平成18年3月29日付けの「産経新聞」の記事によると「国家公務員削減各省ゼロ回答連発・・」の見出しで、5年間で国家公務員を5%以上純減する目標達成の中間報告をまとめたが、所管5省が28日までに示した削減案は、事実上ゼロ回答だった‐と述べられている。
各省庁とも自分の職場が可愛いから、できるだけ人員は削減したくない気持ちは分かるが、そんなことを言っていたのでは公務員の削減はできないし、これによる人件費の縮減は難しく、ひいては国家財政の再建もおぼつかなくなる。各省庁の役人はもとより、全国議員の先生方も、省益よりもまず国家のことを優先して考えてもらわなければならない。
ここで思われるのが、総理大臣加藤友三郎の施策である。彼は海軍一筋の軍人であり、海軍大臣を長年にわたってつとめてきていて誰よりも海軍のことを熟知しており、海軍に対して限りない愛情を抱いていた。
しかし、海軍の軍縮をすすめる上においては、省益とか海軍に対する感傷をかなぐり捨てて、率先して海軍の縮減をはかったのである。艦船の製造中止、兵員の解雇、海軍予算の削減と思い切った政策を実施したのであった。しかも海軍のみならず陸軍の師団縮減、兵員の削減なども行っているのである。
これらは、一省庁の利益にとらわれず真に国家の将来を見据えての断行であった。当然海軍や陸軍からの強い反対もあり、軍関係の業者からの強行な圧力もあったであろうが、それらを断固としてはねのけて軍縮をすすめたところに、友三郎のすごさがみられる。
最近出販された「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)によると、「加藤友三郎は軍縮に貢献し、原内閣以来の課題の後始末をよくこなしたが、在任中に病没したのが惜しまれる」と書かれている。
大正12年8月、友三郎が亡くなったとき新聞の各誌は、「日本は、加藤子の逝去により、手腕ある政治家と言わんより、先見卓識ある政治家の一人を喪った。今日の日本に最も必要なるものが、手腕ある政治家より、先見卓識の政治家たるを思う時、吾人は加藤子の逝去が国家の重大損失たるを痛感せざるを得ない」と述べている。今の政治家にも当てはまる論評といえるのではなかろうか。
(加藤子とあるは、友三郎が子爵を授けられたことによる敬称である)
(加藤友三郎銅像復元会 田辺良平 記)
各省庁とも自分の職場が可愛いから、できるだけ人員は削減したくない気持ちは分かるが、そんなことを言っていたのでは公務員の削減はできないし、これによる人件費の縮減は難しく、ひいては国家財政の再建もおぼつかなくなる。各省庁の役人はもとより、全国議員の先生方も、省益よりもまず国家のことを優先して考えてもらわなければならない。
ここで思われるのが、総理大臣加藤友三郎の施策である。彼は海軍一筋の軍人であり、海軍大臣を長年にわたってつとめてきていて誰よりも海軍のことを熟知しており、海軍に対して限りない愛情を抱いていた。
しかし、海軍の軍縮をすすめる上においては、省益とか海軍に対する感傷をかなぐり捨てて、率先して海軍の縮減をはかったのである。艦船の製造中止、兵員の解雇、海軍予算の削減と思い切った政策を実施したのであった。しかも海軍のみならず陸軍の師団縮減、兵員の削減なども行っているのである。
これらは、一省庁の利益にとらわれず真に国家の将来を見据えての断行であった。当然海軍や陸軍からの強い反対もあり、軍関係の業者からの強行な圧力もあったであろうが、それらを断固としてはねのけて軍縮をすすめたところに、友三郎のすごさがみられる。
最近出販された「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)によると、「加藤友三郎は軍縮に貢献し、原内閣以来の課題の後始末をよくこなしたが、在任中に病没したのが惜しまれる」と書かれている。
大正12年8月、友三郎が亡くなったとき新聞の各誌は、「日本は、加藤子の逝去により、手腕ある政治家と言わんより、先見卓識ある政治家の一人を喪った。今日の日本に最も必要なるものが、手腕ある政治家より、先見卓識の政治家たるを思う時、吾人は加藤子の逝去が国家の重大損失たるを痛感せざるを得ない」と述べている。今の政治家にも当てはまる論評といえるのではなかろうか。
(加藤子とあるは、友三郎が子爵を授けられたことによる敬称である)
(加藤友三郎銅像復元会 田辺良平 記)