tsurugiのブログ

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相談に乗ってあげてはならない

2019-09-12 23:31:00 | 日記
自殺対策として
周囲の人間が気づいてあげて
相談に乗ってあげることが
国策レベルで謳われている

そしてこれは無条件で
正しい事のように
受け入れられているように見える

こういった反証にさらされるまでもなく
正しいとされてしまうことには
うらがあることが多い

(道徳という理屈抜きの約束も
その主たるものだけど
ここではまだふれないでおく)

自殺生存者から言わせると
安易な相談は希死念慮を昂進させ
自殺企図を後押しする可能性が高い

その理由の一つは"死にたい"と思うこと
に対する無条件の道徳的否定にある

死にたい状況にある人物に向かって
多くの人は普通どういった助言を
するだろうか

たいていの人はそのような切羽詰まった
状況に対応する経験をもたず
無難な、そしてもっともな応対に
いきつく

それが道徳的な理由による
自殺否定だ

そしてそれはそのまま自殺を思う
人物にたいしての人格否定となる

どれだけ優しい言葉でオブラート
をしようと、そうでないものにとって
自殺志願者は否定の対象、狂人でしかない

それを道徳という伝家の宝刀で
真っ二つにしてしまうのだから
切られる方は最後の一手、致命傷を
追うことになる

「自殺なんかしたら残されたひとが
どれだけ悲しむか」

「誰だって死にたくなることもある、それでもみんな逃げずに生きている」

「命は掛け替えのないものだから
自分から放り出してはいけない」

-だから死にたいなんて言うお前は
間違っている!-

多くの場合、こういった絶対的に
正しい事を口にするとき
人は一種の自己陶酔に陥る

人は教示的発言をすることで
相対的に自分を高く押し上げた気に
なる

その誘惑に勝って
親身に、相談相手の痛みに
共感し、そのうえで自殺を留まらせる
よう助言をすることはおそらく
専門家ですら難しい

だから安易に相談にのってはならない

軽率に行われる自殺否定は
自殺志願者自身を否定し
かれらにとどめを刺すことになりかねない

相談相手がいなかった→あわれにも
間違った自己判断をし、自殺してしまった
→冷静な他者の相談により自殺は防ぐことができる

というロジックがまことしやかに
信じ込まれているが

自殺完遂者には相談相手がいた→
誰にも理解されず、人格否定が最後のひとおしとなった→安易な相談にのってはならない

という理論は検証されていない

そしてこちらこそが自殺の現場の
実相だと、体験者は感じている。

もう一つの理由は、相談に乗ってあげた
正常な他者による(無意識の)煽りだ

おれの場合、振り返るとこちらのケース
が一線を越えるひと押しになった
気がしている

「自殺?そんなこと出来るはずない」

「ホントにやっちゃう人は
人に相談せずいきなり自殺してしまう
らしいから、そういってるうちは大丈夫」

といった言葉は、ある種の性格の
持ち主を、もしくは本当に自殺を
図っている者をその遂行に駆り立てる

この種の煽りが無意識のものなのか
どこかでそれを期待してしまう
怖いもの見たさのような本能の
現れなのかわからないが

人は時として他者の不幸を願い
それを煽ることがある

以上2つの理由をかんがえると
相談は必ずしも自殺を食い止める
わけではなく、それどころか
その手助けとなってしまいかねない

自殺遂行者には相談相手がいなかった
ことに勝手にされてしまうが
それは確かなのか

そして相談によって殺害されてしまった
自殺者はどれだけいるのか

そういった可能性は検証されてきたのか

無批判に設定された仮説は
場合によっては大きな誤りを生む

相談が自殺を防ぐのか
あるいわ昂進してしまうのか
すくなくとも検証の余地はあると思う

そして当事者の主観的な
感覚から言うと
このような''相談反対論"にいきつく

当事者(死人)は口無しだから
おれのような死に損ないにしか
この種の発言機会は与えられない

いや、与えられてはならない
のかも知れない(道徳的には、、、)

だからこの真実は語られること
はなかった
語り得ない事柄だった

くりかえそう

違反に気がついた周囲の
正常者は
自殺(志願者)を
否定せず、
煽らず、
それを食い止めるスキル
持ち得ているだろうか

それがないのであれば
安易に相談に乗ってはならない

狂気に侵された神に
触れてはならない

、、、

こういうと、きっと
「自分は相談に乗ってもらって
救われた」

または、
「相談に乗ってあげて救ってあげた」

と異を唱える声が上がり
そうだが

それに対しての反論は

その相談相手がかなり高いスキル
を身につけていた、もしくは
それだけの密接な関係性があった、
いうレアケースにすぎず一般化できない

あるいは

そもそも安易な相談によって
救われる希死念慮者は
ホントに死んでしまう程
追い込まれた人じゃない

というもので事足りそうな
気がする

、、、

道徳批判につながることか、
これは、やっぱり
だからこそこの問題は根が深い
のかも知れない














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