先日、福島の霊山に登った後に、福島原発事故の被害を受けた浪江町まで足を延ばしてみた。
霊山から飯館村の方に車を走らせると、道の途中所々に、黒い大きな袋に詰められた放射性廃棄物が山のように積み上げられていた。

その近くに設置されている放射線量測定器。

行き交う車は、除染作業や復興作業のダンプカーだけで、私のような一般車はほとんど確認できなかった。
福島原発から40キロも離れている飯館村だが5年過ぎた今でも全員避難中、黙々と作業をしている除染作業員以外誰もいない、まさにゴーストタウンの様相だ。
直接浪江に入る道路は通行禁止のようなので、南相馬の方に迂回した。
南相馬から浪江に向かう途中の牧場で目にした光景・・・

牧場の真ん中の割れ目は、地震の時にできたものらしい。

ここから先には行けないので、回り道・・・

浪江の町に入って驚いたのが、地震の被害にあった建物がまだそのままの状態で残されていたこと。
もちろん飯館村と同じく全員避難中なので、除染作業員以外誰もいない。






誰も歩いていない歩道には、腰の高さほどの草が生い茂っていた。

もちろん浪江駅もそのまま、駐輪場はガランとしており、駅前の公衆電話には5年分の埃が溜まっていた。



駅の待合室に置いてあったショーケースも5年前の状態・・・

除染作業は所々されているが、まだまだ全体の一部、山林を含め汚染地域を全て除染するには気の遠くなるような年月が必要なようだ。
しかも、肝心の廃炉作業が40年以上もかかりそうな現状では、住民も安心して戻ってこれないのではないだろうか。
霊山から飯館村の方に車を走らせると、道の途中所々に、黒い大きな袋に詰められた放射性廃棄物が山のように積み上げられていた。

その近くに設置されている放射線量測定器。

行き交う車は、除染作業や復興作業のダンプカーだけで、私のような一般車はほとんど確認できなかった。
福島原発から40キロも離れている飯館村だが5年過ぎた今でも全員避難中、黙々と作業をしている除染作業員以外誰もいない、まさにゴーストタウンの様相だ。
直接浪江に入る道路は通行禁止のようなので、南相馬の方に迂回した。
南相馬から浪江に向かう途中の牧場で目にした光景・・・

牧場の真ん中の割れ目は、地震の時にできたものらしい。

ここから先には行けないので、回り道・・・

浪江の町に入って驚いたのが、地震の被害にあった建物がまだそのままの状態で残されていたこと。
もちろん飯館村と同じく全員避難中なので、除染作業員以外誰もいない。






誰も歩いていない歩道には、腰の高さほどの草が生い茂っていた。

もちろん浪江駅もそのまま、駐輪場はガランとしており、駅前の公衆電話には5年分の埃が溜まっていた。



駅の待合室に置いてあったショーケースも5年前の状態・・・

除染作業は所々されているが、まだまだ全体の一部、山林を含め汚染地域を全て除染するには気の遠くなるような年月が必要なようだ。
しかも、肝心の廃炉作業が40年以上もかかりそうな現状では、住民も安心して戻ってこれないのではないだろうか。