日々の俳句紹介

俳句の歴史を通して、未来の俳句を考える。

【都区現代俳句協会からのお知らせ】高橋透水

2024年04月08日 | 俳句・短歌・

2024年より1月より都区現代俳句協会主催の
『ビッグバン通信句会』が正式に開始となります。

協会・結社にこだわりません。どなたでも参加できます。
(東京都区以外の道府県の方も都区協の会員になれます)
●応募規定 (必ず2句出句)
当季雑詠 1句
詠込句  1句  
●投句先パソコン : (下記URLをクリックしてください)
    ↓    ↓
https://ws.formzu.net/fgen/S31510800/
スマホ専用 :
https://ws.formzu.net/sfgen/S31510800/
投句締切は 2024年5月20日
(纏まり次第選句用の作品をメールします)
選句締切は 5月30日

◇投句方法のわからないかたは
acenet@cap.ocn.ne.jp  にメールください。
『ビッグバン通信句会』担当:高橋透水

【都区現代俳句協会からのお知らせ】高橋透水

2024年03月23日 | 俳句・短歌・
★春の俳句講座★ 募集中!!
 これから俳句を勉強したい方
 もう一度俳句にチャレンジしてみたい方
楽しく俳句を語らいましょう!!

2024年度東京都区現代俳句協会
●初心者講座 受講生募集
於:一般社団法人現代俳句協会
  本部図書室
期間:4月から6月 第2土曜日
(4/13 5/11 6/8)
  13:30~16:30
講師:高橋透水
(現代俳句オープンカレッジ講師)
現代俳句協会会員
 (全国俳誌協会会員)
(FB「俳句ワールド」管理人)
2句持ち込み
受講料:3000円(三回分)
●申込 および お問合せ
acenet@cap.ocn.ne.jp
携帯 090 3231 0241
高橋透水まで


前衛俳句について  高橋透水

2024年03月15日 | 俳句・短歌・
 
 【前衛俳句】
前衛俳句の運動は、赤尾兜子によれば、
昭和三十年一月に大阪で「新俳句懇話
会」の準備会が開かれ、金子兜太・鈴
木六林男・堀葦男・林田紀音夫・八木三
日女・赤尾兜子などのメンバーで発足
したという。三日女の
  満開の森の陰部の鰓呼吸
は論議を呼んで、様々に解釈されたが、
作品は読者側に委ねられたもので、鑑賞
は自由でよい。
難解句といっても鑑賞者の知識不足や
経験の有無によることもあろうが、誤読
でないかぎり、読者側(鑑賞者)の自由
になる。しかし作者に言い分があるとす
れば、作り手にも問題点がないわけがな
い。作者の解説(自句自解)をもってし
ても納得できない作品はどう評価すれば
よいのだろう。難解とかぎらず、一般に
前衛とはいつでもそうした問題を含んで
いることは確かだ。

第二回『ビッグバン通信句会』受付開始!!

2024年03月12日 | 俳句・短歌・
『ビッグバン通信句会』はどなたでも参加できます!!
東京都区『現代俳句協会』主催
第二回『ビッグバン通信句会』受付開始!!
(ただし投句受付は3月1日より3月20日まで)
詠込は「野」です、余裕をもって投句してください。
どうぞよろしくお願いいたします。
担当:高橋透水
    記
●応募規定 (必ず2句出句)
当季雑詠 1句
詠込句  1句 1月は(「野」を詠み込んでください)
●投句先パソコン : (下記URLをクリックしてください)
    ↓    ↓
https://ws.formzu.net/fgen/S31510800/
スマホ専用 :
https://ws.formzu.net/sfgen/S31510800/
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メールなどで投句されるかたは、下記を記入のうえ
返信メールの方法でお願いします。

氏 名
投句欄1 ↓当季雑詠必須 
投句欄2 ↓(3月の詠込みは「野」です)必須

感想や近況など自由に記入してください。↓

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投句締切は 2024年3月20日
(投句受付は3月1日より3月20日まで)
(纏まり次第選句用の作品をメールします)
選句締切は 3月30日

◇投句・選句方法のわからないかたは、
acenet@cap.ocn.ne.jp でお問い合わせください。

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芭蕉の発句アラカルト(25) 高橋透水

2024年03月12日 | 俳句・短歌・
  海くれて鴨のこゑほのかに白し  芭蕉

 この句の前書きに「尾張国熱田にまかりける頃人々師走の海見んとて船さしけるに」とある。貞享元年十二月十九日、熱田での作である。芭蕉はときに四十一歳。
 芭蕉一行は、船の上で海に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。暮れて暗くなる前の、薄明るい白々とした海。そんな海を眺めていたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージを詠っている。
 芭蕉は目で見、耳で聞いたものを心で感じる。視覚と聴覚の、まさに「ほのか」に混ざりあった感覚は旅で培ったものだ。現実の風景と綯い交ぜに、芭蕉の心の風景にそれが錯綜しあい夕暮れの風景の中に幻出したのだ。
 この句の眼目は、鴨の声をほのかに白いと感じる知覚だろう。すなわち、聴覚が視覚に転化されていることだ。鴨の姿が見えないが、鴨の声があたかも見える物のように暮れていく海上に浮かびあがらせる効果がある。見えない光景がみえ、聞こえないものが聞こえてくる。それを句にするのは芭蕉の得意とする手法だ。また芭蕉の作句方法に時を変え状況を変えて造り直すことが多いのも特色だ。
 が、詩人で評論家でもある清水哲男は「この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるけれど、芭蕉当人には、そうした明確な方法意識はなかったのではないかと思う」と述べている。またこの句の破調について、「あえて『五・五・七』と不安定な破調を採用したのではなかろうか。そう読んだほうが、余韻が残る。読者は芭蕉とともに、聞こえたのか聞こえなかったのかがわからない『白い意識』のまま、いつまでも夕闇につつまれた海を漂うことができる」との論述は卓見であるといってよい。
 つまり、語順を変えた〈海くれてほのかに白し鴨のこゑ〉と比較してみると、破調の効果がよくわかる。畳み込むことによって同じ鴨の声に不安感が醸し出される。「ほのかに白し」で暮れの海の神秘さもある。前回の〈明けぼのや白魚しろきこと一寸〉とは対照的にイメージの拡がりを内在した一句となった。