ヤングリゾート

歳をとってしまった日本人。
若さを忘れないように。
大手電機メーカー勤務

日本一BMWを売る営業マン舘野 文誉

2009年01月28日 | Weblog
国内の東海地方で優れた業績を残した

今回は3日に1台というペースでBMWを
販売するカリスマセールスマン・舘野文誉さん。

名古屋市新栄にあるヤナセBMW名古屋支店。
ここに一人のカリスマセールスマンがいる。
舘野文誉、37歳。
昨年、BMW正規ディーラー・セールスマン一人
あたりの平均売り上げ台数はおよそ49台だった。
しかし彼はその2倍以上、124台を販売した。
舘野はヤナセがBMWを扱い始めた当初から、
年100台以上という販売台数をキープしており
販売台数全国1位にも2年連続で輝いたことのあるトップセールスマンだ。

彼の信念は徹底的に「数字」にこだわること。
それは実績を出せず、30歳でプロゴルファーを
諦めなければならなかった過去からくる「数字」へのこだわりなのだ。

舘野の実績の理由に、徹底したアフターサービスがある。
顧客が望めば、早朝だろうと深夜だろうと舘野は駆けつける。
疲れや苦労を笑い飛ばし、顧客の前では、いつも人なつっこい笑顔を見せる。
舘野は顧客を友人のように思い、自分の時間を削って尽くそうとする。
休日であってもスーツを着ない日はないというほど、舘野は顧客との時間を大切にする。
その姿勢が口コミで広がり、顧客の数はどんどん増えていった。

数字にこだわり、「人と同じことをやっていては実績が残せない」
と語りながら最後に「お客様としゃべっているのが楽しい」と舘野は笑った。


舘野 文誉氏(ヤナセバイエルンモーターズ株式会社)



(たての・ふみたか)1969年愛知県生まれ。名古屋学院大学経済学部卒業後、
中嶋常幸プロのもと、プロゴルファーを目指す。30歳を機に断念し、
営業職へ転身。ヤナセBMWの国内高級車販売の業界に入る。
常に年間100台以上の販売台数をキープ。2年連続で販売台数全国1位獲得。
BMWセールスマンの頂点に立つ。努力を惜しまず、
とことん顧客ケアを行うカリスマセールスマン

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名古屋市新栄にあるヤナセBMW名古屋支店。
ここに一人のカリスマセールスマンがいる。
舘野文誉、37歳。
昨年、BMW正規ディーラー・セールスマン一人あたりの
平均売り上げ台数はおよそ49台だった。
しかし彼はその2倍以上、124台を販売した。
舘野はヤナセがBMWを扱い始めた当初から、年100台以上と
いう販売台数をキープしており販売台数全国1位にも2年連続で
輝いたことのあるトップセールスマンだ。

彼の信念は徹底的に「数字」にこだわること。
それは実績を出せず、30歳でプロゴルファーを諦めなければ
ならなかった過去からくる「数字」へのこだわりなのだ。

舘野の実績の理由に、徹底したアフターサービスがある。
顧客が望めば、早朝だろうと深夜だろうと舘野は駆けつける。
疲れや苦労を笑い飛ばし、顧客の前では、いつも人なつっこい笑顔を見せる。
舘野は顧客を友人のように思い、自分の時間を削って尽くそうとする。
休日であってもスーツを着ない日はないというほど、舘野は顧客との時間を大切にする。
その姿勢が口コミで広がり、顧客の数はどんどん増えていった。
数字にこだわり、「人と同じことをやっていては実績が残せない」と語りながら最後に「お客様としゃべっているのが楽しい」と舘野は笑った。



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3日に1台というペースでBMWを販売するカリスマセールスマン
舘野文誉さんを紹介している番組がありました。

舘野文誉、37歳。
昨年、BMW正規ディーラー・セールスマン一人あたりの
平均売り上げ台数はおよそ49台だったのを、舘野さんはその2倍以上、
124台を販売したそうです。
舘野さんは、ヤナセがBMWを扱い始めた当初から、年100台以上と
いう販売台数をキープしており販売台数全国1位にも2年連続で輝いた
ことのあるトップセールスマンだそうです。
彼の信念は徹底的に「数字」にこだわること。
それは実績を出せず、30歳でプロゴルファーを諦めなければ
ならなかった過去からくる「数字」へのこだわりなのだとか…。

舘野さんの実績の理由に、徹底したアフターサービスがあります。
顧客が望めば、早朝だろうと深夜だろうと舘野さんは駆けつけるそうです。
疲れや苦労を笑い飛ばし、顧客の前では、いつも人なつっこい笑顔を見せる。
舘野さんは顧客を友人のように思い、自分の時間を削って尽くそうとします。
休日であってもスーツを着ない日はないというほど、舘野さんは顧客との
時間を大切にしているそうです。
その姿勢が口コミで広がり、顧客の数はどんどん増えていったそうです。
数字にこだわり、「人と同じことをやっていては実績が残せない」と
語りながら最後に「お客様としゃべっているのが楽しい」と語られました。


営業の仕事をしている私とって、とても勉強になりました。
私にはかけていることがたくさんあり、舘野さんの姿を見て
本当にいろんなことを学ばされました。

出会った人・顧客から信頼される自分になりたい
そう思いました。

鉄カフェ

2009年01月26日 | Weblog
 コーヒーを飲みながらSLなどの鉄道模型を思う存分操れる
「鉄カフェ」(大阪市天王寺区)が人気を集めている。

鉄道マニアだけでなく、団塊世代や家族連れが何時間も
熱心に模型を走らせる姿が見られ、休日には順番待ちの行列も。
藤川梨絵店長は「鉄道模型を通じて、癒やしの空間を提供しようと始めた。

何かと息苦しい時代なので、楽しいひとときを過ごして元気になってもらえれば」と話している。

 模型は「Nゲージ」と呼ばれる規格で、2本のレールに
流された電気をエネルギーに走り、手元の操縦機で速度調節できる。
店は3階建てで、各フロアに田園風景などを模したジオラマが設置され、
最長14メートルのレールを模型が繰り返し走り続けている。

 店は2年前、食事をしながら鉄道模型を楽しんでもらおうと
ラーメン店としてオープンした。しかし、料理の油がレールに付き、
電流が遮断されて模型が止まるトラブルが頻発。
昨年2月にカフェとして再スタート。カフェ形式では日本初という。

ニュースは親日国たくさん取り上げて

2009年01月26日 | Weblog
親日国で有名なのはパラオ共和国。

第一次大戦後ドイツから日本の信託統治領に変わり、
終戦時まで南洋庁や海軍の根拠地が置かれましたが、
それまで支配した西欧人と違い日本は彼らに教育を施し、
農業や手工業を教え文明化しました。
また、第二次大戦中も日本軍は自ら玉砕しながら現地人には殆ど被害を与えず、
今日に至るまで称賛と感謝を受けています。

インドネシアやビルマ、ベトナム、台湾、
日本の統治下にあった国でも強い反日感情がないのは、
それまでの西欧に比べて民衆を大切にしたからであったことを表しています。

トルコは1890年和歌山沖で発生したエルトゥールル号海難救助への感謝と、
日露戦争でロシアを破ったことへの共感


ドイツは第二次大戦を一緒に戦った、などの歴史的なつながりです。

フィンランド…隣国ロシアから侵略の脅威にさらされていたが、
日露戦争で日本がロシアを破ったため

ブリトニー・スピブリトニー・スピアーズ、日本三菱エクリプスに乗り換えた

2009年01月25日 | Weblog
ブリトニー・スピブリトニー・スピアーズ、“三菱エクリプス” に乗り換えた

やはり日本車は強い。
ブリトニー・スピアーズ(27)が、
日本の三菱の車に乗り換えたようだ。


セレブのご愛用品は売れる、という波及効果が期待できるのが
ファッションと車。ブリトニーといえばベンツを運転という印象が
これまであったが、
今回は人気のクーペでありながら、日本車を購入した。

平成17年に三菱自動車が発表した、4代目となる「エクリプス」。
米国では大変な人気を誇っている。V6・3.8リッター・エンジンを積み、馬力は260。

価格は日本円に換算すると250万円弱で購入できるようだ。
コンバーチブル・タイプもあるが、わが日本では発売がない。

若手セレブというと、Hammer/H2などをド派手に乗り回したがるコがいる反面、
環境保護の観点でハイブリッド車を好む人も多く、
ブリトニーも現在乗っているかは不明であるが、
プリウスを購入したことがある。そして今回のブリトニーの車選びについては、
さすがは父親ジェイミーさん、しっかりと金銭管理しているなというのが感想である。

ジャングルファイアー裸芸もはや特技。これは大學で学びました

2009年01月24日 | Weblog
裸芸もはや特技。これは大學で学びました。
ちょっと下品な話かもしれませんが…。

なんか、パワーすぎというか、笑いの美学を
そこに感じなかったんですよ。若かったから。

しかししかし、まあ脱ぎ芸ってのはある意味反則で、爆発力が半端じゃないのよ。
いきなり超必殺技なのよ。突然かめはめ波やられたら、そりゃ面白いわな。
周りには、昔から脱ぐ人が多くいました。学んだのはその人達からですね。
ちゃちゃっと、いくつか脱ぎ芸を披露しましょう。

☆ ジャングルファイアー

これは定番ね。脱いだら必ずやります。

簡単に言えば下の毛を燃やす訳です。ただし、燃やすだけでは終わりません。
そんなの何も面白くありません。ちゃんと消火します。しかも、かなり美しく!
まあ敢えて説明しないけど、見た事ある人は知ってるよね?パッ!と消えるんです、これが。

これを教えてくれたのは、大學の先輩。はじめて見た時は、びっくり。
人間はこんなに笑う事があるのかと思ったね。それくらい笑いました。
それを受け継いで、俺と旧華族のAで広めたんですね。サーフィン仲間に。
誰でも出来ますが、旧華族が一番やってました。
一時期燃やしすぎて、毛が無かったもんね。どんなペースで燃やしてるんだよ!



とまあ、よく脱いでました。面白い事しろって言われたら、
脱ぐしかないよ、男なら!

今の会社に入って3ヶ月目、納会の時に、1発芸をリクエスト
されてやりました。
ジャングルファイアーを披露したんですが、
全員ドン引き。もう、空気が凍りついたね。
俺的には、「なんて寒い奴らなんだ!」って当時は思ってました。
今考えれば、そりゃあんまり知らない奴がいきなり毛を
燃やして消火したら引くわな。

結構奥の深い脱ぎ芸。男なら脱がなきゃ意味が無いよ!


ジャングルファイヤー
 
 
昨日は、飲み過ぎてアップできなかった。
 
スマン、スマン。
 
と言いつつも、今日も「いろり」で開いたクリスマスパーティで
ちょっといただき過ぎた。
大学に務める友人達と、その奥様方を含めて、
日本男子再生について「熱く」語り合ったのだ。
 
 
そして、学生時代に飲み会でやってた「ジャングルファイヤー」を
学生に引き継がせたい、と言う話になった。
 
西班牙人の友人が滞在していた時に、
飲み会で「ジャングルファイヤー」を実演したら、
大爆笑。
 
 
西班牙人には大ウケ。
 
 
実は、その奥さんもチョーぶっちゃけた人で、旦那を含めた団体で、
いっしょにストリップに行った時に、踊り子さんのある演技を
手助けしたほどの強者なのだ。(ここで、詳細は書けない)
  
ふ〜。


   

レーナウン レナウン レナウン レナウン むすめが
おしゃれチックな レナウン むすめが
ズンチャカ ズンチャカ ズンチャカ ズンチャカ ズンチャカ
ウーアー

繰り返し


いや〜、飲んだ飲んだ、笑った笑った。

尊敬している先輩山本五十六元帥

2009年01月23日 | Weblog
山本五十六元帥

僕自身が純粋に尊敬している先輩日本人のひとりです。

経営者やマネジャーにとって必要なスタンスが、語録の中に非常にあらわれており、山本元帥が多くの人から慕われていたことが容易に想像できます。

「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
はもっとも有名な語録ですが、さらに好きな語録は…

「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろ う 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
のほうです。感動の一言に尽きますね。

男性だけではなく、ぜひ働く女性にも心がけてもらえると
うれしいスタンスなんですよね。文句や不平不満を言うことは簡単です。

しかし、それをグッと堪えて結果を出し続ける人の出世が
早いことが多いのも多くの企業での事実。己の目標への過程として、
与えられた環境をどれだけ楽しみ、
そして周囲との調和を図りながら進んでゆくことがとても大切だと思います。

ちなみに、意見は◎だと思います。文句と建設的な意見の違いを知ることが
とても大事です。
それを、はき違えている若者がどんどん多くなっているのが昨今気になっています。

山本元帥、僕も現世の日本人としてがんばりますね



パチスロ正式名称は「回胴式遊技機」

2009年01月20日 | Weblog
今日も会社帰りにパチンコ店。

空き台に座ると、わずか13GでBig確定!

RT中は、ナビによってチェリーを狙い分けてRTを伸ばしていく。

ぬひょぉぉぉぉ!

これは鬼アツ予告(゜ω゜=)

いやぁ、今日は絶好調!

パチスロ正式名称は「回胴式遊技機」。

大和観光協会 伊豆下田

2009年01月19日 | Weblog
http://www.shimoda-city.info/
下田観光協会


http://baykuro.blog96.fc2.com/

伊豆下田の下田ベイクロシオホテルのスタッフ日記


下田大和館
http://travel.biglobe.ne.jp/nta/onsen/yado/BGoy084/bath.html

下田プリンスホテル
http://www.princehotels.co.jp/shimoda/

下田東急ホテル
http://www.shimoda-r.tokyuhotels.co.jp/


下田ビューホテルのホームページ
http://www.viewhotel.co.jp/

外浦海岸
http://www.tour.ne.jp/special/japan/beach/chubu_08.html

伊豆乗馬クラブ
http://www.jyoubaclub.com/#start

日本代表X JAPANワールドツアー

2009年01月19日 | Weblog
X JAPANがうなりを上げた。

X JAPANワールドツアー、メンバー自身が実現するとは思えなかった夢の世界ツアーが遂に実現、本人達をも狂喜させるほどの大成功に、X JAPANの新たな歴史が幕を開けた。

1月16日、17日の2日間で約2万人を動員した香港公演、その歴史的な足跡をここにとどめておこう。

【関連写真】X JAPAN、香港で起こした“事件”~写真編

開演時間の20時になると、既に総立ちの会場からXコールが湧き上がり、オーディエンスは万全の体制でX JAPANを待つ。香港に始めてX JAPANが舞い降りる…この瞬間を待ち続けていた香港のオーディエンス1万人は、すでに万感の思いであったことだろう。あとは、身を委ねるだけだ。

客電が落ち、「LAST SONG」のSEが流れ、メンバーの登場を息を飲み待ち構える緊張感が会場を満たすと、YOSHIKIのピアノとTOSHIの歌声がまるで闇を射すようにまっすぐに伸びていく。否応なく高まる緊張感の中「Rusty Nail」へ。ステージの幕が落ちYOSHIKIとTOSHIの姿が現れると、歴史的瞬間を目の当たりにした香港ファンの熱狂が空を切り裂く。この瞬間、世界ツアーの成功を確信したメンバーの身体にも電流が走る。世界を震わせるX JAPANの鼓動の潜在パワーが、メンバーにオーディエンスにそしてスタッフの身体を瞬時に射抜く。世界ツアーの成功はこの時点で決まった。会場のボルテージは一瞬で最高潮に達している。

TOSHIの「香港―!」という呼びかけで、世界進出の第一歩を飾る香港が呼応する。香港ファンの熱狂ぶりにYOSHIKIのドラムが応える。両者の壮絶な掛け合いはそのまま生ける巨大モンスターの脈動となり、興奮のスパイラルが会場に満ち満ちていく。もう全てが爆発してしまいそうだ。

メンバー全員が確かなる空気に身を捧げ、X JAPANの美学は、ライヴという瞬間瞬間の芸術に昇華されながら、オーディエンスの心に飛び込んでいく。観客もメンバーもスタッフも、この会場に捕らえられた全ての感情は、もはや制御不能だ。X JAPANというモンスターの生み出す巨大なエネルギーは全ての感情を飲み込んで膨大な興奮のスパイラルを増幅させていく。

X JAPANは、理屈や仕掛けでは作りえない、人間の想いと折り重なる感動で会場を埋め尽くす次元を超えたパフォーマンスをリアルタイムに生み続けていった。

途中、YOSHIKIはピアノの前で、自分自身の肩を抱きしめるように深々と頭を下げた。長年、世界進出を大きな目標に掲げてきたX JAPANの軌跡を確かめるように。Hideへの想いを抱きしめるように。支えてくれたファンのひとりひとりの笑顔に想いを馳せるように。

「ART OF LIFE」では、ビジョンに映し出されたhideの映像にhideコールが巻き起こり、「紅」では日本語の大合唱。本編が終了しメンバーがステージを下がると香港ファンは足で地面を鳴らしながら、Xコールでメンバーの登場をあおり続けた。鳴り止まない地響きにアンコールで登場したメンバーはチャイナ服に身を包み、会場を満面の笑みで埋め尽くした。

この日、YOSHIKIは深々と頭を下げ、名残り惜しそうにステージを降りた。翌17日<破壊の夜 in HONGKONG>では、風邪や激しいパフォーマンスによる後遺症も心配される中、前日よりもさらにボルテージを上げて登場。人力では理解し得ない、X JAPANというモンスターが生み出すエナジーに、YOSHIKI自身が操られているかの健在ぶりだ。火事場の馬鹿力ならぬ、X JAPANの未曾有パワー。もはやセルフコントロールもなにもない。YOSHIKIはX JAPANが放つエネルギーを全身に浴びながら、攻撃と回復と成長をリアルタイムに回転させている。こんなパフォーマンスが今まであっただろうか。

前日の大成功はメンバーをさらに強靭にさせた。より安定したTOSHIのボーカルにオーディエンスは全曲日本語の大合唱で応え、メンバーのプレイはさらに温度を上げていく。YOSHIKIも人跡未踏のドラミングを連続して演奏、疲労を見せるどころかさらに加速する姿は、理屈を超越してしまった。

生きるモンスター、X JAPAN。その生命体は海を越えて、ドデカイ変態を遂げた。エネルギーを感動に換え、感動をエネルギーに換えて、メンバーもオーディエンスもX JAPANの一部となった。

アジア最大? 世界最大? そんなことはもはやどうでもいい。感動を伝えるX JAPANというひとつの“プロトコル”が今、世界共通となったことが一番の“事件”なのである。

<X JAPAN WORLD TOUR スケジュール>
1月16日 香港 ASIA WORLD EXPO
1月17日 香港 ASIA WORLD EXPO
X月X日 XXXXドーム
X月X日 XXXXドーム
X月X日 東京ドーム
X月X日 東京ドーム
3月21日 韓国 オリンピック公園第一体育館
3月22日 韓国 オリンピック公園第一体育館
X月X日 バンコック Supachalasai Stadium
X月X日 東京ドーム
X月X日 東京ドーム
X月X日 ニューヨーク Madison Square Garden
X月X日 ロサンゼルス
X月X日 フランス
X月X日 ドイツ
X月X日 フィンランド
X月X日 北京
X月X日 台北


X JAPANが日本代表として世界へ

2009年01月19日 | Weblog
「X JAPAN」
が16、17の両日、初の海外公演を香港のアジアワールドエキスポで行った。

中国語圏では「殿堂級楽隊」と称されるカリスマバンドの
ステージに計2万人が大興奮。何度も日本語で大合唱がわき起こり、
リーダーのYOSHIKI(年齢非公表)も
「世界でトップを獲る姿が見えた」と海外制覇に手応えをつかんだ様子だ。

 ヒット曲「紅」を繰り出すと、日本語の大合唱に包まれ、
TOSHI(43)の歌声がかき消された。
TOSHIが広東語で「ゾイレーイヤッサイゴー(もう1曲いくぞ)。
ヤッチャイチョンラー(一緒に歌ってくれ)」とあおると、
続く「ENDLESS RAIN」も観客が次々と日本語で歌い始めた。

 地元紙の記者によると、ファンは「ユーチューブ」などの
動画サイトで昨年3月の東京ドームでの復活公演などを視聴して
“予習”。インターネットで呼びかけ、
持ち込んだ赤いポンポンを揺らしながら日本公演と同じ光景で出迎えた。
代表曲「X」では、両手を頭上で交差して「×」の字をつくって跳びはね、
会場中で恒例の「Xジャンプ」。
メンバーもカンフーの道着を着ながら約2時間半、お祭り騒ぎとなった。

 89年のメジャーデビューから20年のメモリアルイヤー。
92年には世界進出を目指し、バンド名を「X」から改名した。
しかし、97年に解散し、再結成後の昨年もパリ、ニューヨークでの公演を予定しながらYOSHIKIの体調不良などで延期。
ようやく実現した海外ステージに、YOSHIKIは
「今回が日本以外で初めてのコンサートなんだ。
何てお礼を言えばいいか分からない」と英語であいさつし、
万感の表情を浮かべた。98年に死去した
ギタリストのhideさん(享年33)も映像で参加。
生前の雄姿が映し出されると、女性ファンたちは次々と涙を流した。

 2日間で計2万枚のチケットは完売。
地元メディア39社が取材に集まった。国境のない盛り上がりに、
YOSHIKIは終演後、「世界でトップを獲る姿が見えた」と
自信をみなぎらせた。今年は世界各国でX旋風が吹き荒れそうだ。