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kaka ichi aya saku toto

専業主夫の180日奮闘日記(今は兼業です。)

SAKU と びよよ~ん 

2009年03月26日 19時39分13秒 | TOTO の考察
我が家のQueen of クリックことKAKA。パソコンに向かいいい音をたてながらクリックすることが大の得意だ。より良いものをより安く、インターネットを通して購入している。(TOTOは今ひとつネット購入に踏み切ることができないのだが・・・。)最近購入した中でもっともSAKUに好評なのが、リネンハウス社のバスタオル。それにKAKAが刺繍して我が家の男たち3人組にバレンタインの日にプレゼントしてくれた。その見た目と肌触りが斬新すぎて、最初は違和感を感じたのだが、いざ使ってみるとこれがすごい。吸水力がとにかく良い。さらには、即乾くので、毎日洗えて、毎日使える。つまり清潔。

 ある日、TOTOが風呂上りのSAKUをこのニュータオルで包み込み、その両端を背中側で包み込みSAKUの腹を支えに、スーパーマンのように空中をぶらぶらふりまわした。それが最後。SAKU大喜び。

 風呂上りは決まって
『‘びよよ~ん’やって~!』と、要求してくるようになってしまったのだ。
 TOTOもその反応がおもしろく、毎日繰り返していたのだが、これが思った以上に疲れる。1回終わると即、
『も~いっか~い!』。
これを3~4回は繰り返す。


 ところがある日それに変化が見えてきた。
『あと、これだけ~!』と、片手をパーの形にし、数字の5を見せつけるのだ。SAKUにとっては‘いっぱ~い!’と言いたいらしい。そしてTOTOが5回位と勝手に認識し、5回目で
「これでおしまいね。」と、言うと
『また、あしたもやってね。TOTO~。』
と、納得するSAKU。




 ‘びよよ~ん’を始めて3週間。
 ‘なかなか飽きないSAKU’と‘SAKUの数表現の変化’に驚くTOTOである。
 
 





SAKUと約束

2009年03月17日 22時25分11秒 | TOTO の考察
 SAKUの保護者会に初出席のTOTO。
 ある保護者が
「うちの子はちっとも約束を守れないんです。」と。

 確かにSAKUも約束を守らず大泣きすることはある。
 ただ、SAKUとのやり取りの中で、‘約束’について考えさせられるできごとがあった。


 
 栃木SCが今年から所属するJ2が開幕してはやくも第2節が終了した。
 ホーム宇都宮のグリーンスタジアムで開催されので、2試合とも観戦したTOTOとSAKU。


 3月8日の開幕戦は欲するままに‘おにぎり’、‘カレー’、‘からあげ’、‘メンチ’、‘ポップコーン’を購入。1,200円が簡単に飛んでいった。
 そのときはその収入の一部が栃木SCに入ることもあるし良いかと思っていた。




 でも冷静に考えたらそんな余裕は我が家にはなく、第2戦となる3月15日の観戦ではその反省を活かすことにした。


「おにぎりも飲み物もあるから、スタジアムでは‘あれがほしいよ~!これがほしいよ~!’って言わないでね。‘約束’だよ。」

『うん、分かった。』


 しかし、スタジアムに着き、おいしそうな豚汁が売られているのを見たTOTOはSAKUに食べさせたくなった。

 そこで「ちょっと待っててね。」と、SAKUを待たせ豚汁を買ってきてあげた。



「SAKU豚汁だよ~~~!」








『どうしてTOTOは、スタジアムでは何も買わないって‘約束’したのに豚汁買ってきたの~?どうして~?』


 




 TOTOがSAKUを喜ばせようと思ってやった行為は、SAKUにとってはただの‘約束破り’でしかなかった。
 SAKUに約束を守らせる習慣を付ける前にTOTOが‘約束を守る’ことを徹底しなければならないようだ。

SAKUと保育園

2007年09月08日 12時26分20秒 | TOTO の考察
 SAKUが保育園に通い始めて5ヶ月が過ぎた。4月から6月までの3ヶ月間は一時保育という形で保育園に通っていたが、幸いにして7月から正式入園。18名の集団の一員となった。7月中は2週間に1度は高熱を出し早退するという日々が続いた。8月に入ったあたりから落ち着いてきていたのだが、今週は2回早退、2日欠席という状況。なかなか大変だ。

 ところで、TOTOの実家のじいちゃんとばあちゃん、そしてそのご近所のおじいちゃんおばあちゃんたちは、
 ‘子どもは母親を中心に親族に囲まれて育てられてこそ幸せ’
と思い込んでいるふしがある。
 「おじいちゃんとおばあちゃんと遊んでいるほうが保育園より楽しいよねー!」
 「お母さんと会えなくても泣かなくてSAKUちゃんはえらいよねー!」
なんていう会話が聞こえてくることがしばしば。

 そんな大人たちの意見を知ってか知らずか、SAKUは保育園に毎日楽しく行っている。朝、TOTOが着替えを始めると、『おいくえん!おいくえん!』と言ったり。『ぶーぶ!ぶーぶ!かーぎ!かーぎ!』と言って車に乗りたがったり。たまに、寄り道の必要がある時に保育園の方向と逆に車を走らせると『おーいーくえーん!』と泣きながら保育園の方向を指差したりしている。
 それもそのはず、木がふんだんに使われている園舎。石ころ一つない園庭。庭の片隅にはニワトリにウサギにヤギといった動物たち。さらにはツリーハウス(ネスカフェのCMに出てくるような)まで。そこには、やたらに歌と踊りがうまく元気な保育士さんがたくさんいて、そして保護者の愛情が大いに注がれているであろうことも実感する。今日も朝から、夏の間子どもたちがたくさん遊んだプールを片付けてきたところだ。
 さらに食事。非常にうまそうだ。例えばある日の昼食は‘ごはん、味噌汁(たまねぎ、キャベツ)、鶏肉ソテイネギソース、大根サラダ、小松菜ともやしのおひたし’といった感じ。おやつは、‘しゃけのおにぎり、スティック大根、牛乳’。栄養のバランスも非常に考えらすべてその場で手作りされている。
 そして音楽。SAKUは家に帰ってきては、KAKAに音楽をかけること、そして歌うことを促し、それに合わせて踊りまくる。近頃は、自ら歌うことも出来るようになってきた。先日開かれた納涼祭で、沖縄の三味線に合わせて踊る園児のいきいきとした姿に親たちはいつのまにか笑顔になってしまっている。
 
 楽器をひとつもまともに操ることができないTOTOは、音楽の魅力を小さいうちから感じ踊り歌うSAKUがうらやましい。今からでも遅くない。TOTOも楽器を何か始めようと思い始めている。

SAKUの関西化?

2007年09月03日 12時45分29秒 | TOTO の考察
 SAKUの母、つまりTOTOの相方であるKAKAは関西弁をうまくあやつる。実際彼女は関西に程近い三重県出身であり、学生時代を含めて約10年を京都で過ごしたから納得もいく。KAKAは『SAKUを関西弁をしゃべる子どもにしたいなあ。栃木弁より関西弁だよ!関西弁!』とことあるごとに言っている。そのたびに「KAKAのしゃべり方は東海弁なんちゃうん?」と(いんちき)関西弁で応酬する。
 
 TOTOは栃木生まれの栃木育ち。ただ20代の約8年間を関西で過ごしたこともあり、関西弁を耳にすることには慣れ、しゃべることもそこそこできる(KAKAは、『TOTOのはいんちき関西弁だ!』と言い張るが・・・)。しかし栃木に戻り3年が過ぎ、多少関西化されたであろうTOTOの言葉も、ほぼ栃木化されつつあるのを実感する。
 
 SAKUは群馬生まれの栃木育ち。人生のほぼ100%を関東で過ごしていることになる。つまり、SAKUが覚えつつある言葉はほぼ関東、中でも栃木という環境で得ているのだ。おそらく彼は日々栃木化されつつあるのだろう。しかし、それでもKAKAは‘SAKUの関西化’にこだわっているようだ。

 先日、TOTOが作った‘じゃがたらバター’が(おそらく)原因となりSAKUの身体に湿疹ができた。即近所の子どもクリニックに駆け込んだ甲斐もあり、翌朝にはほぼ落ち着いた。しかし、KAKAもTOTOもアレルギー持ちだし、念のため、湿疹がでた2日後、アレルギー検査をしてきた。軽い経過報告を先生にした後、いよいよ採血。SAKUのみ別室へ。TOTOは待合室に。
 KAKAによると、SAKUは今までの検診での注射で泣いたこともない様だし、TOTOは全く心配していなかった。しかし、別室に行くやいなや
『ウェーーン!ウェーーーン!』
とSAKUの声が。しかもその声がでかい、でかい。病院中に響き渡りそしていつまでも続いた。さすがのTOTOも少し心配になった次の瞬間。
『あかん!あかんてーー!あかーんってーーー!』
とSAKU。
「ん?‘あかん!?’関西弁?」
 KAKAによる‘SAKUの関西化’の成果を見せつけられた瞬間だった。


 とは言うものの、KAKAもTOTOも関西やら関東やら日本やら外国やらにこだわっているつもりはまったくない。KAKAもTOTOも生まれ故郷は大好きだ。しかしそれを再認識できたのは、故郷を長らく離れて暮らせた経験があったからだと思っている。だから、今後もしSAKUが、‘家を出たい!故郷を離れたい!’と言ったら大いに結構。KAKAとTOTOの子だしそれが自然なことだと思っている。
 今後、KAKAとSAKUとTOTOがどこで生活していくかは分からない。しかし、どこで暮らしてもこだわり、そして変わらないのは、おいしいものを食べ、おいしい酒をのむこと。そんな我が家で育ったSAKUはビールを注ぐのと空き缶を片付けるのが本当にうまくなった。
 

 


 

SAKUとシゴト

2007年08月22日 12時53分51秒 | TOTO の考察
 約1年ほど前、那須にKAKAとSAKUとTOTOで遊びに行った。KAKAのすすめもあり、那須国際シュタイナー学園の学校公開日に立ち寄った。
 そこで出会った先生が
『子どもというのはシゴトを欲しているのです。大いにシゴトを与えてくださいね。それが、自分で考え、自分の感情を膨らませ、自分の意志を行動と結び付ける「自由」をもった大人へと結びつくのです。』
 その言い方は決して押し付けがましくもなく、不思議と素直に受け入れられたのを覚えている。ただ、‘シゴト?’と、その単語には疑問を多少感じていたような気がする。
 お盆に約1週間ほど三重のジイジとバアバの家に家族3人で行ってきた。SAKUにとってジイジとバアバと約4ヶ月ぶりの再会だ。約600kmの道のりを車で往復してきた。本当に楽しかった。
 海を見ながら、ビールを飲み、そして大きなアサリを食べた。コッテリそしてバリバリとした関西風のうなぎを‘うな金’で食べた。揚げたてのはんぺんを‘魚歳'の店先で食べた。三重の海の幸は最高だ。安くて新鮮でうまい。海なし県栃木で育ったTOTOは本当にうらやましく思う。
 また、TOTOはジイジにゴルフを教えてもらって少しだけ上達した。KAKAは毎日のようにお友達と会って楽しく語らっていた。SAKUはKAKAとTOTOに連れられて(振り回されて)本当にたくさんの人と出会いかわいがってもらっていた。中でも久しぶりにジイジやバアバ、そしてヒイジイジ、ヒイバアバにも会えて家族の愛情を確認していた(はず)。そして何よりも楽しかったであろうことはは、シゴトがたくさん出来たことではないだろうか。バアバの家でも、ヒイバアバの家でも、麦茶の入った容器を決して放そうとしなかった。空のコップ全てに麦茶を注ぎそれを「どーぞー!」と言いながら配膳。コップに麦茶が無いのを目ざとく見つけては麦茶を注ぐ。それでもあき足らないSAKUはいっぱいに注がれている麦茶を無理やり飲むように促し、空になったコップにすかさず注ぐ。そして、「どーぞー!」と。これを1週間やり通した。彼にとって‘シゴト’だったのかもしれない。
 栃木に戻った後の彼のシゴトぶりも立派なものだ。毎朝、ビールの空き缶をベランダに捨てに行く。食後、空いた器をシンクに戻す。車や家のカギをかける(実際にはかけられてはいないのだが・・・)。これだけでは満足せず、さらに彼はシゴト量を増やした。保育園で水遊びのときは、ヤカンに入った水を器に注ぎ、それを友達に「どーぞー!」とすすめ(押し付け)まくっているようだ。
 これらのシゴトが、シュタイナー学園の先生が言うように、SAKUが自分で考え、自分の感情を膨らませ、自分の意志を行動と結び付ける「自由」をもった大人へと結びついているのかどうかは、今のところ分からない。ただ、SAKUが満足し、更なる仕事を求めて今日も駆け回っているのは事実である。
 TOTOが外でのシゴトを離れて約5ヶ月。SAKUと共有できる時間が減ってしまうのは残念だが、徐々に外のシゴト場に戻りたい気もしてきた。大人もシゴトを欲しているのだろうか。専業主夫終了まで39日だ。

SAKUとおもちゃ

2007年08月01日 11時02分16秒 | TOTO の考察
 我が家はどうやらおもちゃが少ないようだ。おもちゃといっても、太鼓にけん玉にセパタクロのボールに保育園で頂いた獅子の張子といった類のものしかない。トイザラスなどの大型のおもちゃやさんに売っている、派手な色使いの、いろんな音が出る類の物が少ない。キャラクター物もほとんどない。KAKAもTOTOもその類の物が家に散乱していることが好きでないし、その散らかったおもちゃを片付けるのも面倒だし、何より家が狭いこともあり、なるべく買わないようにしてきた。
 そんな我が家の状況を知ってかどうか、足利のじーちゃんとばーちゃんの家には派手なおもちゃがたくさんある。機関車トーマスのおもちゃやら、子供用の車やら、新幹線のおもちゃやらといった具合だ。KAKAもTOTOも「お金をたくさんかけてまで、SAKUにおもちゃを買い与えないで。」と常々言っているので今のところそれでおさまっているのかもしれない。ただ、足利に行くたびに『近所の人があげるって言うからもらっといたから~。』とか何とか言いながら、どんどん増えている気がする。
 そんな色とりどりのおもちゃにSAKUも大喜び。足利に行くたびに遊んでいる。大人が見てもびっくりするくらい手が込んでいて精巧なつくりだ。子どもが喜んで遊ぶのも納得できる。
 しかし、幸か不幸か普段はおもちゃの少ない我が家で過ごすことが多いSAKUにとって、台所道具や掃除道具など身の回りのものすべてが‘おもちゃ’であるようだ。フライパンをおたまでたたいてガンガン音を鳴らしてみたり。やかんから「ど~ぞ!」とか言いながら床やら机やらそこいらじゅうに水を注いで(こぼして)いたり。電子レンジのふたを開けてはおもちゃやら何やらを放り込みスイッチを入れたり。ほうきをTOTOから奪い取り、掃いたり(全く掃けていないのだが・・・)している。
 その甲斐(?)もあって、先日保育園にSAKUを迎えに行ったときは、砂場の一画でフライパンやら鍋やらを一面に広げ黙々と一人遊びをしていた。
 ‘おもちゃ’と勝手にグループ分けをしていたのは、大人のほうで、大人から見れば何の変哲もない物でも、子どもの感覚で見ればそれは違ったものに見えるのだろう。SAKUと暮らすようになってからそんな感覚を呼び戻された気がする。本当に子どもの想像力には無限の可能性を感じる。しかし、その能力を生かすも殺すも大人の環境設定によるところは大きい。大人が何でもかんでも買い与えて彼が受身的に行動するのではなく、自由な発想で自発的に行動し続けることができるような環境を作り続けていきたい。
 TOTOの固い頭はすでにSAKUの想像力には全く及ばないことを実感する今日この頃だ。
      

テレビがない 

2007年07月31日 11時27分41秒 | TOTO の考察
 我が家にテレビが無くなって早くも1年がたとうとしている。
 もともとテレビチューナー内蔵のノートパソコンがあったのだが、ちょうど昨年の7月末日。開けっ放しにした西の窓のそばに置いて外出したとき夕立にあい、壊れてしまった。その頃、いつもの習慣でTOTOはテレビを無意味につけっぱなしにすることも多く、また購入後半年もたっていなかったこともあったので、「‘しばらく’買わないでおこう。」とKAKAと決めたのだった。その‘しばらく’が1年になってしまった。
 もともとKAKAもTOTOもテレビ好き。TOTOにいたっては大好きときた。『どうしても見たいテレビ(例えば、サッカー日本代表戦)があるときは、車で30分かけて、足利のじーちゃん、ばーちゃんの家に行こう。』と不安と不満一杯でスタートしたこの生活。今となっては実は満足している。
 しかし、テレビが無いことを知ると周囲はだまっていない。元同僚は「朝は‘みのさんの朝ずばっ!でしょ。」「天気予報は?」「地震がおきたらどうするの?」「とっさの情報はどこから得るの?」と。
 もちろんおっしゃることも納得できる。しかし、インターネットもあるし、新聞もとってるし、みんなが心配してくれるほど情報収集には困らない。
 また、「家に要らないテレビがあるから、それあげようか!?」と我が家の家計を心配してくれる知人も。さらにTOTOのテレビ好きを知る友人は、「KAKAが買ってくれないのでは!?かわいそうに・・・。」と勘ぐっているといううわさもちらほら。(←KAKAはそこまでは怖くない。)「SAKUはテレビ見たくないのかな?」と心配してくれる知人も。
 そのSAKUが誕生してから1年7ヶ月。彼は人生の半分以上をテレビ無しで生活している。しかし、お友達が乗っている、アンパンマン自転車を見ては「アンパン!アンパン!」と。(そんなSAKUの姿を見た栃木のばーちゃんが「アンパンマンの自転車買ってあげようか!?」と言ったが断った。)また、自分の手の甲を指差し、KAKAとTOTOに「アンパン!アンパン!」とアンパンマンを描くように指図する。『テレビも無く、アンパンマングッズも2個しかないのになぜ?』と不思議に思ったのだが、世間はアンパンマンであふれているのだ。保育園のお友達はアンパンマンの服を着ているし、先日栃木のばーちゃんからもらったふりかけにもアンパンマンがいたし、もしかしたら、栃木のじーちゃん家でアンパンマンを見ているのかも(じーちゃんとばーちゃんは見せていないと言い張るのだが・・・)しれないし。
 何もSAKUの人生にテレビは不要だ、と思っているのではない。TOTOも小学生の頃は、毎週日曜日の朝は、‘キンニクマン’を見ていたし、‘キン消し’の数も友達と競ったりしていた。むしろテレビ無しでは生活できないくらい依存していた。
 しかし、今のところテレビ無しの生活は楽しい。やっぱりKAKAもTOTOもたまに見たくなるのは事実だが、結果的には充実しているのだ。見たこともないような本棚を作ったり、脚がガタガタする丸テーブルをつくったりと、腕前はいまひとつだがDIYの楽しさも少しだけ知った。前より本好きになった。KAKAともよ~くお話するようになった。そして何より、KAKAとSAKUとTOTOが共有する時間が非常に長くなった。
 SAKUは幸いにも今のところ、テレビよりも、絵本を見たり、三重のバーバから借りている電子ピアノをひいたり、太鼓をたたいたり、KAKAの歌にあわせておどったりすることに興味がある。
 今後も自分たちで工夫して楽しい生活をおくっていくことにこだわっていきたい。TOTOのがまんが続く限り。

いか焼き技能検定1級の腕前

2007年05月13日 21時13分12秒 | TOTO の考察
女子高の近くに、おいしい‘イカ焼き’の店があるらしい。そんなうわさを聞いてから、約半年。
たまたま、前を通りかかったので立ち寄ることに。

店は駐車場の一画に、軽トラックを構えていた。

店先には、多くの張り紙。

‘一番人気もちチーズ’ 等メニューの紙約10枚。

‘大阪の人はこのイカ焼きをファーストフードとして好んで食べています。’

‘イカ焼き技能検定1級取得’

‘マヨネーズは本場大阪から直で仕入れております。’
などなど。

メニューがたくさん。
決めかねたKAKAが、
『どれがおすすめですか?』

店主が
「なんでもおいしいで。ただ、みなはん好みはそれぞれで、一度決めたら同じメニューばっかりやで。」
と、流ちょうな関西弁で。

TOTOは、
『一番人気のもちチーズ一つお願いします。』

KAKAは、
『きむちチーズお願いします。』

焼きながら店主が
「マヨネーズはつけますか?」
と、非常に丁寧な聞きなれた標準語で。

KAKA TOTO
『お願いします。』

さあ、できあがり。KAKAが
『ありがとーう。』
と、伊勢/関西弁で。

店主が
『お客さん関西の人?本場のイカ焼きも食べてたんですね?』
と、流ちょうな標準語で。

KAKA
『ええ。たまにですけど。』

店主
「阪神の地下にありますよね。」

KAKA
『ご主人は関西の人なんですね?』

店主
「いいえ。県内です。えへへへへへ。阪神に売ってるのとはぜんぜん違いますよ。えへへへへへ。」
と満面の笑み。


家にに帰って、さくとkAKAとTOTOで食す。
『うまい。阪神に売ってるのとは違う...確かに違う...でもうまい。』
そんないかやきでした。

イカ焼き技能検定1級のご主人。ありがとう。