道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
「野ざらし紀行」の本文は、
大井川超ゆる日は、終日雨降りければ、
秋に日の雨江戸に指をらん大井川
と千里の句がある。それに続いて『馬上吟』の前書きがあり、
道のべの木槿は馬にくはれけり
となっている。
馬に乗って旅をしていた芭蕉に、道端に花をつけた木槿がふと目にいった。旅情に心を癒していたが、そんな心を知ってか知らぬか、首を伸ばした馬が木槿の花をむしゃむしゃと食べてしまった。実景だったのだろうが、目の前の木槿の花が馬の口に消えてしまったという驚き。そして一瞬にして存在が無になるという現象に無常を感じとったのだろう。
この句は蕉風の見地から重要である。尾形仂は、『野ざらし紀行評釈』のなかで句の評論を紹介して、まず素堂は「山路来ての菫、道ばたの木槿こそ、この吟行の秀逸なるべけれ」と言っているとし、また許六の『歴代滑稽伝』にある「談林を見破りて初めて蕉風体を見届け、躬恒・貫之の本情を探りて、初めて、‶道のべの木槿は馬にくはれけり〟と申されたり。天下こぞつて俳諧中興の開祖・正風の翁と称しはべる」と言っているのは、それぞれにこの句が貞門・談林のことばの戯れや天明期の佶屈調をうち破って平明な観照を拓いた点を称したものと見ることができるだろう、と解説している。
一方で寓意性を重んじる解釈もある。最初の前書きが『馬上吟』でなく『眼前』とあったのは、視界には全くなかった馬の長い口がひょこっと現れて、瞬間槿の花が消えていたという予想外のことに心惹かれたのだ。これは虚無などという心象でなく寓意と言う面白みを感じたのであり、理屈の無いところこそ蕉風の極みとみる。さらに付け加えると、馬は木槿など食べないのに芭蕉にその認識はなくこんな句を作ったのかのとの評があるが、そう考えるのは無粋である。虚構の裏にある実こそ芭蕉の世界であるからだ。
「野ざらし紀行」の本文は、
大井川超ゆる日は、終日雨降りければ、
秋に日の雨江戸に指をらん大井川
と千里の句がある。それに続いて『馬上吟』の前書きがあり、
道のべの木槿は馬にくはれけり
となっている。
馬に乗って旅をしていた芭蕉に、道端に花をつけた木槿がふと目にいった。旅情に心を癒していたが、そんな心を知ってか知らぬか、首を伸ばした馬が木槿の花をむしゃむしゃと食べてしまった。実景だったのだろうが、目の前の木槿の花が馬の口に消えてしまったという驚き。そして一瞬にして存在が無になるという現象に無常を感じとったのだろう。
この句は蕉風の見地から重要である。尾形仂は、『野ざらし紀行評釈』のなかで句の評論を紹介して、まず素堂は「山路来ての菫、道ばたの木槿こそ、この吟行の秀逸なるべけれ」と言っているとし、また許六の『歴代滑稽伝』にある「談林を見破りて初めて蕉風体を見届け、躬恒・貫之の本情を探りて、初めて、‶道のべの木槿は馬にくはれけり〟と申されたり。天下こぞつて俳諧中興の開祖・正風の翁と称しはべる」と言っているのは、それぞれにこの句が貞門・談林のことばの戯れや天明期の佶屈調をうち破って平明な観照を拓いた点を称したものと見ることができるだろう、と解説している。
一方で寓意性を重んじる解釈もある。最初の前書きが『馬上吟』でなく『眼前』とあったのは、視界には全くなかった馬の長い口がひょこっと現れて、瞬間槿の花が消えていたという予想外のことに心惹かれたのだ。これは虚無などという心象でなく寓意と言う面白みを感じたのであり、理屈の無いところこそ蕉風の極みとみる。さらに付け加えると、馬は木槿など食べないのに芭蕉にその認識はなくこんな句を作ったのかのとの評があるが、そう考えるのは無粋である。虚構の裏にある実こそ芭蕉の世界であるからだ。