決して後ろ向きな決断ではない。
元中日の八木智哉投手(34)は、ずっと野球がやれるのがベスト、
でもクビになったのは区切り、球団から声をかけてもらったことはチャンスだと思った。
いろんな準備をしたいと思っていると、次の夢、指導者になるためにユニホームを脱いだ。
10月3日、戦力外通告され、その足で家族が待つ東京に向かった。
やれるまでやるからと伝え、国内外関係なく現役続行を模索していた。
中日から編成部スカウトのオファーを受けると、翌日には引き受ける返事をした。
5人の子供を持つパパ、末っ子の長女はまだ4歳
2度目の戦力外に、突っ走ってもすぐクビになるかもしれない。
安定、さらに次の目標への選択に迷いはなかった。
山あり谷ありの12年間で見えた道だった。
05年希望枠で日本ハムに入団
プロ1年目に12勝を挙げ新人王に輝き、優勝、日本一に貢献した。
しかし、左肩を痛め2年目は苦しんだ。
13年にトレード移籍したオリックスを14年オフに自由契約
トライアウトを経て15年に中日に入団
その年には広島から4勝を挙げるなど広島キラーとして活躍した。
さまざまな指導者と関わるうちに、野球を教えることが夢になった。
元プロだから教えられることもある。
スカウトになれば、いろんな選手を見て関係者とも話すことができる。
引き出しを増やしたいと貪欲な姿は変わらない。
やっぱり高校野球にロマンを感じる。
教えた選手がプロに行ってくれたら嬉しいでしょうね。
未来のプロ野球選手を育て上げるため、新人発掘に力を注ぎながら勉強の日々を過ごす。
心の琴線に触れる記事を見つけた。
[ 2018. 1. 1 日刊スポーツ ]
嬉しい情報です。