダー処理していただき、帰ってきました。
この日記が同じ病気で困っている、悩んでいる方の一つの目安になればと思います。

UFOって神様?

2020-08-29 04:27:52 | UFO
 
これはまだ私が幼かったころのことだ。
家のお風呂の給湯器が故障して、しばらく銭湯に通うことになった。初めは秋で段々冬が迫ってきている頃だった。弟は母に負ぶわれて、私は父に肩車してもらって夕暮れ時を歩いて銭湯に向かっているところだった。
 毎回「一番星みーつけた。」と言って、一番星をいつも探していた。その時はうちの家族と2~3人従業員さんの7~8人で銭湯にむかっていた。ある日いつもより少々遅くなり、すっかり夜のとばりが下りて、空には星が瞬いていた。肩車の私は暇だから、夜空を見上げていた。東京の夜は今よりは星があったが、長野県に比べると星座が見つけやすい空だった。暗い星は見えないからだ。
 ぼーっと見上げる星の中にすーっと早く動くものがあった。当時の金星よりも明るかった。父の頭をペチペチとたたき、「ねー、あの動く星なんて言うの?」と言うと、父は「流れ星かな?あれれ?あらぬ方向に、、、おい、みんなあれなんだろね?」
 飛行機かな?とか、ヘリコプターかな?UFOかな?と大騒ぎになった。調布飛行場が近かったので、飛行機も、ヘリコプターも見たことはあるし、動き方についても大体わかっていた。大きくWを描いて、ものすごい速さで動いているのだ。俗に言うUFOらしい変わった動きだった。最後は流れ星級の速さで見えなくなった。
 ただ目撃しただけなら、よくある目撃談で終わる。でも、私は感じたのだ。私たちが楽しそうに談笑しながら、銭湯に向かって歩いているところを望遠鏡で観察し、微笑んでいる。こちらの様子を良々と思っている。のを。でも、この後半の部分は、私が感じただけだから、確証がない。だから、あえて口にしなかった。
 大人になって、それもかなり時間がたって、YouTubeをダラダラ眺めていましたら、同じようにUFOに微笑ましい風景でも見るかのように視線を感じたと言う方がおられたのです。おーこれだーと思いました。私以外にも同じように感じる方がいた。感動しました。気のせいじゃなかった。もっと高度の文明を持った人たちに見守られている。所謂神様なのかも知れません。
 きっと、地球を隕石から守ったり、人間(送り込まれたのかも)を見守ったり、たくさんの人類?にお世話されているのでしょうね。
 今までUFOとは他の星の住人の来訪だと思っていたことが、もしかして間違っていると気づきました。宇宙人へのインダビュウで、「所謂地球から来た。」という言葉を私は未来の地球だと思っていたんですが、宇宙人遭遇談を読んでみたら、違うのかもと思えてきました。きっと今現在も私たち以外の人も裏側に住んでいると思えてきました。そういえば、人間の中にあれ?っと思える人なのか?って方が時々いるんです。もしかしたら、人間に混ざって生活しているのかも知れませんね。でも、気づいてしまっても、仲良く平和に暮らすことを望んでいますと必ず心の中で唱えます。
画像はかなり前の日食だか月食のものです。

猫の日にちなんで、あなたはいぬ派?ねこ派?

2020-02-23 14:05:38 | 日記
2~3年前までの私なら間違えなく「いぬ派」と答えていたでしょう。
ところが今は「ねこ派」なんです。
去年獣医さんの18歳くらいで亡くなった看板猫に一目ぼれしまして彼女がおばあちゃんでもいいんです。
可愛くて、愛おしくて、抱っこして連れ帰りたい衝動を抑えるのが大変でした。
でも、高齢のため亡くなりました。19歳だったかもですが、初めて会ったときは17歳でした。
瞳が不思議な色で、虹色だったんです。ブルーだったのが、高齢のためにじんだ色合いになっていたのかもですが。
そんな瞳で、私のことをじっくり見つめ、黙ってそっと体を寄せてきたのです。
所謂、おもてなしにゃんこだったんです。
犬の中で育ち、ちょっと変わったにゃんこだったんです。
白くて頭にうっすらミルクティー色がついた子でした。
猫は飼い主を選ぶといいますが、猫初心者の私に近づく強者です。
それからというもの、恋に落ちた愚か者のように猫の動画や、説明など
猫について調べたり、眺めたりするようになりました。
亡くなったときは、高齢ですし、仕方ないと思いつつ
着替えてまた来てほしいと思いました。
もちろん飼い主に忠実で、子育て上手なわんこも大好きですが、
ねこちゃまのツンデレな気まぐれな、甘えん坊も大好きです。
やっぱりねこが好き。の今です。
猫さんをお迎えしたい方は保護ねこさんのボランティアがお勧めです。











忘れ水のおっちゃん

2020-01-23 09:07:08 | 天使修行
私は母のお腹にいるときの記憶があります。
ばからしいと思う方もいるかもしれませんがたぶん忘れ水をきちんと飲まなかったからだと思っています。
ある時仕事が終わって白いフワフワした居心地のいい空間に漂っていました。私の仲良しの相棒のような存在と今回の仕事について語らっていましたが、すぐにお呼びがかかり、列に並ばなくてはなりません。私のすぐ前にいた人はタイにいそうなアジア風の人でしたが、私よりずっと格上の感じの人で、テキパキと選んで進んで行きました。
ずらーっとお偉いさん(見た目はいろんな形の方々)が並んでいる前に来ました。私のコーディネーターが二つの選択肢を提示。コーディネーターが「かなりいい条件のものを用意したよ。」と声をかけてくださいました。
私は苦行付きだが意味があるというか、価値があるというか、使命が果たせるという方を選びました。もう一つの方は、苦行みたいのはあまりないが、数合わせ要員のようなものだと分かっていました。なので、苦行付きだが意味があるというか、価値があるというか、使命が果たせるという方を選んだわけです。その際相棒が「君のそばにいてできるだけサポートしてあげるよ。」と言ってくれました。
次にこの世に来る直前に忘れ水のおっちゃんからマグカップに入った忘れ水を飲んでからふわっとした穴というか門というかに入ります。本来ならこの忘れ水は渡された1杯きちんと飲まなくてはいけませんが、こちらの世界のことを全部忘れちゃうといけない気がして飲みこぼして勢いよく飛び込んで、気が付いたのが母のお腹の中だったんです。お腹の中から出てしばらくして2歳くらいまでは明らかに日本語ではない言葉で考えていました。
人生の中で時々聞こえる声はこの相棒の魂君なのではないかと思っています。