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1ヶ月で4キロのダイエットに成功

2020-09-18 12:39:00 | エッセイ

 去年の12月9日より減量に挑戦し、1ヶ月で4キロの減量に成功できたので、それについてシェアしたいと思います。

 身長165センチで体重は65.0キロから61.0キロまで落としました。 

1.減量の方法

 極端な食事制限や、厳しい運動は、絶対続かないと思ったので、無理のないダイエットをいくつか併用するといった方法で行いました。

 その内容が以下の5つです。

1)腹八分目
 満腹になる前に食べる事を止めて残す。

2)禁酒
 極力、お酒を飲まないようにする。

3)ウォーキング
 1日10,000歩以上

4)運動
 シャドーボクシング3ラウンド以上

5)水ダイエット
 1日2リットル水を飲む。

2.それぞれの効果と特徴 

1)腹八分目

 基本的に満腹で、摂取カロリーと消費カロリーがイコールになるはずです。腹八分目に抑えると、その分、摂取カロリーが減り痩せます。満腹になっていない時に、食べるのを止める事は、その時はキツイですが、10分経てば楽になります。

 因みに1日の摂取カロリーは平均すると約2,300キロカロリーでした。

2)禁酒

 減量前の飲酒による摂取カロリーを計算すると、1日約300キロカロリーでした。それを止めると、当然1日の摂取カロリーは減ります。ただ、完全禁酒にしてしまうと、ストレスになると思ったので、週に1回は飲む事にしていました。それでも十分効果はあったと思います。

 また、ビールは食欲を上げますので、禁酒は腹八分目の手助けとしても良かったと思います。

3)ウォーキング

 私の体重で10,000歩で約300キロカロリー消費されます。私の場合、職業柄仕事で歩くことが多いので、意外と楽でした。1日の中で約1時間40分歩けば10,000歩になります。

 通勤通学とかで歩くようにすれば、その分ウォーキングが少なくて済みます。

4)運動

 消費カロリーが100キロカロリーを目処にやってました。シャドーボクシング3ラウンドで、丁度100キロカロリーぐらいです。シャドーボクシングはハードなので、10分ちょっとで終りますが、ゆっくり30分ぐらいかけて100キロカロリー消費するのも良いと思います。

5)水ダイエット

 1日かけて水を2リットル飲みます。これが意外に1番しんどかったです。その分、効果もあり、計算してみると、代謝の改善で300キロカロリーの効果がありました。


3.結果

 00日目から10日目 65.0キロ→63.3キロ

 10日目から20日目 63.3キロ→62.0キロ

 20日目から30日目 62.0キロ→61.0キロ

 

4.考察

 上のグラフの赤い線が実績で、緑の線は目標です。朝食前、同じ時間に計測しています。実績の赤い線が凸凹しています。

 今回、減量をやって、一番大事だと思ったことは、体重を測った結果に、いちいち一喜一憂しない事です。1日で1キロ減らすことなんて絶対出来ないことと同じで、1日1キロ増えることもあり得ません。(100キロマラソンしたり、1日10,000キロカロリーの食事を摂ったりすれば別ですが。)

 例えば、前の日より1キロ増えていたとしても、それは体に残った水や排泄物の影響であり、実際の体重はそんなに増えてないはずです。

 カロリー計算を信じて減量を行えば、徐々に、しかし確実に体重は減ります。

 また、今回の様にいくつかの減量方法を併用すれば、各々の減量の負担が減り、ストレスも少なくて済み、継続しやすくなると思います。

 以上ですが、少しでも参考にして頂けたらうれしいです。



オーラを感じた人

2020-09-07 06:59:00 | エッセイ

ある芸人さん

 中学生だった頃、家ではいつも自分の部屋に篭ってラジオを聴いていた。

 ラジオ番組の中で一番好きだったのが、ある地方の芸人さんの番組。

 違う地方のラジオ局の番組なので、そんなにクリアには聞こえなかったが、毎週欠かさず聞いていた。

 テレビでは見たことがなかったので、顔も知らなかったが、「こんな面白い人たちが世の中にいたんだ!」と感動と尊敬の念さえいだいていた。

 番組を聴き始めてから数ヶ月経った3月末、重大発表があると言うので、ワクワクしながら聴いていたら「来週から笑ってイイともに出ます!」と。

 関西の人間じゃないのに、東京に進出する前のダウンタウンさんを知っていたとう事は私の自慢。

 それからの活躍は言うまでもなく、未だに一線で活躍されているのは本当に素晴らしいと思う。

 

ある女性歌手

 社会人2年目だったある日、東京で働いていた私が、仕事の後に、同僚に誘われて、六本木のベルファーレに行った時の事。

 ベルファーレとは、今はもうないが、当時、人気のディスコクラブで、よく有名な歌手のライブとかもやっていた。

 その日も、スペシャルで当時人気があったELTのライブがあり、同僚が、たまたまチケットを入手し、暇な同期が他にいなかったから、私が誘われた。

 あまり乗り気ではなかったが、有名人をただ見れるんだからという事で、渋々行く事にした。

 すぐにELTが見れると思っていたが、前座が何組も出演して、なかなか主役が出てこない。

 流石に遅いと他の観客も思い始めたのか、DJが、「次は△△ですっ!」と聞いたこともない名前を言った時、会場のあちこちで、「まだかよっ?」とか「知らねえよ!」とか罵声が聞こえた。

 私も隣にいる同僚に「流石に遅くないか?」と言って、ステージを見たとき、一瞬凍った気がした。

 今までの前座とは全く違う、透き通るような雰囲気と、一流のオーラを感じる、小柄な女性歌手が立っていた。

 歌も上手く、会場の雰囲気も、ガラリと変わった気がした。

 歌が終わり最後に、

「2週間後にデビューする浜崎あゆみです!よろしく!」 
 
 と言って小柄なカッコいい女性歌手がステージから去っていった。

 今はあまり活動していないようだが、一時は歌手の中でトップをとったと言ってもいいだろう。

 デビューする前の彼女のステージを生で見れたことも私の自慢だ。


ある野球選手

 今から10年ぐらい前、お盆休みに帰省し、昼間からビールを飲みながらテレビで高校野球観戦。

 地元の県の代表が出場するので、試合前の練習から観ていたが、守備練習をする相手チームの選手がとても気になった。

 なんというか、他の選手にはない、オーラのようなものを感じ、

「この選手、絶対四番打者だな。」と思い試合を見始めた。

 結局三番打者だった彼が、地元の高校の好投手から、ホームランを打ち、試合は地元の高校が勝った。

「間違いなくあの選手プロに行くな。」と思い、暫く気になっていたが、そのうち忘れていた。

 ヤクルトスワローズに入団して3年目、活躍し始めた頃に思い出し、

「やっぱりプロになったんだ。凄いな。」と嬉しくなり応援し始め、次の年、トリプルスリーで、山田哲人選手の名前が一躍有名になった。

 正直、最近は怪我か疲れかで、以前のような輝きが薄れている気がするが、日本のプロ野球に残り、600本塁打、600盗塁、3,000本安打ぐらいの成績を残して欲しい。


娘との話

2020-09-03 17:40:00 | エッセイ

娘がまだ高校生だった時の話。


 海外駐在が多い私だが、たまたまその時は東京で単身赴任をしていた。
 普段はLINEでしか会話していない娘から珍しく電話がきて、
「来週の木曜日、会社休んで三者面談に参加して欲しいんだけど。」といきなり難題を言ってきた。
「なんで?そんなの無理だよ。ママにお願いしなよ。」と答えたが、いつもは聞き分けが良い娘が、
「パパじゃないとダメなの!」と珍しく引き下がらなかったので、渋々、会社に有給休暇届を提出して、帰省することにした。


 初めて見る娘の高校は私立だけあって、設備もしっかりしていて小綺麗に感じた。
「我々が高校の時は学校に自販機なんかあったかな?」などと考えながら、缶コーヒーを飲んで待ち合わせ場所で待っていたら、
「おまたせ!」と娘がやって来た。制服姿の娘を見たのは恐らく初めてだったので、
「可愛いじゃん。」と言ってあげたが、
「うるさい。行くよっ!」と全く相手にされず、三者面談の会場の教室へ向かった。


 担任の先生は30代前半ぐらいの若く教育熱心風な男の先生で、
「こんな調子じゃ何処の大学も入れないぞ。」と娘が可愛そうになるぐらいに厳しい口調で言われていた。
「そこまで言うかな?しかも親の前で。」と思いながらも、ハイ、ハイッと先生の説明を聞いていたが、終始厳しいことを言われ、娘はずっと黙り込んでいた。
 面談の最後の方で、先生が娘に、
「ところでなんで○○学部志望なの?」と意地悪気に聞いたが、娘はスパッと
「父親の影響です。」と答えてくれた。
 思い掛けない言葉に、驚くと同時に涙を堪えられなくなり、必死に誤魔化した。


 娘は第一志望ではなかったが、無事に大学に合格し、今は自宅を離れて住んでいる。
 在宅勤務の私は、娘が出て行った部屋で、仕事と、娘が大学受験の時に使って部屋に残していた英語の問題集や単語帳を使い、英語の学習をしている。


予備校時代の思い出

2020-09-01 17:26:00 | エッセイ

 大学受験に失敗した私は、親元を離れ、S市の予備校に通っていた。寮生活であったが、人見知りだった為、殆ど友達も出来ず、1日に誰とも会話しない日も普通にあった。

 そんな生活の中で、唯一楽しみにしてたのが、6月から通い始めた市の柔道クラブ。その道場は子供から大人まで参加していて、人見知りな私でも、いろんな人と会話ができた。また、数人、女性もいて、男子校出身だった私が、久しぶりに女性と会話できる場でもあった。

 Mは、県の大会で優勝する程柔道が強く、髪をショーカットにし、ボーイシュで、可愛らしかった。予備校生の私に多少興味があったのか、良く話しかけてくれた。

 毎週決まって、Mは付き添いのおじいさんと6時10分ぐらいに道場に現れる。2時間ほど柔道の練習をし、その後、Mと私を含めた数名で、雑談するのが恒例となっていた。
 
 Mは雑談中よく私にちょっかいをかけてきた。背後から足を蹴ったりし、怒ったふりをしてみせると、「怒らない、怒らない笑」と無邪気に戯けた。

 好きになっていた。私にとって事実上初恋だったのかも知れない。幸せだった。その時間がずっと続いて欲しいと願っていた。

 しかし、幸せな時間はあっと言う間に過ぎるものである。私は大学が決まり、S市から離れることになり、道場に来ることも、この日を含めてあと2回だけとなってしまった。練習が終わり、週末Mが出場する柔道大会に応援に行くことを伝えようと、Mに近づいていったら、先にMの方から、
「○○大学に決まったんですね。おめでとうございます。」
と言ってきた。いつもは使わない敬語と、全く寂しそうじゃないことに戸惑いながら、
「あっ、ありがとう。あのさ、日曜日、暇だから、試合応援行くよ。」
と伝え、Mは来なくていいと言っていたが、「いや行くから!」と突っぱねて、いつもより早く雑談を切り上げ寮に帰った。

 奥手な私には、告白するなんてことは考えられなかった。ただ、Mが優勝したら、はっきりMの目を見て「おめでとう。」と言ってあげようと決めていた。


 試合会場の県武道館は観客席があり、私はそこから、Mを見ていた。Mは他の友達と一緒にふざけあっていたが、私に気付いているのかいないのか、なかなか私の方を見てくれなかった。

「やっぱり迷惑に思われているのかな?」と不安な気持ちに苛まれていたが、程なくして、Mはわざわざ私の方に近づいてきて、笑顔で両手を振ってくれた!私も手を振り大きな声で「頑張れよ!」と叫んだ。

 一回戦、二回戦は順当に一本勝ちをしたが、二回戦の終盤辺りから、腰に違和感があるのか、終始気にしているようだった。三回戦は勝ちはしたが、明らかに動きが鈍くなり、準決勝でMは呆気なく一本負けをしてしまった。元々腰痛持ちと聞いていたが、試合中に悪化してしまったのだろう。Mは相当ショックだったようで、ずっと泣きじゃくっていた。私が話しかけられる状態ではなかった。私はそのまま武道館を後にした。

 
 最後の練習は通常通り6時に始まったが、Mはなかなか姿を現さなかった。試合後だから来ないことも十分に考えられた。

 絶望的な気持ちに襲われて、頭や上半身の血液が、全て、下半身に落ちてしまったかのように、目眩がし、体に力が入らなくなっていた。

 7時前に漸く、おじいさんに連れられて、Mは道場にやって来た。その日は試合の報告だけで、練習はしないので遅れて来たらしい。私は舞い上がる気持ちを必死に抑えて練習を続けた。

 Mは私たちが練習を終えるのを待ってくれた。Mは敗退のショックから立ち直れたのか、スッキリした顔をしていた。私は練習中になんて声をかけようか考えていた。

 練習が終わり、何を言うのか決めかねていたが、私の方からMに近づいて行った。

 Mの目をしっかり見つめて、私はとんでもないことを言ってしまった。

「負けちゃったね。ダサいね。」

 ただの照れ隠しか、不器用な冗談だったのかもしれない。それとも、自分の気持ちを悟らせたくないと咄嗟に思い、感情とは逆の事を言ってしまったのかもしれない。しかし、私は最後の最後で一番してはいけない事をしてしまったのだ!

 我に返り、Mの顔を恐る恐る見た。穏やかだった表情が怒りと悲しみが混じった表情に変わり、
「なんでそんな事を言うの?!グレてやるから!」 
と怒鳴り私を睨め付けた。そして、道場から小走りで出て行ってしまった!

「ああ、俺はなんて事を言ってしまったのだろう!なんで残念だったねって慰めの言葉を掛けてあげられなかったのだろう!なんで腰は大丈夫なのって気遣ってあげられなかったのだろう!」

 絶望的な後悔に襲われたが、私はMを追いかける事もできずに、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 一部始終を見ていたおじいさんは、憔悴しきった私をチラッと一度見たが、何も言わずに、寂しそうな顔で出て行った。


 翌日、私は実家に帰るために、駅に向けて歩いていた。

 あの後、寮に戻り、荷造りを済ませたあと、夜通し泣いていたので、寝不足もあり足取りが重かった。

「もうMに会えないんだよな。」と思ったらまた涙が出てきて、しゃがみ込んでしまった。

 暫くしゃがみ込んでいたが、突然ある事を思いついた。

「そうだ、Mの学校に行こう、、、場所は知っているし、まだ下校時間には間に合うかもしれない。会って昨日のこと、謝ろう、、、」

 私は直ちにタクシーを捕まえて、Mの学校に向かった。

 Mの学校の近くにコンビニが有り、下校生徒は必ずそこを通らなくてはいけないので、そこで待つ事にした。

 待つ事約2時間、漸く生徒が下校し始めた。さらに待つ事30分位、Mが友達数人と歩いて来たのが確認できた!

 私はコンビニを出て、走ってMたちの前に行き、勇気を振り絞って、

「昨日は本当にごめん!」とだけ告げた。

 Mは苦笑いを浮かべて、

「大丈夫だよ。いいよ気にしなくて。」とだけ言って友達と去って行った。


 私の片思いの恋は終わった。



在宅勤務=英語の勉強

2020-04-24 17:57:00 | 日記
帰国してから約3週間になります。

はじめの10日間は一時休暇扱いで自宅待機、その後は一応在宅勤務をしています。

大学で地方に行っている娘の元部屋で仕事している訳ですが、正直殆ど仕事がありません

やることといったら、
1.業務開始の報告
2.体温を計って報告
3.行ってた国のコロナの状況の調査報告
4.業務完了の報告
これぐらいです

因みに行っていた国の状況は感染者数、死者数ともにかなりの勢いで増えていて、いつ戻ることができるのか全くわかりません。

と、言うことで、勤務中は英語を勉強しています。海外にトータルで7年ぐらい住んでいましたが、全く英語が上手くならず、それが結構コンプレックスだったのですが、良い機会と捉えて頑張って続けようかなと思っています。

※写真は娘の部屋にあった英単語集です。