さよなら、サカナをありがとう。

Things are not always what they seem.

E=mc2

2009-02-11 00:00:00 | 41.5
私が初めてこの方程式を目にしたのは、
堀尾真紀子著『フリーダ・カーロ』を読んだ時である。
フリーダの恋人であったイサム・ノグチの作品に
この式が彫られていた、らしい。
だけどその時は
「これはアインシュタインの有名な式である」
という以外はちんぷんかんぷんで、
以来すっかり忘れていた。




ここ数ヶ月のことである。

どうも、「相対性理論」というものは、
ものすごい哲学をもたらしてくれるような気がしてならない。
いやそれは相対性理論に限らず、
量子論でも素粒子論でも何でもいいのかもしれないが、
(そしてそれが何なんだかもさっぱりわかっていないのであるが)
とにかく何でだか惹かれるのだ、と思っていたら、
たまたま行った実家の本棚に
『相対性理論を楽しむ本-よくわかるアインシュタインの不思議な世界』
という本があった。

読んだ。





もう、



きゃ―――――――――――――――――



なのだ。








最高の芸術に触れたとき、
それは絵でも音楽でも映画でも落語でも何でもいいんだけど、
とにかく最高の芸術に触れたときの、
この感覚。
何だろう。
何なんだろう。
宇宙の中で、ヒトの存在は果てしなく小さく、
(そしてこの「宇宙」ってヤツも何なんだ!)
また果てしなく大きく、
このからくりに、
天に向かって歓喜の叫びをあげたくなる!!!




良い科学は、芸術である。

いや、科学に「良い」も「悪い」もないんだけど。
「良い」「悪い」は、それをいかに利用するかという人間の問題であり、
科学そのものは、純粋にこの世の真理を探究していくこと。
その真理が、たった一行の数式に表されたときの、
ため息をつきたくなるような美しさ。

数式のために真理が存在するのではなく、
真理の中に存在する法則を探っていくのだ。
コペルニクスも、ガリレイも、アインシュタインも、
その時世界を支配していた常識ではなく、
今、この瞬間、自分の目に見えるものを追い続けた。
そうして新たに見出された「真理」は、
もしかしたら100年後にはまた覆るかもしれない。
「正しい」か「正しくない」かは永遠に答えの出ない問いで、
今目の前にあるものをひたすら探求していくこと。
それが、科学。

そういえば、その昔科学は
「自然哲学」
と言われていたのだったっけ?




ああもっと勉強しておけばよかった。
この偉大なる感動を真に堪能するには、
明晰な頭脳と、柔軟な心が必要だ。
頭脳は遠く及ばないから、
せめて心を、やわらかく保っておこう。

やわらかく?

ブランド物のハンドバッグよりも
数式に心ときめいちゃうわけだから、
見方によっては相当偏っちゃってるわナ。
この感動って、どこに行ったらシェアできるのだろう。
誰とだったらシェアできるのだろう。





私は、相対性理論でイケる女である。