私が初めてこの方程式を目にしたのは、
堀尾真紀子著『フリーダ・カーロ』を読んだ時である。
フリーダの恋人であったイサム・ノグチの作品に
この式が彫られていた、らしい。
だけどその時は
「これはアインシュタインの有名な式である」
という以外はちんぷんかんぷんで、
以来すっかり忘れていた。
ここ数ヶ月のことである。
どうも、「相対性理論」というものは、
ものすごい哲学をもたらしてくれるような気がしてならない。
いやそれは相対性理論に限らず、
量子論でも素粒子論でも何でもいいのかもしれないが、
(そしてそれが何なんだかもさっぱりわかっていないのであるが)
とにかく何でだか惹かれるのだ、と思っていたら、
たまたま行った実家の本棚に
『相対性理論を楽しむ本-よくわかるアインシュタインの不思議な世界』
という本があった。
読んだ。
もう、
きゃ―――――――――――――――――
なのだ。
最高の芸術に触れたとき、
それは絵でも音楽でも映画でも落語でも何でもいいんだけど、
とにかく最高の芸術に触れたときの、
この感覚。
何だろう。
何なんだろう。
宇宙の中で、ヒトの存在は果てしなく小さく、
(そしてこの「宇宙」ってヤツも何なんだ!)
また果てしなく大きく、
このからくりに、
天に向かって歓喜の叫びをあげたくなる!!!
良い科学は、芸術である。
いや、科学に「良い」も「悪い」もないんだけど。
「良い」「悪い」は、それをいかに利用するかという人間の問題であり、
科学そのものは、純粋にこの世の真理を探究していくこと。
その真理が、たった一行の数式に表されたときの、
ため息をつきたくなるような美しさ。
数式のために真理が存在するのではなく、
真理の中に存在する法則を探っていくのだ。
コペルニクスも、ガリレイも、アインシュタインも、
その時世界を支配していた常識ではなく、
今、この瞬間、自分の目に見えるものを追い続けた。
そうして新たに見出された「真理」は、
もしかしたら100年後にはまた覆るかもしれない。
「正しい」か「正しくない」かは永遠に答えの出ない問いで、
今目の前にあるものをひたすら探求していくこと。
それが、科学。
そういえば、その昔科学は
「自然哲学」
と言われていたのだったっけ?
ああもっと勉強しておけばよかった。
この偉大なる感動を真に堪能するには、
明晰な頭脳と、柔軟な心が必要だ。
頭脳は遠く及ばないから、
せめて心を、やわらかく保っておこう。
やわらかく?
ブランド物のハンドバッグよりも
数式に心ときめいちゃうわけだから、
見方によっては相当偏っちゃってるわナ。
この感動って、どこに行ったらシェアできるのだろう。
誰とだったらシェアできるのだろう。
私は、相対性理論でイケる女である。
堀尾真紀子著『フリーダ・カーロ』を読んだ時である。
フリーダの恋人であったイサム・ノグチの作品に
この式が彫られていた、らしい。
だけどその時は
「これはアインシュタインの有名な式である」
という以外はちんぷんかんぷんで、
以来すっかり忘れていた。
ここ数ヶ月のことである。
どうも、「相対性理論」というものは、
ものすごい哲学をもたらしてくれるような気がしてならない。
いやそれは相対性理論に限らず、
量子論でも素粒子論でも何でもいいのかもしれないが、
(そしてそれが何なんだかもさっぱりわかっていないのであるが)
とにかく何でだか惹かれるのだ、と思っていたら、
たまたま行った実家の本棚に
『相対性理論を楽しむ本-よくわかるアインシュタインの不思議な世界』
という本があった。
読んだ。
もう、
きゃ―――――――――――――――――
なのだ。
最高の芸術に触れたとき、
それは絵でも音楽でも映画でも落語でも何でもいいんだけど、
とにかく最高の芸術に触れたときの、
この感覚。
何だろう。
何なんだろう。
宇宙の中で、ヒトの存在は果てしなく小さく、
(そしてこの「宇宙」ってヤツも何なんだ!)
また果てしなく大きく、
このからくりに、
天に向かって歓喜の叫びをあげたくなる!!!
良い科学は、芸術である。
いや、科学に「良い」も「悪い」もないんだけど。
「良い」「悪い」は、それをいかに利用するかという人間の問題であり、
科学そのものは、純粋にこの世の真理を探究していくこと。
その真理が、たった一行の数式に表されたときの、
ため息をつきたくなるような美しさ。
数式のために真理が存在するのではなく、
真理の中に存在する法則を探っていくのだ。
コペルニクスも、ガリレイも、アインシュタインも、
その時世界を支配していた常識ではなく、
今、この瞬間、自分の目に見えるものを追い続けた。
そうして新たに見出された「真理」は、
もしかしたら100年後にはまた覆るかもしれない。
「正しい」か「正しくない」かは永遠に答えの出ない問いで、
今目の前にあるものをひたすら探求していくこと。
それが、科学。
そういえば、その昔科学は
「自然哲学」
と言われていたのだったっけ?
ああもっと勉強しておけばよかった。
この偉大なる感動を真に堪能するには、
明晰な頭脳と、柔軟な心が必要だ。
頭脳は遠く及ばないから、
せめて心を、やわらかく保っておこう。
やわらかく?
ブランド物のハンドバッグよりも
数式に心ときめいちゃうわけだから、
見方によっては相当偏っちゃってるわナ。
この感動って、どこに行ったらシェアできるのだろう。
誰とだったらシェアできるのだろう。
私は、相対性理論でイケる女である。