母の命日です。
高知の病院で最後を見取りました。
負けるもんか!
が、最後の言葉だったようですが、
私が病院に駆けつけた頃は、すでに意識がなく、
危篤状態でした。
もっと話をしとくっべきだったと後悔もしましたが、
すでに結婚1ヶ月目で、忙しい時期と重なっておりました。
明るい性格で、常に気を使う、こまめな女性でしたが、
唯一、一人息子の私には厳しかった。
一年365日同じ事を言っても、直らんか、お前は。
もったりした性格の私には、先を心配しての忠告でしょう。
母があってのわたしの人生が、終わったのが今から
25年前の9月30日。
何が変わったか。うーん、わからん。
高知の病院で最後を見取りました。
負けるもんか!
が、最後の言葉だったようですが、
私が病院に駆けつけた頃は、すでに意識がなく、
危篤状態でした。
もっと話をしとくっべきだったと後悔もしましたが、
すでに結婚1ヶ月目で、忙しい時期と重なっておりました。
明るい性格で、常に気を使う、こまめな女性でしたが、
唯一、一人息子の私には厳しかった。
一年365日同じ事を言っても、直らんか、お前は。
もったりした性格の私には、先を心配しての忠告でしょう。
母があってのわたしの人生が、終わったのが今から
25年前の9月30日。
何が変わったか。うーん、わからん。