野鳥にまつわるお話

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ホトトギスの民話(奈良県)

2018年04月25日 | 野鳥
ホトトギスのきょうだい (奈良県)

 ホトトギスはむかし、おとうととふたりぐらしやってんと。ある日のこと、いっしょにヤマイモをほりにでかけたけど、とちゅうで用をおもいだしたもんやから、
「さきにいんで(かえって)、イモをたきかけてくれんか。」
ちゅうてたのんだんやてな。ほんで、ホトトギスのおとうとは、うちにかえって、ヤマイモをあろうて火にかけたんやて。そやけど、にいやんは、なかなかかえってきよらん。そのうちに、だいぶにえてきたみたいやから、
「もう、はし立つかしらん。」
と、ついてみると、イモは、いいぐあいににえとるや。
「おそいなあ、にいやんはなにしとんかいなあ。アア、はらへった。」
 おとうとは立ったりすわったりしたけど、しんぼうたまらんようになって(がまんできなくなって)、ちっちゃいイモをひとつ食うてみた。ほんならまあ、ヤマイモはほっくりにえて、したがとろけるみたいや。
「こらうまいがな。もうひとつ、ちっちゃいのをたべたろ。」
 また食うた。それでもにいやんは、かえってきよらん。
「そうや、どうせふたつにわけて食うのや。おれのぶんだけさきに食うても、おこれへんやろ。」
 おとうとは、なるべくつるくびのもむない(おいしくない)ところばっかりよりわけて、ええところを、にいやんのぶんとして、のこしといたんやてな。
 やっとして、にいやんのホトトギスがかえってきて、
「ヤマイモにえたか。」
と、きくもんやから、
「うん、にえたよ。だいぶまっとったんやけど、はらへってしゃないさかいに、おれのぶんだけ、さきに食うた。」
 おとうとは、のこしてあったうまいイモをだしてんと。ほいたらにいやんは、こわい顔していうのや。
「たったこんだけか。」
「うん、ちょうど半分にわけたら、そんだけや。」
 にいやんのホトトギスは、むっとふくれてひと口たべてみたけど、はしをほうりだしたんやと。
「なんやねん、このイモは。もむないところばっかりのこして、どういうこっちゃ。うまいところは、みんなおまえが食うてしもたんやろがな。」
「そんなあほな。ええところばっかりのこしたつもりやで。」
「うそたれっ、だまされるかいな。」
 ぼろくそや。しまいにはおとうとも、しゃくにさわるわな。
「そうか、そんくらいおとうとを信用でけへんのやったら、おれのはら、たちわってみてくれ。うそいうてるか、いうてへんか、すぐわかるがな。」
 にいやんはむしゃくしゃまぎれに、おとうとのはら、たちわったんやて。ほんならどうや、やっぱしおとうとのいうたとおり、中にはくずイモばっかりはいっているがな。
「しもた、えらいことした。」
 にいやんは、じだんだふんだが、もうあとのまつりやった。
 そやからホトトギスは、いまでも、
「オトトかわいや、ホーロンかけたか。」
ってなくのやて。それもまい日、八千八声ずつなきつづけるんやて。ないとるとちゅうで、人がまねでもすると、またはじめからやりなおすねんと。たとい、あとひと声でおわりちゅう、八千七声までいってても、やりなおすらしいわ。
 ほいでむかしから、ホトトギスのないているのをきいたら、まねしてやるな、いうねんて。はじめからやりなおすのは、あんまりかわいそうやもんな。
 なきつづけになくもんやから、木にとまってるときは、口ん中があこう見えてる。赤いのは、なきすぎて血ぃはいてるせいやそうや。 (再話・川村たかし)
【ふるさとの民話十四「奈良県の民話」 日本児童文学者協会編 偕成社】


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