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思いっきり徒然

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称徳女帝と道鏡

2006年08月20日 | Weblog
戦前での「日本三大悪人」とは、弓削道鏡、平将門、足利尊氏である。皇国史観によればこうなるのである。道鏡は天皇になろうとしたから、将門は朝廷に反逆したから、尊氏は後醍醐天皇に反逆して建武の新政をつぶしたからである。現在の感覚から言うと、それほどの悪人じゃあないじゃん。ここでは、道鏡を寵愛した孝謙(称徳)天皇の時代を見ることにしよう。

江戸時代の川柳にこんなのがある。
「道鏡は座ると膝が三つでき」
 (巨根であったということ)
「道鏡に根まで入れろと詔」 
 (詔(ミコトノリ)とは天皇の命令である。称徳が命じているのである。
「道鏡に崩御崩御と称徳言い」
 (崩御とは天皇が亡くなること、つまり称徳が「死ぬっ死ぬっ!」と言っている。)
それぞれなかなかの傑作である。江戸時代は幕府への批判は御法度だったが、皇室への不敬罪なんてないから、自由にこんなことが言えたのである。それがわずか十年そこらで現人神となってしまった。教育というものの恐ろしさである。

さて、これらの川柳からもわかるように、昔から称徳女帝と道鏡とは男女の仲であったことが事実として扱われているし、多くの歴史書がこれを踏襲している。しかし、井沢センセイはこれに異を唱えられるのである。

道鏡の前に孝謙の寵愛を受けたのが、藤原仲麻呂である。
二人とも藤原不比等の孫で、従兄妹同士ということになる。しかし、仲麻呂を引き立てたのは光明皇后であったと井沢センセイはおっしゃる。通説では称徳の寵愛が仲麻呂から道鏡にうつったのが仲麻呂の乱の原因とされるが、どうやらそうではないらしい。
まずは、藤原仲麻呂から見ていくことにしよう。


1 コメント

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崩御崩御 (崩御崩御)
2018-07-07 03:05:35
いくいくでしょう
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