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ある男子学生が所沢の防衛医科大学校でつくった謎の発明物たちを紹介します

2021-04-18 17:03:00 | 紹介

このブログの対象は、「電子工作や発明が好き」な高校生あるいは防衛医科大学校の後輩です。受験勉強の方法などはよくわからないので高校3年生の方はすみません。

 

防衛医科大学校は、「医師・看護師たる幹部自衛官・技官を育成する」ための防衛省の大学校です。学生はそこで4または6年間、国家公務員特別職の身分できちっと伝統と誇りある教育を受け、余暇はスポーツや文化活動に汗を流します。

筆者も、いちおうは6年生の今までマジメに諸々の教育をうけ、スポーツも文化活動も最低限あるいは人並みにしてきましたが、何か情熱を傾けられる依頼があったり発明を思いついたりすると、無性に作りたくなってしまうという脳内のシナプス回路の異常があるせいで、色々な物を発明しました。

傍目には変人だったと思いますが、いまとなっては後の祭りです。

 

とりあえず、なんとなく写真が残っている発明物を紹介します。

作ったプログラミングのコードなどはこれから整理してGitHubに上げていこうと思います。自由に改良して使ってください。

 

 

平成29年

生物学講座でM准教授(当時)と、「マウスの二足歩行動作を24時間赤外線で記録する」装置を作りました。この辺りはゼミ配属の関係で教官に依頼されて作ったものです。

寮生活のありがたさで週3回は部活後の21時からM准教授の終電の時間まで工作をしていました。苦労しましたが、いいデータがとれてよかったです。

 

改良して、餌台の位置が動くことでマウスを二足歩行に誘導する装置も作りました。これは作っただけで終わりました。

 

いろいろな試作品ができました。

 

気の毒なマウスが泳がされる実験の装置も作りました。結局、既製品が採用されて徒労となりました。

 

帝京平成大学のT教授(当時)の発案でM准教授と「足の甲の高さを検出する」装置もつくりました。外反母趾のリハビリで使えるとのことで夢があったけれど、実際はいまもT教授の研究室で埃をかぶっているみたいです。

 

あと、油絵も気が向いたときに続けていて、転出する第1大隊指導官(2等陸佐)の肖像を写真部の同期の女子がとった写真をもとに描いたり、遥かなヨーロッパにあこがれて南仏の都市リヨンの市場を描いたりしていました。

 

平成30年

爆風の衝撃波の観測地点による成分の違いを解析するプログラムも作成しました。写真は基本的な部分のデモです。詳しいことは書けないですが、自分の装置は実際に使用する装置の納入業者の入札額を下げる目的で役割を果たしたそうです。偉い人に感謝されましたが、個人的にはつまらなかったです。

そのほか、そのスジの人と筋トレの器具の開発したりしました。

 

そのあと長くお世話になる生理学講座のM教授から依頼をうけて、マウスの光っている場所を探すプログラムも作りました。下段の左が累積で、右が時間ごとのプロットです。功名心やそのほか傲慢な気持ちで二つ返事で軽く引き受けましたが、実際に開発をすると問題だらけで、土日のほとんどの時間と精神を削られました。功名心は良くないです。

 

このころ、臨床工学技士の3-4年制大学を出た人がうけるME技術者(医療機器の設計・製造)の資格試験をうけ、一回でパスしました(合格率30.9%)。とくに電気・電子系の工学を中心に追い込んで勉強しました。

 

実はそのあと合格率9%(先の試験の合格者のうち約30%)のME技術者の指導者の試験をうけ、合格しました。

試験委員をされていたM教授から合格の電話をいただき、すごく嬉しかったです。(おそらく)最年少でME技術者の指導者になれそうです。試験は大問がたしか6個で、問題はわけのわからないJIS・ISOの規格書(回路図など)を2つ見せられて、新しい規格に変わった理由を考察して論じるという形式でした。ほぼ勘でした。

 

いろいろ工学系の領域でがんばっていると医師をめざしている周囲から浮いてきて、一方で工学系の人といても「異邦人」感が悲しくなってきたので、防衛医科大学校の学生たる自分の本分に戻ろうと思いました。その時、なぜか入校のときに通ってきた校門と新緑の楠の並木の絵を描こうと思いました。

 

抽象画のような構成にしようと思い、化学室の景色と白衣の人物(半分ぐらい自画像)を重ねました。ちなみに、一番上の人物の背後は乾くのが待ちきれなくなったのでアクリル絵の具でかきました。

翌年、公務員の共済組合の美術展に応募したところ、ビギナーズラックで特賞になり文部科学大臣賞をいただきました。

 

平成31年(令和元年)

自分も第4学年になり、入校当時おそろしかった中隊の最高学年の先輩たちと同じ学年になりました。

不思議なご縁で小隊学生長を拝命したので、自分の発明の情熱をかたむけられるものを作れたらいいなと思いました。

それで作ったのが一連の「自動点呼システム」です。(構想自体は2期上のH先輩が平成29年に示されており、自分が試作していました)

デモとして試験的に中隊の有志の指紋を登録して実施できました。頑張ってPRしたのですが、自衛隊の点呼を重視する方針との相性が悪く、結論としては採用されることはありませんでした。良くも悪くも20世紀の組織にいるのだなあと思いました。ただ筆者はそんな古めかしい所も好きです。


ちょうどこのあたりの時期に、全国の医学科4年生にとって上級課程に進めるかの関門であるCBT/OSCEがありました。自分は医学は大まかには理解しているつもりだったので特に対策はしませんでしたが、CBTは全国上位25%(ただし正規分布と仮定した場合)に入っていました。OSCEは学校ごとに実施し、結果は非公開でした。


CBTが終わったころ、指紋点呼システムをさらに改良して「風呂上がりに冷たい飲料を自販機で購入できる認証システム」として2週間運用できました。この部分は指紋認証についてさらに追加研究をして考察したもので、仲のいい同期や後輩と一緒に自衛隊部内の研究会で発表出来たので楽しかったです。

発表したタイトルは、"Development of a biometric vending machine purchase system that allows us to buy drinks from a vending machine in front of the bath without having to go back to living quarters to get our wallet"です。

自販機の装置の全体の構成です。個人認証に成功すると、①液晶ディスプレイにIDと時間が表示され、②百円硬貨が取り出され、③明細書が印刷されます。百円硬貨を物理的に取り出す部分やサーマルプリンタと通信する部分はとても苦労しました。

 

学校祭(並木祭)では、畳み込みニューラルネットワークについて発表しました。

紆余曲折があり、1週間前になって防衛省の学校ということで発表について一部の教官から厳しいご指摘をいただき、大きく方針転換を余儀なくされましたが、どうにか最後は納得いただけてよかったです。ただ自分が未熟なせいで誤解を生んでしまったこともあり、反省点は多いです。

 

いつも夜遅くまで一緒に開発に情熱をかたむけてくれたメンバーに恵まれて幸せ者でした。

 

こんな絵を描いて、鎖骨と胸鎖乳突筋が気に入ったので、とある知り合いのグループ展に出したところ、首の長さのバランスがおかしいと言われました。いっそモディリアーニを勉強しようと思いました。

 

令和2年

義肢装具学の歩行解析の研究と、自然人類学の形態の定量化の研究に取り組みました。

また、研究室配属先の検査医学講座で尿路上皮癌について研究し、Impact factor 2.15の英語論文も上梓させていただきました。(論文作成はなかなか大変な作業で研究者の人は心底すごいと思いました)

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32896941/


 

防衛医科大学校の近隣にある国立障害者リハビリテーション学院義肢装具学科の主任教官から、2人の卒研の学生のプログラミングの指導を頼まれてしまい、技術指導員の肩書きでホームページに紹介されてしまいました。無償労働でしたが、業務経験証明書を書いてくださりました。

そこで得た知見から大腿義足の運動を定量化する小型センサーシステムを開発しました。

それを発表した義肢装具学会では幸運にも学会賞をいただきました。

 

 

チェコのプラハ城とバイオリンを弾く人の絵を描きました。

「音楽」による「人間の記憶・感覚」と「歴史」の融和を表現できたらというテーマが以前から頭の中にあり、コロナで帰省できなかった夏休み期間を利用して意気込んで描きはじめたのですが、気持ちだけが先行して技術が不足していました。

でも、意外と周囲の人には好評でよかったです。哲学的な議論にはなりませんでしたが。


 

令和3年

医師国家試験まであと1年を切ったので、納税者の付託にこたえるべく勉強をがんばろうと思います。一方で、実習が7月で終わり自分の時間が大幅に増えるので、あと少しの最後の自由な数か月を自分らしく生活したいです。寝る暇もないという研修医になるのが恐ろしいですが、その2年間が終わればどうにか無難に穏やかな人生を過ごせたらいいなと思います。



図書館で出会った書道部の後輩が撮ってくれた一枚です。自分はこの学校の制服が気に入っていますし、これからも制服に恥じないように生きていきたいです。


後輩の皆さんはいろいろな方法で6年間を楽しく頑張ってください。高校生の皆さんも応援しています。