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支流からの眺め

武漢コロナウイルス感染症と医療者のストレス(1)

 武漢コロナウイルス感染症(WARS)の流行では、その診療に従事する医療者に相当のストレスがかかった。第5波が落ち着き、緊急事態宣言が解除される今、改めて取り上げてみたい。

 WARSが疾病である以上、医療者は自らが関わるのは当然と分かっている。しかし、医療の分野は感染症だけではない。WARSのようなPandemicを担当するつもりでいた医療者は、極めて限られる。そこに突然の大流行である。「想定外の職務をさせられて大いに困惑した」というのが医療者の本音であろう。

 報道では、防護着に身を包んで汗をかきながら、苦しむ患者の診療に懸命に当たる光景が定番となった。担当者が限られるなかに患者が押しかけ、ろくな休みも取れない。感染の危険を忍びつつ悩みながら激務を果たす姿は衝撃的ですらある。しかし、実際のストレスはこのような劇的な風景の中だけではない。

 医療者がまず感じるストレスは感染の恐れである。WARSの診療を避けたいと願うのは、ヒトの自然な危険回避行動であろう。しかし、それにも拘らず診療を行なわなくてはならない。この行動規範は、病院の職務規定だけでなく、医療者としての使命感・倫理観に深く由来している。そこに内的な葛藤が生まれる。

 周囲との人間関係も葛藤となる。他の職員からは時に露骨に忌避される。自己否定感と共にその人を倫理的に責め立てる気持ちにもなる。私生活でも、家族が避け、自らも家族との接触を避ける。家族が職場や学校、保育園などで中傷や差別などの不当な扱いを受け、身内から離職を勧められることもある。

 入院患者もストレスが高い。感染への悔悟、不条理さへの怒り(特に感染経路が不明の場合)、急な入院による支障や先行きの不安、病室からの外出禁止による苛立ち、面会制限による孤独感などが理由である。より深刻には、死の恐怖がある。これらのストレスから、医療者に当たり散らす患者も少なくない。

 終末期となれば、どこかで治療中止を決断する。急に肉親を失う家族は、最期の面会も許されず窓越しで呼び掛けるしかない。ここで感情移入すれば、心的外傷を受けてしまう。病棟が逼迫すれば度重なる入院要請を断り、集中治療を受ける患者も選別すること(トリアージ)になる。これらは倫理的な葛藤となる。

 専門性の不適合もストレスとなる。軽症・中等症のWARS患者の管理は、必ずしも専門性が高くない。しかし、入院先の病院の多くは専門性の高い医療を担う急性期病院である。高齢患者では入院後に排泄や認知の障害が発生し、医療職は介護業務に追われる。身に着けたはずの専門能力を生かせず、やりがいを見失う。

 以上のように、診療のストレス要因は、感染の恐怖や身体的な激務だけではない。不安に駆られた人々から受ける差別や偏見、診療の場での悲惨な事例の経験、道徳的・倫理的な葛藤、自己像との乖離などの実存的な苦悩も要因となる。特に実態が不透明な流行初期には、社会不安や不慣れによる戸惑いも大きかった。

 もとより医療職はストレスが高い。危機にあっては、使命感が刺激される。克己的態度が称賛されるのが裏目になり、辛さを隠し過大な負担をかけ自らを追い込んでしまう。とりわけ看護師は患者との接触が濃厚である。多くは女性で、家庭での問題も抱えている。次のBlogでは、ストレス反応とその解決策を考えてみたい。

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