最近ブログがバイト日記化している事について不評だったのでたまには私的にまともなことでも書きましょう。
幸い今日は時間も早いから長いことが書ける。
さて、人間の人生は当然ながら本人だけのもの。
他人の人生に影響を与えることは出来ても、他人の人生を自分の人生として生きることは不可能だ。
一生に一度の我が人生。
他人よりも楽しく生きたいと思う人は多いことだろう。
まあ私もそっち派だ。
まあしかし、何を基準にそんなことを考えるかだ。
どうせ自分の人生は他人と比較は出来ない。
一見不幸そうに見える人でも、本人にとっては楽しい人生であることもあるし、逆に幸せそうでも実はつまらないと思っていることもある。
他人の人生と自分の人生の比較は、主観的に他の人の人生を見ることによって自分の境遇と照らし合わせるに過ぎない。
もしくは他人から一部を聞くことで、その部分を自分と比較することしか出来ない。
同じ境遇を生きてきた人でも個人によって感情が異なるので、同じイベントも別々に映ることもある。
自分は幸せだ、自分は不幸だ、と嘆く人間がいる。
良いことがあったら確かに幸せかもしれない。
嫌なことがあったら確かに不幸かもしれない。
しかし、その時の基準として、他人と比較してどうこうと言うことはあまりよろしくないと思う。
「自分は不幸だが、あいつに比べればまだマシだ」というような表現を聞くことがあるが、他人の人生がわからないのだからそういった表現は不適切だと思う。
むしろ、そうやって他人と比較することは相手にとって失礼だと思う。
「私に比べればまだマシだろう」といった表現もどうかと思う。
励ます意味で使うことがあるようだが、一見たいしたことなさそうでも実は思った以上にダメージを受けていることもある。
思った以上にダメージを受けている。
自分の感情を隠す人間にとって、どんなに辛い事があってもそれを表面に出さないのは一種の美学のようなものになっている節があると思う。
周囲に出せない状況の人間もいるが、その場合も前述の場合か、もしくは考え方の違いかだと思う。
なんでも自分だけで背負い込んでしまおうとする人がいる。
いや、自分だけで背負ってしまうといったほうが正しいか。
どうしても他人に相談できなくて、あるいは自分でやったほうが早いと思って他人には何も言わないで自分ひとりで苦労している。
時々こちらが心配して手を差し伸べても余計なお世話だと跳ね返す。
そして時々不満をぶちまける。
ある意味迷惑な話だ。
こちらは何も言われていないのにいきなりそんなことを言われても困る。
救済を跳ねたならなおさらだ。
本人としてはそこのところを察して欲しいのだろうが、ずいぶん前に書いたように、他人の感情は完全にわかることなど出来るわけもなく、また、得意な人も不得意な人もいる。
私の場合は不得意。
こんなときはどう対応すればいいんだろうねぇ…。
幸い私はまだこういった経験はないからいいが、世の中では常にこのような境遇にさらされている人がいる。
自分の美学人生に他人を巻き込んじゃいかんぞよ。
我慢するのが美学なら最後までやり抜けい。
不器用ならば少しずつ頑張って直そうとしよう。
自分から何もしなければ一生そのままだ。
まあそれでいいならば知らないけどね。
他人の人生崩すのはやめよう。
自分の人生なんてものはいつ崩壊するかわからない。
それこそいきなり借金の肩代わりをさせられて追われるようになるかもしれない。
飛び降り自殺しようとした人間が空から降ってきて巻き添えを食らうかもしれない。
人間は他人の人生に常に影響を与えている。
友人が最も身近なものだ。
いいことも悪いことも影響を受ける。
しかし、人間の人生はそうやって常に更新されている。
何の影響も受けない人間がいたら、その人は人間として生きていけないだろう。
影響を受けるということは、適応能力を磨くことでもあるわけだから。
何事も適応が大事。
ま、正直私は嫌いだけどね。
自分の人生は自分だけのもの。
しかし、絶えず周囲に影響を与えつつ、自分も影響されている。
実際は自分の人生でも他人の人生に干渉することは多々ある。
人間の人生は常に満員電車のようなもの。
ゆれれば周囲から押され、また、自分が揺れれば他人も押してしまう。
P・S あくまで私の主観的な考えですから!
~本日の名言~
苦さの味を知らぬ者は、甘さの味も分からない。(ドイツの諺)