10月17日、令和になってから最初となるプロ野球ドラフト会議が行われた。
創価大学硬式野球部から、杉山晃基投手、望月大希投手、小孫竜二投手、山形堅心選手の4選手が、
「プロ野球志望届」を提出していたところ・・・ 杉山晃基投手が、東京ヤクルトスワローズから3位指名、
望月大希投手が、北海道日本ハムファイターズから5位指名を受けるに至った。
両選手を取材した、記事や番組等があったなか、
私の心の琴線に触れた記事について紹介させてもらいたい。
また、大変残念な結果となったが、小孫竜二投手と山形堅心選手は指名されなかったものの、
彼らのポテンシャルの高さは周知の事実であり、皆が認めるところ、
今回の指名は叶わなかったが・・・ 次のステージで頑張り、再度チャレンジしてくれるよう期待したい。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ドラフト指名を諦めかけた日も・・・
[記事=Number Web(2019.10.13)]
(注)表記した記事の内容は、原文そのままですが、段落や句読点等について、一部編集させていただきました。
東京ヤクルトスワローズ 3位指名 杉山晃基投手 創価大学(盛岡大学付属高校)
びっくりした。
ネット裏に陣取った1人のスカウトが、目を丸くしながらそう感想を漏らした。
東京新大学野球秋季リーグ開幕戦、場所は大田スタジアム。
今秋のドラフト候補である創価大学・杉山晃基の投球は、ストレートが高めに抜けるなど大荒れだった。
結果は1回1安打無失点。
だが、死球を2つも出したことで球場は一時騒然となった。
ブルペンでは問題なかったんですけど、ちょっと力んでしまって・・・
今日のようなピッチングをしていたんじゃ(ドラフト上位指名は)厳しいかなと思います。
試合後、うな垂れるように反省の弁を口にした杉山
だが一方で、筆者はそんな彼が懐かしくもあり、どこか嬉しい気分にもなっていた。
粗削りなところも杉山の魅力
彼の投球を初めて見たのは今から2年前、2017年の東京新大学野球秋季リーグのことである。
場所も同じ大田スタジアム、この日も開幕戦だった。
このときの杉山は、今よりももっと荒れていた。
球速は向かい風を受けながら149キロを計測するも、試合前の投球練習では、
いきなりボールがキャッチャーの構えたミットより遥か高くを抜けていきガシャーン
そんなボールが来たかと思えば次は、キャッチャーの構えたミットにズバーンと、とんでもない球威で収まる。
いったいどちらの杉山が本物なのか・・・ そのとき思った。
ただ、その粗削りなところが彼の魅力でもあった。
最速153キロ、その前年に田中正義(ソフトバンク)が在籍していた同大学だから、
多少、色眼鏡で見ていたのも認める。
それでもこれは1年後、2年後と追いかけたい。
楽しみな投手だからとその後も事あるごとに彼が投げる試合を見に球場へ向かった。
情けなさで涙した大学選手権
今年の6月10日、全日本大学選手権1回戦
大阪工大戦に先発した杉山晃基は、初回に盗塁を阻止しようとしたキャッチャーの2塁送球が
背中に当たってしまうアクシデントに見舞われた。
その後は痛みをこらえながら、なんとか7回110球まで投げきった。
ストレートの最速は149キロ・・・ だが、ボールに力がない。
なんとか変化球でかわせているが、そんなピッチングをする杉山がどこか寂しくも映った。
杉山がこのときを振り返る。
大事な大会の1回戦で(背中に)ボールが当たって、その後、痛みで全然投げれなくて、
変化球ばかりの投球になってしまいました。
結局、あの大会では満足いくボールが1球も投げられなくて・・・ 想いがこみ上げてきたのか、杉山は唇を噛んだ。
翌6月11日の東北福祉大戦では無念のブルペン待機
創価大で同じくドラフト候補の望月大希の好投もむなしく、チームは0-1で完封負けを喫した。
思うような投球ができないまま大会を去る自分への情けなさで、試合後の杉山は目を腫らして泣いた。
侍JAPAN大学代表も落選
さらに、杉山の気分を落ち込ませたのが4年間、とうとう声がかからなかった「侍JAPAN大学代表」である。
かつては先輩の田中正義も通ったその道
この秋のドラフト会議に向け、自分の可能性を信じられなくもなっていた。
(代表の落選は)だいぶ落ち込みましたね。
昨年も高校で2つ下だった選手(三浦瑞樹/東北福祉大)が選ばれて、自分は行けなかった。
そこはだいぶ気にしましたし、今年も(チームメイトの)望月が選ばれて、自分は選ばれなかった。
(周りは自分に)こういう評価をしているんだなと、正直落ち込みました。
あとは這い上がるだけ
そんな傷心の杉山に、創価大・岸雅司監督はこんな声をかけた。
自分の長所である真っ直ぐでどんどん押せ!
その言葉には杉山のリミッターを今一度、解除させようという岸監督の狙いがあった。
すると、杉山の心境にもわずかながら変化が生じる。
自分はへたくそなんだから、あとは這い上がるだけ。
試合前のルーティンも幾つか減らして、もっと技術的な練習に取り組もうと再び前向きになった。
トレーニングも追い込むというより、試合で結果が残せるようにコンディションとかそういうのを重視しするようになりました。
今年の春とかは怪我することが多くて、そういうところでやり過ぎちゃって、痛めたりすることも多かったので、
ウエイトも頻度を減らして、コンディションを重視するようになりました。
そして迎えたのが今夏の法政大学とのオープン戦
杉山の自己最速は154キロを計測。
これに自身も大きな手応えを感じたという。
岸監督、あの子の良さはストレート
その法政大戦の再現を狙ったのが、冒頭の東京新大学秋季リーグの開幕戦だった。
岸監督は杉山にリリーフ登板を命じて、再びストレートで押すピッチングを指示した。
前述の通り、結果はまたも大荒れ。
だが、杉山は自分の中で眠っていた何かを、ふっと思いだすきっかけを掴んだ。
岸監督がこう言う。
この夏のオープン戦でも、ずっと先発をさせていたんですよ。
そんなに長いイニングを投げさせなかったんだけどもね。
でも、彼はやっぱり完投したいわけです。
そしたらどうかというと、あの子の良さが出なくなったんですよね。
あの子の良さはストレートが基本なんです。
球に力があるっていうね。
その基本線を忘れて、変化球が多くなった。
だからちょっとピッチングのパターンが違うなと思って、1週目だけ真っ直ぐ中心に投げさせてみようと思って、
それで一番後ろ(リリーフ)に回したんですよね。
自信を取り戻した完投、それから次の公式戦まで2週間が空いた。
岸監督は、杉山、望月、小孫竜ニの4年生、3投手を監督室に呼んでこんな話をした。
ネット裏にスカウトいっぱい来て、ちょっと力んでいるんじゃない?
自分の持っているもの以上を出そうとするとダメ・・・ もっと楽にやろうよ。
杉山もこの話を聞いて、少し気分が楽になったという。
そして9月21日から行われた秋季リーグ・共栄大学との試合では、第1戦、第3戦に先発し、ともに完投勝利
ドラフトという、秋の大目標に向けて、少しずつだが状態も上がって来た。
内容としては、けっして納得いくピッチングじゃなかったんですけど、
それ以前の4年春、3年春と秋のリーグ戦では、1つのリーグ戦を通して安定して投げることができなかった。
そういった面ではこの前の共栄大学戦で1戦目と3戦目に完投できて、
2年の秋以来に長いイニングも投げれたというか、久しぶりに良かったなって思いましたね。
12球団から届いた調査書
その後も創価大学は快進撃を続け、リーグ最終節を待たずして、関東地区大学野球選手権大会の出場が決定
悲願である明治神宮大会優勝に向けて、まずは最初の関門をクリアした。
ピッチャーは難しいですよ。ちょっとしたことでボールが走らなくもなるし、
ちょっとしたことでコントロールを乱したり、投げ過ぎると肩や肘を壊したりと色々ありますからね。
でも、その割にあの子たちは、きちっと練習もしますしケアもする。
野球に取り組む姿勢が真摯ですよね。
真面目にやっているから。
だから思うんだけど、4年になったらみんな張りが出てきましたよ。
そこできちっと自分の投球ができるように持ってくる。
さすがだと思いました。(岸監督)
そんな杉山には、プロ12球団すべてから調査書が届いているという。
運命の日は10月17日
岸監督の表情もどこか満足気だった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
涙のプロ入り、野球を教えてくれた天国の父へ「ありがとう。」
[記事=スポーツニッポン(2019.10.17)]
(注)表記した記事の内容は、原文そのままですが、段落や句読点等について、一部編集させていただきました。
北海道日本ハムファイターズ 5位指名 望月大希投手 創価大学(市立船橋高校)
プロ野球ドラフト候補たちの知られざるエピソードを紹介する「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」が
17日、TBSで午後7時から3時間の生放送で放送され、
日本ハムから5位で指名を受けた創価大の望月大希投手(22)がVTR出演。
11年前に亡くなった父と、支えてくれた家族への感謝の思いを語った。
長身から投げ下ろす角度あるストレートと変化球を武器とする右腕としてドラフト候補に名を連ねた望月。
ここまで必死に野球を続けてこれたのは、家族の支えがあったからだ。
望月が10歳の時、野球を教えてくれた父が病気により他界。
大黒柱を失った家族は思い出の詰まったマイホームを売り払い、家賃7万円のマンションに移り住むことになった。
「家族4人で暮らすにはちょっと狭いって感じで、お金がないんだなとは感じました」と望月は当時の印象を振り返る。
まだ学生の兄と姉、そして末っ子の大希、家族4人を支えるため、母・美雪さんは昼夜問わず必死に働いた。
それでも家計は苦しく、兄・悠佑さんに「野球を続けさせられない」と涙ながらに告げる。
「最初は悔しかった。なんで俺はできないのに弟はできるんよって。嫉妬が大きかったです」と悠佑さん。
高校へ進学すると野球部に入らずアルバイト漬けの日々となった。
それでも大好きな野球を諦めきれず、夢を弟である大希に託すことを決断。
アルバイトで貯めたお金で弟にグラブをプレゼントした。
お兄ちゃんが帰ってきたときに「あげるよ。」って言われたのがグローブで、
ドッキリみたいな感じでもらいましたねと、照れ笑いしたが、今でもそのグラブは大切にとってある。
母・美雪さんは、自分ができなかったから、
弟にはそういう思いをさせたくないという兄弟の絆を感じましたねと目を潤ませた。
その後も兄・悠佑さんは節目ごとにグラブを贈り、望月は期待に応えるように高校、大学と着実に経験を積んだ。
そしてついにドラフト指名候補に。「絶対自分はプロになるんだっていう強い気持ち。
今まで野球をやらせてくれてありがとうという気持ちです」と、
今度は自分が家族を支えるという強い気持ちを持って運命の日を待った。
そして当日、家族4人で指名を待った。
長い長い沈黙の中、日本ハム5巡目でその名が呼ばれた。
「よかった~!!!!」と4人そろって喜び合うと、自然と涙があふれ出た。
「半分諦めかけていたところもあって、でもこうやって自分の名前を呼ばれてホッとしています」と望月。
「お父さんのおかげで今の自分があるので、ありがとうという言葉をかけたいですね」と目を潤ませた。
働き詰めの中でも笑顔を絶やさず支えてくれた母、夢を託してくれた兄、高校を出てすぐに働き始め家計を支えてくれた姉
望月は、野球を始めて16年、お父さんが亡くなって11年、今でも野球を続けることができるのは、
3人の支えがあったからと、家族へあふれる感謝の思いを手紙に託した。
険しく厳しいプロの世界に飛び込むが、家族への思いを胸に大舞台で活躍する姿を届ける。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます