加藤友三郎 銅像復元会

第21代・12人目の内閣総理大臣

写真集【5】加藤友三郎銅像復元除幕式

2008-12-28 14:30:54 | 加藤友三郎 写真集


【お披露目された銅像】


【青空にそびえる銅像と功績碑】


【城南通りの地下道から上がった付近から見た銅像と中央公園】


【昭和18年に銅像が撤去され、台座だけが残っている比治山に設置した由来碑】


写真集【4】~吉田先生のアトリエ~

2008-04-14 10:39:41 | 加藤友三郎 写真集


【実物大の骨格と吉田正浪先生 08.2.24撮影】


【三分の一サンプル 08.3.19撮影】


【制作が進む 08.3.23撮影】


【完成間近 08.4.2撮影】


【型取りの石膏固め その1 08.4.8撮影】


【型取りの石膏固め その2 08.4.8撮影】




写真集【3】~現地確認~

2008-04-14 10:30:36 | 加藤友三郎 写真集


【現地確認の様子 その1】
高いビルがリーガロイヤルホテル・左がお城


【現地確認の様子 その2】
お城側から;左がグリーンアリーナ


【比治山の台座】

写真集【2】~発会式~

2008-04-14 10:15:31 | 加藤友三郎 写真集


【発会式の様子 その1】


【発会式の様子 その2】





写真集【1】

2008-04-14 10:03:07 | 加藤友三郎 写真集


【ワシントン軍縮会議の模様】


【修道学園に残る山田養吉の門弟名簿】


【歴史雑誌のコピーから】
この写真は、昭和54年7月25日、毎日新聞社発行「一億人の昭和史 別冊」
日本海軍史の273ページを複写したものです。



【死去を報じる新聞】

総理大臣 加藤友三郎のすごさ

2006-10-24 16:27:37 | 連載「あぁ、友三郎!」
 平成18年3月29日付けの「産経新聞」の記事によると「国家公務員削減各省ゼロ回答連発・・」の見出しで、5年間で国家公務員を5%以上純減する目標達成の中間報告をまとめたが、所管5省が28日までに示した削減案は、事実上ゼロ回答だった‐と述べられている。

 各省庁とも自分の職場が可愛いから、できるだけ人員は削減したくない気持ちは分かるが、そんなことを言っていたのでは公務員の削減はできないし、これによる人件費の縮減は難しく、ひいては国家財政の再建もおぼつかなくなる。各省庁の役人はもとより、全国議員の先生方も、省益よりもまず国家のことを優先して考えてもらわなければならない。

 ここで思われるのが、総理大臣加藤友三郎の施策である。彼は海軍一筋の軍人であり、海軍大臣を長年にわたってつとめてきていて誰よりも海軍のことを熟知しており、海軍に対して限りない愛情を抱いていた。
 しかし、海軍の軍縮をすすめる上においては、省益とか海軍に対する感傷をかなぐり捨てて、率先して海軍の縮減をはかったのである。艦船の製造中止、兵員の解雇、海軍予算の削減と思い切った政策を実施したのであった。しかも海軍のみならず陸軍の師団縮減、兵員の削減なども行っているのである。
 これらは、一省庁の利益にとらわれず真に国家の将来を見据えての断行であった。当然海軍や陸軍からの強い反対もあり、軍関係の業者からの強行な圧力もあったであろうが、それらを断固としてはねのけて軍縮をすすめたところに、友三郎のすごさがみられる。

最近出販された「歴代総理の通信簿」(八幡和郎著、PHP新書)によると、「加藤友三郎は軍縮に貢献し、原内閣以来の課題の後始末をよくこなしたが、在任中に病没したのが惜しまれる」と書かれている。


 大正12年8月、友三郎が亡くなったとき新聞の各誌は、「日本は、加藤子の逝去により、手腕ある政治家と言わんより、先見卓識ある政治家の一人を喪った。今日の日本に最も必要なるものが、手腕ある政治家より、先見卓識の政治家たるを思う時、吾人は加藤子の逝去が国家の重大損失たるを痛感せざるを得ない」と述べている。今の政治家にも当てはまる論評といえるのではなかろうか。
(加藤子とあるは、友三郎が子爵を授けられたことによる敬称である)

(加藤友三郎銅像復元会 田辺良平 記)