さよなら、サカナをありがとう。

Things are not always what they seem.

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

さよなら、サカナをありがとう。

2010-03-27 03:43:15 | 41.5

 
昨日の朝、玄関先でコトコト音がした。


その時は特に気に留めなかったのだけど、後でゴミを出しに外に出ようとしたら、
郵便受けに何やら小さな袋を発見。
はたして、息子にバレンタインのチョコレートをくれた彼女からだった。
中には小さなお手紙が入っていて、封筒にはこう書かれていた。


【クイズ】

いつもなかよしでわらったり、
ときにはけんかしてないたりするのはな~んだ?
(答えを考えてから開けてね)

 

 


さぁ、みんなで一緒に考えてみよう!

 

 

 


【答え】

友達

 

 

 


袋の中には、手作りのキーホルダーも一緒に入っていました。












そんなわけで。











春が来ました!







移住を決めてからのこの3ヶ月、たくさんの人に会いました。
今さらですが、うー、みんなっ、あいしてるっっ(←本気)。
まぁゆーても富士宮なんて東京からなら車でちゃちゃっと3時間ですから
センチメンタルになるほどの距離でもないのですが、
言うべきことはちゃんと言っておこう。あいしてます。

たくさんの人が「遊びに行くよー!」と言ってくれてものすごく嬉しいです。
でも車でちゃちゃっと3時間の物理的距離と
実際にそこへ足を踏み出す心理的距離は別のものですから、
ご縁があったらきっとまた会えるネ、と思っております。^^
何にしても、地球はつながっている!

 

 

というわけで新たなる日々への希望に胸を膨らませつつ、
お片付けの罠にはまりまくって引っ越し準備は遅々として進まず、
そんな中、今日は私のお宝DVD『ガイアシンフォニー第三番』を受け渡すべく
知人に会ってきたのでした。
(というか無理やり日野に呼び出した。)


その方が、こんなことを言っていました。

「木の花ファミリーを疑う気持ちが、ぬぐいきれない。」

はぁ。どうぬぐいきれないのでしょうか。

「うーん。
 なんか、笑顔ばっかりで、ドロドロした面が全然見えてこない。」


― 爆笑!


同感です(笑)。
ホームページにはいいことばっかり書いてあるように見えるし、
それがなんとなくツルリとした印象をかもし出して、
場合によっては気味が悪く感じられるのだと思います。

 


実は、今回が初めてじゃないです。
「木の花ファミリーって、大丈夫なの?」と、
少なからぬ友人知人から質問を頂きました。
たぶん、このブログを読んでくださっている方の中にも、
独自に「木の花ファミリー」をネットで検索して、
一部の批判的なブログなどをご覧になった方がいると思います。
だいぶ前になりますが、私も、さるお方から
「木の花ファミリーに関するこんなブログを見つけたのだけど、これは本当ですか」
というメールを頂き、初めて批判的なものを目にしました。
そのブログを読んだ私の感想は、
「事実と、ぜんぜん違うなぁ」
でした。
正確に言うと、そこに書かれていることは、その人の目を通して見たものなので、
その人にとっては事実なのでしょうが、
私の目を通して見た事実とは、ぜんぜん違う。
それはその人の見方だからそれでいいのだろうけれど、
そのブログが検索上位で上がってくるところを見ると
おそらく相当数の人がそこにアクセスしており、
またそこに書かれているコメントが
その内容を鵜呑みにするようなものばかりであるところから、
少なからぬ人がそれをそのまま信じているのだろうな、と思います。

そいで、それはそれでいいんだろうと思います。

人間には、
「ポジティブな情報よりも、ネガティブな情報に着目しやすい」
という性質があるような気がします。
ネットの世界では、特にその傾向がある。
そいでもって、それも人それぞれの自由だから、それでいいんだろうと思います。


私が木の花ファミリーに関する疑問で一番多く聞かれたのが、
「なんかの宗教じゃないの?」
でした。
まず始めに申し上げますと、木の花ファミリーには何か特定の宗教があるわけではありません。
そんでもって、その質問を繰り返し受けるうちに、私も防御体勢に入って
相手から何やら疑いの空気を感じると
「宗教じゃないからねっ」
とか言ったりしました。
でも、言いながら、思うんです。
宗教だったら、どうしていけないのかな?


そんなこんなで、誰かに木の花ファミリーの話をする時に、
私はいつの間にか「怪しまれませんように」と防御のヨロイ兜に身を包む
怪しい人になってしまいました(笑)。
そんなヨロイに身を包んだまま、先日ある人と食事中に木の花の話題が出た時のこと。
その人は、いともケロリと
「すごくいいと思う」
と言いました。
彼女は、それまで木の花ファミリーのことはまったく知らず、
ただネットで確認してみて、当然批判的な記事も目にしているのですが、
「ホームページの写真とか見たら、子供たちがすごくいい顔してるし」
とかなんとかで、ぜんぜん疑う気持ちはおこらなかったようです。
その時私は、自分のヨロイがしゅわしゅわしゅわ~~、と溶けていくのがわかりました。
というか、その時初めて
「あっ、私、ヨロイ着てたんだっ」
と気付いたのでした。

 


そして、思いました。
問題は、相手が木の花ファミリーを疑うかどうかじゃなくて、
私が、信頼されるかどうかなんだな、と。

 


誰かに話をした時に、私に信頼があれば、
相手も木の花ファミリーを怪しんだりはしない。
相手が木の花ファミリーを怪しむのは、
つまり私が怪しいからです(笑)。
だから、大切なのは、
ヨロイ兜に身を包んでますます怪しくなることではなく、
ましてや言葉を並べて相手を説き伏せることでもなく、
ただ自分が、本当に大切だと思うことを、実践していくことなんだ、
と思いました。
そして、相手に信頼してもらいたかったら、まずは自分が相手を信じること。

 

ヨロイが溶けてみて思ったんですけど、
ヨロイを着るって時点で、まずもう自分が相手を信頼していないんですね。
しかもそこには、
「相手からヘンに思われたくない」
というエゴまで働いている。
でも、よくよく考えたら、というか、考えるまでもなく、
ヨロイなんか着る必要は全然なかった。

私に「これは本当ですか」というメールを送ってきてくれた人は、
本当じゃないと思うから、そう聞いてきてくれたんだと思います。
しかも彼女は「ともこさんなら聞いてもいいかなと思って」と書いてくれていて、
これより嬉しい言葉が他にあるでしょうか。
「大丈夫なの?」と聞いてきてくれた人たちも、
もしも本当に私のことを怪しんでいたら、そんな質問しないと思います。
それなのに勝手にヨロイを着てごめんなさい。

 

 


さて!
ここで話は冒頭に戻り!
「笑顔ばっかりで、ドロドロした面が全然見えてこない」について。

この方曰く、
これだけ大勢が共同生活してるのに、
こんなにいつもきれいごとばっかりでいられるわけがない、と。
これ、本当に同感です。
実際、まったくもってきれいごとばかりではありません。
それは、実際にここに来て、大人ミーティングに参加してみるとよくわかります。
きれいごとでは済まされないから、
それこそヨロイを脱ぎ捨てた本物の話し合いがあります。
ドロドロもいっぱい出ます。少なくとも、私からはいっぱい出ます。
だけど、私は、人間の本質はそのドロドロではなくて、
ドロドロを出し切った後の姿にあると思っています。
ドロドロを出した後の姿の方に焦点を当てているホームページでは、
確かに少々うわすべりな感じがするかもしれません。
ドロドロが見たければ、実際に来て大人ミーティングに参加してみてください。
「わざわざそんなもん見たくない」という方は、わざわざ見る必要はないです(笑)。
また、そもそも自分の中にドロドロがない方も、そんな必要はないです。
そしてミーティングでドロドロが出るからと言って、
木の花ファミリーがドロドロしたところ、という意味ではありません。
しょーもないオヤジギャグが飛び交っている、楽しくて、あったかいところです。

そしてまた、ドロドロが見えない故に木の花を信用できないと仰るこの方も、
たぶん私のことは信頼してくれてるんだろうなー、という期待を、
私は秘かに持っております。
いや間違いなく、信頼してくれているはず!(笑)

 

 

 


と、ゆーわけで。
今日も長くなりましたが。

 

 

 

 

映画版『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中に、こんなセリフがあります。
“ I'd much rather be happy than right any day. ”
初めてこのセリフを聞いた時は「その通りーっ」と思ったものですが、
今は、【 happy = right 】だと思っています。

 

 

しあわせなら、なんでもいー♪

 

 

 

 

 

 

コメント (6)

you made me happy

2010-03-24 15:20:55 | 41.5
また、お片付けの罠に!!


荷物整理をしていたら、むかーし、インドに行ったときの日記が出てきた。
前回過去の日記を捨てた時に何故かこれだけは残しておいていいような気がして、
捨てなかったのだ。
でもまぁ、これも捨てるか、
だけどせっかくだから捨てる前に読んでみようかな、と、
相も変わらずお片付けの罠にはまって、
13年ぶりにインドでの日々を読み返してみたのだった。





20歳の夏、4ヶ月ほどインドを旅した。

カルカッタから入って、海辺のプリーへ行き、またカルカッタに戻って北上、
一旦ネパールへ入り、さらに北上して紛争中のカシミール、
西部砂漠地帯のジャイサルメールを巡り、
その後は一気に南下して南のコヴァーラムビーチへ、
そして最後に聖地ヴァラナシ(ベナレス)へと向かった。
オンボロバスや列車に揺られ、時には無賃乗車させてもらったり、
行きずりの人の家に泊めてもらったり、野宿したり、そんな旅だった。
道行く女性たちのサリーや、鮮やかな色の建物など、インドはまさしく色の洪水で、
毎日が出会いの洪水でもあった。

日記を読み返すと、すっかり忘れていた出来事が、次から次へと蘇ってくる。
食事をご馳走してくれたおじさんに
「ニュースペーパーはトイレットペーパーといっしょ。真実を見るように」
と言われたこととか、
宿の部屋で一人でオカリナ吹いてたら
隣の部屋から拍手と「ブラボー!」という声をもらったこととか、
通りすがりのインド人にカトチャンペをされて爆笑したこととか。
「今日のことは、きっと、一生忘れない」
とか日記に書いてあることがまったく思い出せなかったりとか(笑)。
初めての一人旅で知らず知らず肩に力が入って心がぎすぎすしたり、
そんな自分に対して自己嫌悪に陥ったり、
でもそうすると必ずそれを吹き飛ばしてしまうような出会いがあったり、
泣いたり、笑ったり、淋しかったり、嬉しかったり、
あぁ、こんなにいろんなことがあったんだなぁ、って。



主に北部を旅していた私は、終盤になって一気にインド最南端を目指そう!と思い立ち、
たくさんの人といっしょに列車に2日間揺られて
ついに最南端のカニャークマリへ降り立ち、ビーチに立って、
「ヤタ―――!!!インド最南端の海――――!!!!」
と感動してそのままそこで9日ほどを過ごしたのだけど、
滞在3日目に実はそこはカニャークマリではなく
カニャークマリから一歩手前のコヴァーラムであったことが判明(笑)。
そういえば最南端にしては太陽の位置がヘンで入り江の形の関係かと思っていたら、
そもそも最南端ではなかった。

そのコヴァーラムの海辺で、私は、「空」という意味の名前を持つ一人の男の子に会った。

その頃、私はなぜか異常に青い色に惹かれていたのだけど、
彼、アニルも、青い色が好きだった。
初めて会った日、なんでそんな話になったんだか、私たちはお互いの家族の話をした。
彼はもともとはとても恵まれた生活をしていたようなのだけど、
その暮らしは破綻し、そこには叔父が関与しているようで、
「今叔父がここにいたら、僕はきっと彼を殺す」
と、冗談とも、本気とも取れない様子で語っていた。
当時17歳の彼は「これまでに3つの人生を生きた」と言い、
きみはいくつ生きたの?なんて、初めて聞かれた。
私の家族の話になったとき、何でなんだか、急に泣けてきてしまった。
何で泣いてるんだか自分でもさっぱりわからなかった。
その時、アニルはこんなことを言った。
人生は列車の旅と同じ。
“悲しみ駅”の次は、“しあわせ駅”だよ。

私は日記にアニルのことを、「人なつこい、やさしい目」をしている、と書いている。
読みながら、おぼろげに、彼の表情やしぐさを思い出す。
明るくて、17歳らしくはしゃいだかと思うと、時々別人のような目をしたりする。
たくさんのアニルとの会話を読みながら、少しずつ、いろんなことを思い出す。
私たちはたくさん話をして、時にはただぼーっと海を眺めたりしていた。
コヴァーラムを旅立つ日のことも、私はたくさん書いている。
最後に見たアニルの表情は笑顔だったこと。
別れの挨拶を済ませて外へ出たらすごく明るくて、海がきれいで、
荷物を担いでバス停へ向かう途中、
9日間の滞在中にすっかり顔見知りになった道ばたの人たちが
“See you next year!”と声を投げかけてくれて、
バスに乗ったら窓の外の景色が9日前とは逆の方向に流れていって、
風がとても気持ちよかったこと。
北へ向かう列車の中で何気なく買ったビスケットを見たら、
それは“Little Hearts”というハート型のビスケットで、甘かったこと。
足にはまだ、コヴァーラムビーチの砂の上を歩く感触が残っているのに、
体はどんどん遠くへ離れていくこと。



そして、最終目的地のヴァラナシへ辿り着く。
ヴァラナシは、ヒンズー教徒にとっての聖なる河・ガンガー(ガンジス河)の街で、
私はこの4ヶ月間のいろいろのすべてを、ここで洗い流したいと思った。
ヴァラナシは、私にとって、歩いても、歩いても、どこかふわふわした感じで、
夢の中を歩いているようだった。
ヴァラナシへ着いた日、本当にすべてを飲み込んでくれそうなガンガーを眺めながら、
私は日記にこんなことを書いている。

「あ―――・・・・・すごいなあ、ガンガー。
 夕焼け。空は5秒と同じ色をしていない。
 今、淋しいなあ。全部忘れてしまいたいなあ。私、異国にいるんだなあ。
 何だろう。吸いこまれてしまいたい。全部忘れてしまいたい。夢だったと思いたい。」


・・・・・全部忘れてますがな(笑)。


忘れてたはずなんだけど、日記読んでたら、ぼろぼろ泣けた。





コヴァーラムを離れるとき、私はアニルにこう言っている。
“ You made me happy on the first day. ”

たぶん、こんなふうに、これまで出会ったたくさんの人たちに、
私はハッピーにしてもらってきたのだろう。
たくさんの人と出会ったり、別れたりして、
一つひとつはもう覚えていなくても、
それらのすべてが、確実に今につながっている。

アニルに、またいつかここに来るよ、と言った。
でもその時にはあなたはもうここにいないかもしれないね、と言ったら、
アニルはテーブルの上に突っ伏したまま「ここにいる」と言った。
その時の私は、日記に、「いつかきっと、もう一度、ここに来る」と書いている。
今の私は、先の事はわからないけれど、たぶん、
もうそこに行くことはないだろう、と、思っている。

いろいろな国で、日本で、たくさんの出会いと別れを繰り返して、
ときどきは淋しさで胃が押し潰されそうになりながら、
そのたびに「早くどうにかなれ――――!!!」と思っていた。
今も、やっぱり胃がきゅーっとなる。
だけど今は、とりあえず、この「きゅー」を味わっておこう、と思う。
そして、マラウィのアルフレッドの言葉を思い出し、
全ての人との再会を楽しみに、その日までめいっぱい、
「エンジョイ・ライフ」しようと思う。
地上で二度と会うことがなくても、私たちは確実に、つながっているのだ。
忘れてしまった日も、夢だったわけじゃない。





夕焼けの中、ガンガーで泳いだ。
ゆるやかで、あったかくて、ふわーっと包みこまれるようだった。
もしかして ―
だから、忘れたのかな?
13年ぶりにこの日記を開き、読み終えて、ふと表紙の文字に目をやり、思わず笑ってしまった。
13年前は全然気付かなかったけど、日記帳にしていたこのノートの表紙には、こう印刷されていた。
『BEAUTIFUL DAY』。







星野道夫さんが、本の中で、
友人と交わしたこんな会話を書いていた。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。
 たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕日を一人で見ていたとするだろ。
 もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって。」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、
 いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。」
「その人はこう言ったんだ。
 自分が変わってゆくことだって・・・・
 その夕日を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。」



インドでも、他のたくさんの国でも、日本でも、たくさん、たくさん、美しいものを見た。
たくさん、たくさん、人に出会った。
その美しさを、素晴しさを、いつか私も、愛する人に伝えられるかなぁ。









今日は雨で、学校は終業式だった。
はくは近所の大好きなお友だちの家に泊まりに行き、
私は近所の大好きなお友だちに夜ご飯を食べに来てもらうことにした。
引っ越しまであと6日。
ただ今我が家では、自宅内ガレッジセール開催中。
どなた様もお気軽にお立ち寄りください。








コメント (4)

続・いつも怒ってる人

2010-03-19 21:11:21 | ヒント
前回、『いつも怒ってる人』を書いた後、
それを読んでくれた友人何人かから「そういえば怒ってたね」と言われました。
初めて言われた時は「なんでわかったの!すごい洞察力!」とか感心したもんですが、
いや、誰が見ても一目瞭然だったようです(笑)。
知らぬは本人ばかり也。

そいで、その中の一人が、こんなことを言っていました。
「昔はイケヤのことを人に話す時、映画『レオン』のマチルダみたいな子、って言ってた。」
実は私の知り合いにも、マチルダに似てると言われていた子が2人いるのですが、
なるほど、私たち3人の共通点は「いつも怒ってる」(笑)。
怒りのエネルギーで生きてる人は、マチルダっぽくなるのかもしれません。

そんでもってふと思ったのが、人間は大きく分けて
「怒り系」「嘆き系」「怯え系」「楽天系」
の4タイプがあるのかしら、と。
「楽天系」はお気楽者って意味じゃなくて、
自分自身の中に“信頼”を持っている人のこと。
信頼がないと、人間は、怒ったり、嘆いたり、怯えたりするのかもな、なーんて。




そんなことを思っていたら、先日会った人がこんなことを教えてくれたのでした。
曰く、
人間には「城志向」「大物志向」「人志向」の3タイプがある、と。
その違いを説明せよと言われたら私もはっきりわかんないんだけど、
まぁだいたい読んで字の如く、という感じで。
例えば旅行に行く場合、
「城志向」の人は、1から10まできっちり予定を把握したい。
「大物志向」は、1と10だけわかればOK。
「人志向」は、行き先ではなく「誰と行くか」が重要なのだそうです。
とにかく人が大好きで、人と一緒にいたがる人、それが「人志向」。
そして私は、「人志向」なのだそうです。

最初にそう言われた時、エッ、とちょっと意外でした。
だって旅行はいつも一人で行くし、集団よりも単独で行動してる方が圧倒的に多いし、
「みんなで一緒に」ってなんかニガテ、と思ってきたから。
でも、そういえば ―

「ニガテ」だけど「嫌い」じゃない。
いや、それどころか、実は「好き」なのかも。






ずっと、自分は「一人が好き」なんだと思ってきました。
気楽だし、自由だし。
だけど、それってほんとは「みんなといたい」の裏返しだったのかも。
みんなといたい、でもどうしていいのかわからない、だから一人でいる方がいい。

以前、うつ専門カウンセラーのさわとんが、
「死にたい」っていうのは「生きたい」の裏返しなんだよ、
と言っていたのを思い出しました。
生きたい、でもうまく生きられない、だから死にたい。
生きるのがどうでもよかったら、死にたいなんて思わない。
だから彼らの「死にたい」という言葉から、
僕はものすごく「生きたい」という思いを感じるんだよ。

私も、きっとずっと、人とつながりたかったんだと思う。
くっついてるのが大好きなんだと思う。
世の中の「人間嫌い」の人たちも、実はホントは、
人間が大好きなんだと思う。








これまでいろいろと怒りのエネルギーで生きてきたおかげで、
愛ってなんて気持ちいいんだろー、
信じるってなんて幸せなんだろー、
と、思う。
怒って怒って生きてきた日々に、感謝です。








いやまだまだ怒ってるんだけど(笑)。
だけどそんな過程も、また楽しからずや。










コメント (2)

どんぐりの木

2010-03-19 10:36:53 | ヒント

 
木蓮満開!





こちらももうすぐ。








引っ越し準備が遅々として進まない我が家に、
心やさしい友人たちがはるばる遠くからお手伝いに来てくれる今日この頃。
昨日来てくれた友だちは、なんと昨日が誕生日で、
じゃあプチッとお祝いしようか、なんてメールのやり取りをしているうちに、
引っ越し準備よりもお祝い準備の方が楽しくなってしまいました。

午前中、ご近所の農家さんへいちごを買いに行き、
その帰りにケーキ材料を仕入れるために立ち寄ったスーパーで、
啓翁桜がなんと198円。
というわけで、買い物袋を後ろに、桜を抱えて、自転車こいで帰ってきたわけですが、
春うらら、桜と一緒に風を切って走ることの気持ちよいこと気持ちよいこと!



家に帰ってさっそく桜を飾り!




即席ケーキを作り!!




お祝いといえば輪飾り!!!






準備完了。
そして駅まで友人をお迎えに。




都心から来た彼女は、我が家までの道すがら、川沿いや、畑の間の道を通りながら
「いいねー」と気持ちよさそう。
家に着いて、お祝いして、喜んでくれて、私もウレシイ。
何やかやとおしゃべりしつつ、引越し荷物を減らすべく、
蔵書の中から欲しい本をピックアップしてもらったりしました。
これまでも何人かの友人に欲しい本を持ち帰ってもらっていたのですが、
選び方にそれぞれの個性が表れていて面白い。
(『ファインマン物理学』とか、誰も持って行かない。)

そう!荷物を減らさなくては!!

というわけで、本に限らず、家の中のあらゆる物品を皆に引き取って貰っているのですが、
欲しいものをピックアップして貰うこともあれば、
こちらから「これ、いらない?」と聞くこともあります。
大切なものであればあるほど、それを本当に楽しんでくれる人に渡して行きたくて、
誰かと話しているときにふと「あぁ、この人があれを受け取ってくれたらうれしいな」と
インスピレーションが降ってきたりして、そんな時は半ば強引に押し付けています(笑)。

そして、これは特にインスピレーションが降ってきたわけではないのですが、
マラウィでローズから貰ったゴツい木彫りの象を何人かの友人に「いらない?」と聞いたところ
皆大変興味なさそうに「いらない」と言うのでした。
で、彼女にも冗談半分で「いらない?」と聞いたところ、笑顔で
「いるー!」。
マヂ?!
実はとても大切なものなので本当に喜んでくれる人に渡したくて、
でもそんな人いないよな、と思っていたら、いた。
彼女はまた、ベトナム土産のトンボのやじろべえでも楽しそうに遊んでいて、
いる?と聞いたところ、「いる」。
そのお土産をくれた人のことを話しながら、
彼女が受け取ってくれてよかった、と思ったのでした。




こうしてどんどんスッキリしていく家の中。

2日前には、また別の友人が鉢植えをいくつか引き取ってくれたのですが、
その時は、なんだか子どもを里子に出すような気分でした。
今まで特にマメに手入れをしていたわけでもなくほったらかしで、
葉は光を求めてぐんぐん伸びて一時家の中がジャングルのようになり、
見かねた友人が剪定をしてくれるほどだったあのモリモリの生命力が
いざ家の中からいなくなってみると何だか淋しくて、
小さな鉢だけは残してもらったのでした。


それが、これ。




ナラと、シラカシを、どんぐりから育てたものです。
毎年少しずつ、少しずつ、大きくなっています。
ナラの方はいつの間にか雑草もいっぱいになっていて、
そんなところも含めて好きなのです。

今回うちに来てくれた彼女も、家に植物を置いていました。
本当は剪定をしなくちゃいけないらしいんだけど、ぐんぐん伸びるのが面白くて
ほったらかしてたら、そのうち重みで木がナナメになって、
だけどその脇からまた新芽が出てきてまたぐんぐん伸びてるんだそうです。
そんな彼女の話を聞いているうちに、ふと、どんぐり育ててくれないかな、と思いました。
そこで聞いてみたところ、
「育てたい!」

 

 



このどんぐりの木は、母からもらったものでした。

母は、福井県の片田舎で育って、結婚して東京に出てきて、
私の記憶の中に土をいじっている姿はないけれど、
たぶん、土が好きなのだろうと思います。
その母がうちに来た時に、このどんぐりの木を置いていったのでした。



母は、息子にこんな本も渡していました。



息子はさして興味がないらしく、あまり見てはいませんでしたが、
この本によると、ナラもシラカシも20メートルくらいに育つのだそうです。

 

 



彼女をまた駅まで送っていく途中、
お寺の脇の、高い木を見上げて、彼女は
「私、大きい木を見るのが好きなんだ」
と言いました。
このどんぐりたちも、いつかあのくらいになるかな。








いろいろなくなって何だか家の中が殺風景だなぁと思っていたら、
息子が図工の作品を持って帰ってきました。
あと数日だけどとりあえず飾ってみたら、何だかいい感じ。
子どもの作品には、エネルギーがあります。 





木の絵の方の題名は
『ただの木』だそうです(笑)。









生かされて、ある

2010-03-15 22:01:58 | 41.5
友達の子どもが、入院をした。

つい前日まで、普段と全く変わらず元気だったのに、
ある日突然救急車で運ばれて、検査の結果は悪性脳腫瘍とのことだった。
本当に突然のことで、私も他の友だちも本当にびっくりしたけれど、
一番びっくりしたのは彼女だろう。




彼女はとにかく明るい人だ。

誰とでも気さくに友達になって、人を悪く言うということがなく、みんなに好かれる。
ごくごく自然体にポジティブで、いつもしょーもないダジャレを言っていて、
何かで悩んでいる時彼女に会うと「あれ、私なんで悩んでたんだろ」という気になり、
私はこれまでに何度彼女の明るさに助けられたかわからない。
結婚して十年以上経つのに旦那さんともいまだにラブラブで、
夫婦そろってあれやこれやともてなしてくれる彼女たちの家はとても居心地がよく、
いつもたくさんの人がやって来る。
休日にはよく近所の公園で家族3人で遊んでいて、
私も家が近いので一緒にバドミントンをやったりした。
とにかく、私は彼女が大好きなのだ。




その彼女の一人息子が、入院をした。

家族ぐるみでずっと付き合ってきて、
私たちは、彼女がどんなに子供を大切にしているか知っている。
彼女は今、仕事を休んで、電車とバスを乗り継いで片道1時間以上の脳専門の病院と
自宅との間を行ったり来たりしている。
みんな、何か手伝えることがあればすぐに駆けつけるつもりでいるけれど、
今は行っても逆に迷惑になるかもしれない。
それで、それぞれに栄養ドリンクやらお守りやらをそっと家の前に置いてくる、
なんてことをしていたのだけど、そのうちにみんなで千羽鶴を折ることになった。

折り始めてみると、これが意外に時間がかかり、1時間で20羽も折れない。
引っ越し前のあれこれで毎日ドタバタで、
夜中に鶴を折っているとすごく眠くなってきて、あーもう寝たい・・・と思うのだけど、
たぶん、彼女はほとんど寝てないんだろうな、と、ふと思ったりして、
そうすると眠気もなくなる。で、ひたすら折る。
何だかんだ言って、私は彼女の息子が入院してからも、同窓会やら太鼓やらに行っていて、
その時はその時ですごく楽しくて、その間彼女の息子の事は忘れていたりするのだ。
だけど、たぶん、彼女は一時たりとも、息子の事が頭から離れることはないんだろうな。
鶴を折るようになって、
出かける前に一羽、とか、お湯を沸かしている間に一羽、とかやってみて、
あぁ、何かしたくても何もできない時に、鶴を折るっていいもんだな、と思った。
とりあえず、手は動かしていられる。
そういえば、「折る」っていう字と「祈る」っていう字は似ている。

彼女は時どき、メールで状況を報告してくれた。
本当は直接会って話したかったけど、
ただ自分が会いたいからというだけで会いに行ったって、
それって相手のことを思っているようで実は単なるエゴじゃん、と思い、
会いに行く代わりに神社へお参りに行ったりした。
彼女からのメールには、いつも、みんなの気持ちがありがたいです、という
感謝の言葉が綴られていた。
たぶん、ほんとに感謝してるんだろうな、と思った。
自分のことだけで頭がいっぱいになったって全然おかしくない時に、
こうやって周囲への感謝の気持ちを持つ事のできる彼女を、改めてすごいと思った。




何で彼女なんだろう、と、ママ友だちの一人が言った。
あんなにいい人で、誰からも好かれる人なのに、なんで?
別のママ友だちは、こう言った。
彼女だからなんだよ。
もしも嫌われ者が大変な目にあったって、誰も気にしないじゃん。
みんなに好かれている人だから、愛されている人だからこそ、
みんなが本気になる。
だからこそ、彼女なんだよ。

「もしも私たちみんなが、ここから何かを学んだとしたら、
 たぶん、全てがよくなるんだよ。」




彼女に少しでも何かしてあげたいと思うけど、
さしあたって今私がしてあげられる事は何もない。
私にできる事があるとしたら、それは
「ここから、何を学ぶか」
ということなのだと思う。
そしてそれは、たぶん、相手に何かしてあげることよりもずっと難しいのだ。

すべての出来事は、そこに、「学ぶべき何か」を秘めている。
どんなに悲しい出来事も、どんなに苦しい出来事も、
ただ私たちを悲しめたり、苦しめたりするために起こるんじゃない。
そうではなくて、もっと深いもの、もっと大きなものに気付かせるために、
すべての出来事は、きっとある。
だから、その出来事が辛ければ辛いほど、悲しければ悲しいほど、
私たちはそこから何かを学ばなければならない。
ただ嘆き悲しむだけで終われば、それは単なる悲劇でしかない。
だけどもしも、本当に何かを学びきったなら、それは必ず、“悲劇”ではなくなるはずなのだ。

お参りに行ったとき、私は、彼女の息子のことよりも、
「彼女に力を与えてください」と祈った。
病気の治癒を祈るよりも、その方が真理だと思ったし、
子どもは魂がきれいだから、何があっても心配ないと思ったのだ。
と、同時に、自分自身の精進を誓った。
こんな時ですら、私は自分のエゴをひしひしと感じているのだ。
このエゴを必ず乗り越えていきますから、どうか彼女に力をお与えください ―
て、それだってエゴかもしれないけど、
でも必ず、私はここから何かを学ばなくてはいけない。




そして昨日、彼女から電話があった。

表示が「公衆電話」になっていたので、一瞬誰だかわからなかった。
病院内では携帯電話が使えないので、公衆電話からかけてきてくれたらしい。
彼女の声は、いつもと変わらず明るかった。
その前日に、私たちは千羽鶴を彼女の家の前に置いてきていて、
翌朝旦那さんが病院に届けてくれた鶴を見て、彼女は感動で涙が止まらなかったのだそうだ。

実は、千羽鶴を折りながらも、私は、これを見た彼女がどう反応するのかが不安だった。
だって、千羽鶴ってよくお墓にも飾ってあるから。
もしかして逆にいやな思いをさせてしまうんじゃなかろうか、と心配したのだけど、
それはまったくの杞憂で、彼女はやっぱり、
人の善意をそのまんまストレートに善意として受け取る人だった。
そんなのとっくにわかっていたはずなのに、ヘンな心配をしてしまったのは、
私自身が人の善意を素直に善意として受け取れないからなのだろう。

いつもみんなからのメールに励まされてるよ~、ありがとう、と彼女。
思っていたよりもずっと元気そうな、落ち着いた声で、
はくが書いた手紙は「字が汚くて読めない」(笑)。
もしも彼女と話ができたら何とかして励まさなくちゃ!と思っていたのが、
いつもと変わらぬ調子の彼女に、いつの間にやら、私の方が励まされている。
彼女はこれまでも、旦那さんが線路に落ちて電車に轢かれる(!)等々の数々の事件
(ある意味伝説)に遭遇していて、たぶん、そのたびに、
こういう明るく落ち着いた声で乗り越えてきたんだろうな、と思う。
電車とバスを乗り継いで1時間以上かかる病院なのに「近くてよかったわ~」と言い、
息子の様子を教えてくれては、「元気だから、心配しないで」と言う。
今週改めて検査があり、それによって手術が決まるのだそうだ。
「ここはいろいろ設備も調っていて、先生も治りますと言ってくれてるから、
 あとは信じて、お任せしようと思うんだ。」
落ち着いてそう語る彼女の声を聞いてきたら、私もなんだか、
うん!絶対大丈夫!!!と思えた。
こんなに嬉しいことってない。
そして改めて、やっぱり彼女はすごいなぁ、と思うのだ。



そして、たとえ手術の結果がどうであろうと、
やっぱり私たちはそこから何かを学ばなければいけない、と思うのだ。










コメント (4)

15年ぶりに宿題を

2010-03-14 18:45:23 | ヒント
先週末、高校の同窓会がありました。

最初は、先生2人と友人と私の計4名で会おうかと言っていたのが、
せっかくだからみんなにも声をかけてみよう、と言ううちにいつの間にか17名になり、
大変にぎやかな会となりました。

先生2名のうち、1人は社会科の小原先生。
私たちは高校時代、この小原先生に、
スピーチや小論文、ディベートなどの授業を通じて、
徹底的に「自分で考える力」というものを叩き込まれたのでした。
そんな“小原チルドレン”の集う同窓会が、普通のものになるわけがない!!!
というわけで、事前に小原先生から15年ぶりの宿題が出ました。

【宿題】
一人持ち時間9分で、スピーチを用意。
テーマは「自分自身」。
A4サイズ1枚のレジュメを作成し、人数分コピーして持参のこと。
その他資料も配布自由。


こんな宿題が出て、誰一人嫌がらず真剣に取り組むところが小原チルドレン。
というわけで、当日は会議室を会場に設定し、
全員が自分自身をテーマに、素晴しいスピーチを披露したのでした。



小原先生は、これまで数十年に亘り高校や大学で指導をしてきた経験から、
全員スピーチの適正人数は10名以下と語っていました。
それ以上になると、集中力が続かないのだと。
ところが、15年ぶりの級友のスピーチに、集中力が途切れる人など一人もいない!
てか、時間が足りない!
全員がそれぞれに独自の道を歩んできていて、
それは必ずしも、テレビドラマのようなものではなかったりするけれど、
それぞれが地に足をつけて生きてきた道は、テレビドラマなんかよりよっぽど面白い。
先生2名のもう1人である英語科の加藤先生曰く、
「みんな外見上は立派な大人になっていても、
 高校時代の“原型”は全然なくなっていない」
のだそうで、ほんと、原型ってなくならないんですね。
その原型の上に、どういう方向へ進んでいくかということみたい。
全員スピーチを経たことで互いの距離も縮まり、
その後の二次会も大いに盛り上がったようです。
ただ会ってお酒を飲むだけよりもずっと深い会ができる全員スピーチ、
これから同窓会を計画されている方には、ぜひお奨めします。


本当に1人ひとりの話が印象深いのだけど、
その中に1人、ソーシャルワーカーになった子がいました。
「泥臭い」仕事がしたかったという彼女は、
日本の中でも3本の指に入るディープな地区に配属となり、
ディープな体験をしていきます。
一見とても線の細い彼女の口から、実に淡々と
「前任者は殺されちゃって」とか「人間て死ぬとこういう匂いがするんだ」とかいう話が
出てくる出てくる。
高校時代、私は彼女と話した事はなかったのだけど、これはぜひお話ししたいと思い
帰り道で「折れそうになることって、ない?」と聞いてみました。
現在二児の母である彼女は、私の質問に対してこう答えました。

「一人産むたびに、いろんなことがどうでもよくなる。」


すげ!カッコイ!




今回は小原先生の還暦祝いも兼ねており、先生にはナイショで、
出席者の1人である柿沢安耶ちゃんが特製ケーキを作ってきてくれたのでした。
柿沢さんは、世界初の野菜スイーツ専門店であるパティスリーポタジェのオーナーシェフとして、
今や時の人。
そんな彼女の特製ケーキと、このサプライズに喜ぶ小原先生の笑顔を、
特別に皆さまのお目にかけましょう!





赤いちゃんちゃんこがなかったので、これまた出席者の1人が
高校の家庭科で制作したクマ柄のはんてんを持参。微妙に似合う先生。

ケーキのスポンジは小松菜のきれいな緑色で、イチゴではなくトマトをトッピング。
トマトと生クリームが違和感ないなんてびっくり。気になる方は、ポタジェへGO!
ほんとに美味しかったです。




そんなこんなで、とっても楽しい一日でした。




今回私は生まれて初めて幹事というものをやったのですが、
いやいや、幹事がこんなに面白いもんだとは知りませんでした。
これまでこういった集まりに出ること自体があまりなく、
ましてや自分が準備をするなんて考えたこともなかったのに、
やってみたら面白いこと面白いこと、
みんなの楽しむ笑顔が見れて、感想までフィードバックしてもらえて、
実は幹事が一番楽しいんじゃないかと思いました。
でも実は、感想は幹事宛にではなく、みんなで共有した方が、
全員にとってより深い体験になるだろうな、とも思いました。
独り占めしてゴメンナサイ。
もしこのブログを読んでくれていたら、次回の参考にしてみてくださいな!






別々の人生を歩んでいるそれぞれの道が、何年かに一度交差する、
って、おもしろいですね。








コメント (2)

初恋の人

2010-03-14 13:49:57 | ヒント


沈丁花の香りにはっとして




足元のオオイヌノフグリに春を感じる今日この頃。



なんやかやとあって忙しい毎日ですが、
あんまりにも春なので、一昨日久しぶりに散歩に行きました。



息子の学校の前を通るこの土手を歩いていたら、
向うから、特別学級の子どもたちが、先生と手をつないで
きゃいきゃいと賑やかに歩いてきました。
これから川原に行くところみたい。
土手の脇には老人ホームがあり、その前に来ると、みんなは窓に向かって
「おーい」「おーい」と、ぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振ります。
窓の中では、おじいちゃんやおばあちゃんが手を振っているのでしょう。

学校の前まで来ると、体育の授業中らしく、
体操着姿の子供たちが校庭を走り回っていました。




早いもので、息子が小学校に入学してから、もうすぐ4年になります。

4年前の入学式の日、約20年ぶりに小学校の体育館というものに入ってみて、
なんだかすごく、不思議な気持ちになりました。
少しひんやりした空気とか、みんなの上履きの足音が響く感じとか、
おもしろくもない校長先生の話とか、
なんだか急に、小学生の時にタイムスリップしたみたい。
誰かが、子供を育てるというのは、もう一度その年齢を生きられることなんだ、
と言っていました。
息子と一緒に小学校へ行って、防災頭巾の付いた木の椅子とか、
廊下に貼り出された手書きの掲示物とか、タイル張りの和式トイレとかに触れて、
そして毎日の息子の話を聞いて、
私ももう一度、小学生を生きているのかもしれません。



引越しを決めてしばらく、息子はずっと「行きたくない」と言っていました。
今の学校が大好きで、離れたくない、と。
が、時の経過と共にだんだん反対しなくなり、
自分から「この荷物は持っていく?」などと聞いてくるようになって、
納得したのかな、と思っていたら、
2月16日の夜、再び、「行きたくない」と言い出しました。
そして珍しく、泣くのです。
ここのとこすっかり落ち着いてたのに、急にどうしたんだろう。
息子はその日、バレンタインデーのチョコレートをもらって来ていました。
下駄箱に入っていたのだそうで、「誰からだったの?」と聞いても
「それは言えない」。
そうか、チョコをもらって、引っ越したくない気持ちがぶり返したのかな。
結局、誰からもらったのかはわからないままでした。


そして先日、クラスの保護者会に出席しました。
今まではずっと仕事があって出たことがなかったのですが、
いろんなお母さんと話ができてとても楽しく、
こんなに面白いんだったらもっと真面目に出ていればよかった!と思うほど。
引越しを知ったお母さん方がたくさん声をかけてくれて、
つくづく、学校にも、お友だちにも恵まれていたことを感じたのでした。
会が始まって、息子の席に座り、机の中を見るとぐちゃぐちゃのお道具箱が。
やっぱり・・・とため息をついていると、
「うちもですよ」と隣りのお母さんが声をかけてきてくれました。
隣りの席の女の子は、一年生の時から同じクラスで、家も近く、
うちにも時どき遊びに来ていました。
見た目はとっても女の子らしいのに、男勝りで自分のことを「ボク」と呼び、
とにかくやんちゃ。
お母さんが先生に、「うちの子、学校ではどうなんでしょうか」と尋ねると、
「んー、あの、口はちょっと悪いですが(笑)」
と、先生。
「でも、すごくやさしいです。
 僕は生理整頓が下手なんですけど、時どき僕の机を片付けておいてくれたりするんです。
 本当は、とてもやさしい子なんだと思います。」

私の住んでいる日野市には、一人親家庭にホームヘルパーを派遣してくれる制度があり、
実は彼女の家と私の家には、2年ほど前まで、同じヘルパーさんが来てくれていました。
彼女の家は、ずっと前にお母さんが亡くなっていたのです。
それで、時どきヘルパーさんからも彼女の話を聞いたりしていて、
私はずっと、秘かに彼女に親しみを感じていたのでした。
今回保護者会でお会いしたのは新しいお母さんで、私は初めてお話をしたのでした。

引越しの話をしていると、このお母さんが
「もしかして、はくくん、バレンタインデーにチョコレートもらってきました?」
と聞いてきました。
それで私は2月16日のことを思い出し、もらってきました、と答えると、
「それ、うちの子かもしれません」。

お母さんによると、この女の子は、チョコをあげる相手の名前は教えなかったけれど、
「引っ越しちゃうんだ」と言っていたのだそうです。
それで、お母さんと一緒に材料を買いに行って、手作りチョコに挑戦をして、
お手紙をつけて、2月14日は日曜日だったので15日に学校に持って行ったのだけど
渡せなくて、16日に下駄箱に入れておいたのだそうです。
息子は私にはチョコを見せてくれなかったのだけど、
2月16日に下駄箱、というところが、ピタリと一致。
そうか、彼女だったんだ。
実は、まだ低学年の頃に息子の友だちから、
彼女が息子のことを好きだという話を聞いたことがありました。
あれから何年も経つのに、ずっと好きでいてくれたんだ。
自分のことを「ボク」と呼んで、いっつも男勝りでやんちゃな彼女が、
一生懸命チョコを作って、15日には渡せなくて16日に下駄箱に入れておいたんだ。





そして本日、ホワイトデー。

息子は漢字テストの点が足りず、日曜日も登校するハメに。
「人一倍勉強したいから休日も学校に行くんだよ!」と言う息子に先が思いやられつつ、
何故か親も一緒に来なければいけないと息子が言うので、一緒に学校へ行きました。
時間が早かったのか、まだ先生も他の子も来ていなくて、
教室には鍵が掛かっているので、二人で廊下で待っていると、誰かの足音が。
先生かな、と思ったら、なんと、
チョコレートをくれた彼女だったのでした。
こっちもびっくり。彼女もびっくり。
「補習?」と聞くと、コクンと頷く彼女。
息子は照れ隠しなんだか何なんだか、鍵の掛かってるドアをガタガタと外しにかかります。
では、あとは若いもん同士で。
ちょっと向うの水槽見てくるね~と言って、私はその場を離れました。

そのうちに、先生や他の子も来て、
親が来なければいけないというのは間違いだとわかり、私は家に帰って来たわけですが、
二人は少しは、話ができたのかな。






保護者会の日、4年生は「二分の一成人式」というイベントがあって、
生徒全員が一人ずつ、保護者の前で、将来の夢を発表しました。
息子は「プロ野球選手になりたいです」と言い、
彼女は「画家になりたいです」と言っていました。
亡くなったお母さんは、美大で絵を描いている人だったのだそうです。
イベントの後に、一人ひとりにそれぞれクラス全員の寄せ書きの入ったアルバムが渡されて、
彼女のアルバムをお母さんに見せてもらったら、息子は一言、
「画家、がんばれよ」
と書いていました。
息子のアルバムには、彼女から
「練習しただけせいかがでるから、がんばって」
と書かれていました。

先ほど補習が終わって学校から帰ってきた息子は、またすぐ野球の練習に飛び出していきました。




春でございます。










コメント (6)

続・マラウィリポート<補足>

2010-03-14 13:43:12 | アフリカへ行こう!
補足です。


前回、『続・マラウィリポート』で、私は
「南アフリカは本当に危険で、外国人はよく殺されてしまう」
というアルフレッドの言葉を引用しました。
その後、以前このブログでもご紹介した、南アフリカ在住の吉村峰子さんより、
こんなメールを頂きました。


― 確かに、アフリカでは南アフリカはもうブラックホールのように思われています。
  でも、彼らのイメージはメディアや二次的な情報が源で、
  本来の南アフリカの姿をそのまま反映しているものではないんですよ ―


私は南アフリカのことは何も知らないけれど、
吉村さんの言う通りなんだろうな、と思います。
日本にたくさん素敵なところ(と、そうでないところ)があるのと同じように、
南アフリカにも、世界中のどの国にも、たくさんたくさん、いろいろな面があって、
ただ危険なだけのところなんて、世界中にひとつもないはず。
だけど、もしかすると私のブログを読んだ人が
「南アフリカって危険なんだ。怖いなぁ。」
と誤解をしてしまうかもしれない、と、はっとしたのでした。
というわけで、誤解のないように、ここに補足をさせて頂きます。



南アフリカについてもっと知りたい方は、吉村さんのブログをご覧ください。











続・メヒコリポート

2010-03-02 13:54:47 | 41.5

メキシコも、6年の間にいろいろと変化があったようで、
お米を送ったルイーサたちから「ありがとう」とEメールで返事が来ました。
お米を送る時に、「カルテロ(郵便屋さん)にもお礼を言いたい」と書いたら
彼女たちはそれを本当にカルテロに伝えてくれたそうで、カルテロも笑っていたそうです。
なんかすごく嬉しい。


そいでもって、彼女たちはメールにいろいろと写真を添付してくれました。




6年経ってすっかり大きくなった子供たちや





6年前と全然変わらないお母さんの写真と共に





こういうミイラの写真が添付されてくるところが、いかにもメキシコ。



メキシコは、日常にガイコツがとけ込んでいます。
6年前、メキシコに行く直前、私は死体が見たくて見たくて、
なんで見たいかと言えば「死」を忌むべきものとして覆い隠す社会が息苦しくて、
それで別に死体を意識したわけじゃないけど何でだかメキシコに行ったら、
現代日本でタブーとされていたたくさんのものがパッカーンと実にあけっぴろげに
青空の下に存在していて、ものすっごく気がラクになって、
それ以来、以前のような死体への渇望はなくなったのでした。
(いや今でも見たいには見たいんだけど。)
そしてやっぱり、メキシコの普通のおばちゃんである彼女たちの6年越しのメールに
ポンとミイラの写真がくっついてくるところに、メキシコの底力を感じちゃうのです。



実はこのメールが届いた日、ちょうどこれまた数年ぶりの友人と会っていて、
手塚治虫さんの話などをしていたのでした。
手塚さんは『火の鳥』等、「死」とは何かについてものすごく考えていた人だけれど、
死ぬ間際にものすごくもがいたのだそうです。
頭で死を考えることと、実際に死ぬことは全然違うことみたい。
死ぬってつまり、それまで「生きて」きた全てがそこに表れる人生最後の総決算で、
最後にして最大、誰もが必ず経験し、誰もが一度しか経験できない、未知の大冒険。
だから楽しみ。たとえもがくとしても、楽しみ。死が楽しみだから、生きるのも楽しみ。
「メメント・モリ」とは、つまり今日、今、この瞬間をどう「生きる」かということなんだ。
そんなことを思いながら家に帰ってきたら、
「お米ありがとう!」というメッセージと共に、ミイラの写真が届いていたわけです。



以前付き合っていた人と、不死について話したことがありました。
彼はちょっと変人で、科学の力で不死になれると信じていて、
不死になりたいと語っていました。
それを聞いていて、何だかうまく説明できないけども、私は気持ちが悪かったのです。
あれは何だったんだろう、と、今思うに、
悠久の時の中で連綿と続いてきた生命の流れにいきなり突出したエゴ大全開、
みたいな感じが気持ち悪かったのだろうと思うのです。
何十億年という宇宙のときの中で、私たちはバクテリアから進化して、進化して、
今私がこうしてこのかたちをしてここにいるのは、
数え切れないほどの先人の死があり、
それによって次の世代、次の世代へと、生命が受け継がれてきたからだと思うのです。
それなのにいきなりここで不死になっちゃったら、次の世代へ道を明け渡せなくなってしまう。
何十億年という生命の流れを止めて、進化もない、多様化もない、変化にも対応できない、
それってはたして、地球を美しくするだろうか、と。
私たちが生きているのは、地球というこの星があるからなのに。
私たちの役割は、次の世代のために、より良き道を築いていくことなんだ ― って、
何度も何度も聞いてきた言葉が、今になって、ああ本当にそうなんだ、と思えて、
でも全然実行できてなくて、でも本当にそうなんだと思うんだったら、
ただ自分がそれを生きればいいんですよね、きっと。
だからやっぱり、もしも将来不老不死の薬が開発されても、私は年を取って死にたいです。





あらまたメヒコから話がそれちゃいましたが。





この間、前髪に白髪を2本発見して、なんだか嬉しくなりました。
私は確実に、年を取っているようです。












コメント (6)

続・マラウィリポート

2010-03-02 10:31:08 | アフリカへ行こう!
マラウィのアルフレッドから、三度目の手紙が来ました。


マラウィから日本への切手代は110クワチャで、
月収4000クワチャだった彼にとってはけっこうな負担なはずだけれど、
こちらが返事を送るとすぐにまた返事をくれます。
すぐに、と言っても、マラウィから日本に手紙が届くには1ヶ月はかかるわけですが。

最初の手紙で、私はアルフレッドがお店をクビになったことを知りました。
私をニャウの元へ連れて行ってくれたその日、バス停から店に戻ったアルフレッドは、
その場で「明日からもう来なくていい」と言われたのだそうです。
私のせいだ。
その後、アルフレッドは石けん一つ買うにも事欠く日々を送っていたようですが、
それでも、いつか世界は一つになって、一緒に歌うことができるようになるよ、なんて言葉が
手紙には綴られているのでした。

実は私は、マラウィからの帰国後、南アフリカへ留学することを計画していました。
けれど、息子の反対もあって断念することになり、その事をアルフレッドに伝えると、
「僕はきみの息子を誉めたいです」との返事。
何故ならば、南アフリカは本当に危険で、外国人はよく殺されてしまうから、
息子さんはきみの命を救ったことになるんだよ、と。
“I'm happy and very very happy to hear that”なのだそうです。



そしてこの度、その南アフリカへ、アルフレッドは行くことが決まりました。
以前から出稼ぎに行くつもりでいたのですが、ようやく手はずが整い、
3月末までには出発することになるのだそうです。
一生懸命働くよ、と、アルフレッド。
そして、マラウィに帰ったら、旅行者がニャウの踊りを楽しめる場所を作ることを
計画しているのだそうです。
なんと、すでにニャウのリーダーと話をして、承諾も得ているのだと。
そしてその場所を、こう名付けるつもりなのだそうです。
『トモコ・カルチャー・センター』。




わはは!




皆さま、
もしもいつかマラウィで『トモコ・カルチャー・センター』を目にする事がありましたら、
その創設者はアルフレッドです。
ぜひともお立ち寄りください。










いつも怒ってる人

2010-03-02 09:03:33 | ヒント
近ごろ、ずっと会っていなかった人に会う、という機会がぽこぽこと訪れる。


昨日は、高校時代の友人に数年ぶりに会った。
会って、どちらからともなくバンクーバー五輪の女子フィギュアの話になり、
大いに盛り上がる。
私が「鈴木明子さんがさー」と言えば、彼女は
「私、あの人が一番よかった!」
私が「真央ちゃんがさー」と言えば、彼女は
「私、滑り終わった後がすごいと思った!」
そして「長洲未来ちゃんかわいかったね」というところまで
ことごとく感動ポイントが一緒で、何だかものすごくウレシクなってしまった。

感動って、人とシェアすると2倍増し。





その彼女が、ふとこんなことを言った。
「高校時代のイケヤは、“いつも怒ってる人”というイメージだった。」

わぁ。まさしく。

当時は自覚してなかったけど、たぶん、いつも怒っていたのだと思う。
そしてやっぱり、今でも怒っている。
何に対して怒っているのかといえば、それはもう原因は外ではなく、
自分の内にあるとしか言いようがない。

彼女曰く、
「でも当時はそんなこと言えなかった。
 なにかおかしなことを言ったら、見下されそうで怖かった。」

これも当たり。
私は、たくさんの人を見下してきたのだと思う。
では何故見下すのかといえば、自分が弱いから。
本当の意味で自分に自信がないから、他人を見下したりするのだ。



彼女は今、舞台俳優をやっている。
役者として様々な感情を追求していくわけだけど、
怒りの感情について、彼女はこんなことを言った。
「本当に怒って、怒って怒ってもう本当に怒ると、涙が出てきちゃうの。
 怒るって、つまり、泣きたいってことなんだと思う。」


爆笑してしまった。


爆笑して、涙が出た。
人はどうだかわからないけど、私は目からウロコが落ちるとき、爆笑する。
そんでもって、自分の心の「枠」に気付くとき、「枠」が解けるとき、
涙が出たりするのかもしれない。





人をしあわせにできることほど、しあわせなことはない。
だけど、誰かをしあわせにしたくて何かをするとき、
そこに怒りの感情があると、
どんなに論理的に正しくても、理屈が通っていても、
それってたぶん、人をしあわせにしないんじゃないか、と、思う。

ダライ・ラマ14世が、
「人間の究極の本性は、慈悲と利他の心である」
と言っていた。
ダライ・ラマは、人類の未来をとても楽観しているのだそうだ。
私なんかよりもうんと広くて、うんと深い世界をみているダライ・ラマがそうであるなら、
私が怒る理由はどこにもない。





高校生の時、友だちと渋谷を歩いていてテレビ番組の街頭インタビューを受け、
今一番欲しいものは何ですか?と聞かれて、二人で声をそろえて
「愛――――!!!」
と言ったもんだけど、いや違った。愛は欲しがるものではなかった。
誰もがとっくに、自分の中に持っているんだった。







もうほんと、生きてるっておもしろすぎる!










美味しそう

2010-02-15 19:02:51 | ヒント
星野道夫さんの本の中に、
アラスカに移住して幼いころから狩猟生活をしてきた白人の女性が、
観光客がカリブー(トナカイ)を見てかわいいねぇなどと言っている時に
一人「美味しそう」と言ったら、周囲の観光客が目を丸くした、
と言うようなエピソードがあった。

そういえば以前、葛西臨海水族館でマグロの水槽の前に立っていた時、
後ろの人々が皆口々に「美味しそう」と言いながら通り過ぎていった。
翌日アメリカ人の上司に、泳いでいるマグロを見て美味しそうと思うか聞いたら、
「思わない。」
マグロを見て「美味しそう」と反応するのは、日本人特有のものみたいです。
じゃあ歩いている牛を見たら美味しそうと思うのか、とその上司に聞いたら
「思わない。」
まぁねぇ、自分で捕まえて、解体するわけじゃないしねぇ。
けどそれなら日本人だって自分でマグロを捕まえるわけじゃないよなぁ。
想像力が豊かだなぁ。




そんなことを思いながら、中国出身の友人と井の頭公園を散歩中、
池にオレンジ色のコイがいたので、見て、きれいだよ、と言ったら、
彼女の口から出た言葉は、
「あ、美味しそう。」


彼女の出身地では、よくコイを食べるのだそうです。
人によって、いろいろですねぇ。







【追記】
全然関係ないんですけど、マイミクさんの日記で知ったカンナビゲーション
殺人的におもしろいです。
だれか・・・一緒に笑ってください。





コメント (2)

ハッピー・バレンタイン

2010-02-15 17:04:49 | アフリカへ行こう!
数日前、友人から
「Give me ( Fair ) Chocolate !!」
というタイトルのメルマガが届きました。

あっ、そうじゃん、もうすぐバレンタインじゃん。
素晴しいリマインダ。

その中で、彼はチョコをもらう準備は万端です(笑)とし、
フェアトレードのチョコレートを紹介していました。
ちょうどこの週末にいろいろと人に会う予定があったので、
急きょチョコレートを用意!


私が選んだのは、ACEというNGOのチョコレートです。 



その名も、「しあわせへのチョコレート」。

ヨーロッパには、てんとう虫はしあわせを運ぶという言い伝えがあるのだそうです。
ACEでは、チョコレートを食べる人も、作る人も、みんながしあわせになるように、
このてんとう虫チョコの収益を活かし、
日本で使われるカカオ豆(チョコレートの原料)の7割を生産する西アフリカのガーナで
しあわせへのチョコレートプロジェクトという活動を行っています。
おっしゃ!
てんとう虫くんに、作る人にも、食べる人にも、みんなにしあわせを運んでもらおうじゃないの!
日程がギリギリで間に合うかわからなかった為ACEに電話したところ、
担当の方がとっても感じよく対応してくれて、
こちらもとっても嬉しくなっちゃったのでした。
すでにここからしあわせがスタート!





そして13日。

この日は高校時代の友人宅にみんなで集まったので、
男子の皆さんにてんとう虫をお届け!


同封のストーリーを読む大江先輩。




真顔でてんとう虫を食べる川上くん。 




友安先輩は、しあわせそうな笑顔です(笑)。




こちらはホストファミリーの三浦家男子チーム。




末っ子のだいじくんはてんとう虫を気に入ってくれたようです。




ところで、この日集まったのは、ホストの三浦夫妻以外全員独身者。
食事が進むうちに、必殺結婚世話人・三浦夫人が本領を発揮。
結婚にあまり乗り気でない男性陣に斬り込みます。
この日は一応、名目上は私の送別会ということだったようですが、
三浦夫人の真の目的は、日本にしあわせな既婚者を増やす結婚布教活動です。
この三浦家はほのぼのとした仲良しファミリーで、ここにいるうちに
「結婚するのもわるくないな・・・」などとうっかり思わされてしまったりして
存在自体が結婚布教活動になっています。

そんな三浦夫人の、特製手作りピザ。



この後バリエーションを変えて5枚ぐらい出てきましたが、
食べるのに夢中で写真は撮っていません(笑)。


食後、だいじくんはタオルを抱えてこたつでお昼寝。



このタオルがないと眠れないんですって。ライナスの毛布です。


こちらは長男げんじくんの作品 ― 『かえるの合唱』








素敵な三浦ファミリーです。






そして14日。バレンタイン本番。

この日は朝から八丈太鼓の稽古があり、
日の出前に家を出て、霜が降りて真っ白になった道を通り、浅草へ。
月に1度八丈島からやって来てくれる浅沼宏雄先生にも、てんとう虫を贈呈!



八丈太鼓は一つの太鼓を両側から二人で打つ太鼓です。
「下拍子」と呼ばれる側が刻む一定のリズムに乗せて、
もう一人がジャズのように即興で叩いていきます。
一見、目立つのは即興で叩いていく側なのですが、
実は本当に大切なのはそれを支える下拍子の側で、
浅沼先生はこの下拍子の真の名手なのです。
先生は、「八丈太鼓はね、ことばなんだよ」と言います。
チョコを渡したときにアフリカの太鼓の話になったのですが、
八丈太鼓とアフリカの太鼓は全然違うはずなのに、
八丈一筋で生きてきた先生は、誰よりもアフリカの太鼓を知っている、と思いました。
先生は私たちにただ太鼓の叩き方を教えてくれるのではなく、
そこに込められた想いや、島の香りなど、それこそ言葉にならないものを
存在で伝えてくれるのです。
そんな先生の指導を受けることができて、本当にラッキー!



そして稽古の後、同じ教室に通う未来のパティシェ・エリ姫より
なんと手作りチョコクッキーを頂きました。



おいし―――!!



その後、「ありがトン」でおなじみのさわとんとお食事。



さわとんのトン足ピース(笑)。

さわとんは、「うつ蔓延社会から、うつ円満社会へ」を目指し、
現在うつ専門カウンセラーとしてたくさんの人々のカウンセリングや、
講演などを行っています。
さわとん自身もかつてうつ病に苦しんだ経験があり、
それを越えてきた今のさわとんの言葉はやさしく、強く、
たくさんのことを教えてくれるのだけど、実はやっぱり、
言葉よりもそうやって生きてきたさわとんの存在そのものが一番のメッセージです。
一緒にご飯を食べながら、こんなおもしろい話を聞きました。
さわとんはよく、うつの人と接していて引きずられないですか、
と、聞かれるのだそうです。
が、
どんなに落ち込んでいる人でも、どんなに「死にたい」と言っている人でも、
その人たちの話からさわとんがもっとも強く感じることは、
「生きたい」という思いなのだそうです。
だから逆に力をもらうんだよ、と。
さわとんは、かつて自分がうつだった時に書いたノートを見せてくれました。
そこには苦しかったり、不安だったり、焦ったりする
当時のさわとんの思いがたくさん書かれているのですが、
確かにそこからは、「生きたい」という思いが伝わってくるのでした。
さわとん、ありがトン。





みんなにしあわせを!なんつって、
結局一番しあわせをもらったのは自分な気がしますが。





私たちが何気なく食べているチョコレートがどんな風に作られているかについて、
もっと詳しく知りたい方はこちらをご参考までにヽ(^_^)
それに対して何かしたい、と思われた方はこちらをご参考までにヽ(^_^)
来年は、もっともっと、みんながハッピーになるバレンタインになるといいなぁ!





最後は、息子に。



顔を見せるのははずかしいお年ごろです。





コメント (2)

素敵な鈴木さん

2010-02-12 18:46:43 | ヒント
何かを送るときの緩衝材として使われることの多い、新聞紙。
地方から送られてくる場合は、たいてい地方紙です。
私は何か荷物を受け取ると、中にある新聞紙のシワシワを伸ばして
地方紙ならではのローカル記事を楽しみます。
本日木の花ファミリーから届いたお米には静岡新聞が入ってまして、
その中にこんな記事を見つけました。




【 集え「鈴木」姓 】


浜松市は、全国でもっとも鈴木さんが多い街なのだそうです。
その数約5万6千人で、全市民のなんと7.2%。
そんな中、同市在住の鈴木建也さんが、鈴木さん仲間6人と共に
鈴木さん同志の交流をはかる会を立ち上げました。その名も
『浜松鈴木さん楽会(がっかい)』。
鈴木さん曰く、
「どこにでもいる姓と劣等感を持つことなく、自信を持って活動を楽しみたい。」
とのこと。

以下、そんな鈴木さん楽会の
<鈴木さんの心得10カ条>

1、鈴木姓を誇りに思う。

2、名前はフルネームで名乗る。

3、鈴木さんには親しみを持って下の名前で呼ぶ。

4、他人の鈴木印をあてにしない。

5、神社へのお参りは欠かさない。※注1

6、米は一粒も残さず食べる。※注2

7、鈴木さんの商品、お店を愛用する。

8、芸術文化、スポーツ等、がんばる鈴木さんを応援する。

9、日本一鈴木さんの多い街・浜松を愛する。

10、鈴木さんで楽しい人生をおくる。

※注1:鈴木の元祖は、熊野信仰の神社の神主とされている。
※注2:熊野信仰は稲作の宣布で、鈴木は稲穂を模した神事に使う神木。





これだけでも、相当ツボです。





そして、活動内容はというと、
「日本一の鈴木さん人口の多い街・浜松の情報発信」
「鈴木さんの歴史、文化、雑学、及び浜松鈴木の研究」
「浜松及び全国の鈴木さん、鈴木会、鈴木著名人との交流」
「鈴木さんによる地域の活性化、元気な街づくり、人づくり」
「鈴木さんのルーツ探しツアー」
「鈴木さんと呼べない交流会」
「鈴木さん著名人の講演会、演奏会等の楽しいイベントの開催」
等々 ―

鈴木さんと呼べない交流会!


さらに、会員特典として
「名刺(会員証)100枚」
「イベント参加料割引」
「鈴木さん情報の配信」
等々 ―

鈴木さん情報の配信!





ノックアウトです。





より詳しい情報を知りたい人は、鈴木さん楽会ブログを見てみよう!
「全国鈴木サミット」なるものもあるそうです。


あぁ、鈴木さんじゃなくて残念。










コメント (6)

Soar and Sing

2010-02-08 20:34:47 | 41.5
メキシコから手紙が届いたことで星野道夫さんのエピソードを思い出し、
何故だか星野さんの本を読みたくなって、
本棚の奥から埃をかぶった著作を引っ張り出し、読んでみた。

びっくりした。

何にびっくりしたって、以前の自分が、
星野さんが伝えようとしていたことをさっぱり理解していなかった、ってことに。




私が初めて星野道夫さんの本を読んだのは、11年ほど前、小笠原にいた時だった。
島で知り合った人が星野さんのことが好きで、その人がすごくかっこよかったので
共通の話題が欲しいという大変不純な動機から彼に大量に星野さんの本を借り、
読みまくったのだった。
動機は不純だったが本は面白く、それなりに感動しながら読んだ。
そんな姿を見た別の友人は、私が星野さんのファンなのだと思い込み、
私が内地に戻って以降も、誕生日など事ある毎に星野さんの本を送ってくれた。
その都度私はパラパラと眺めてうんうんとわかったつもりになって本棚に押し込んで
流れ流れて幾年月。
そしてこの度それらの本を引っ張り出して埃を払って読んでみて、
この人が描こうとしていたのはこんなにでっかい世界だったのか!と、
今さらながらに天を仰ぎたくなっちゃったのだった。




何が書いてあるのか、は、直接著書をご覧頂くとして、
ここではざっと、星野さんの略歴を。

星野道夫さんは、1952年、千葉県に生まれました。
中学生の頃、星野さんは、
今自分がこうしている間も、北海道のどこかの森の中ではクマが生きている、
姿は見えないけれども確実に生きていて、何かをしている、
そんな風に自分とクマが「いま」を共有していることの不思議さを、
学校に向かう電車の中で、ずっと考えていたのだそうです。
高校生になった星野さんは、ヒッチハイクで2ヶ月半かけて、アメリカを一周します。
さらに大学生になると、なんのツテもないアラスカのシシュマレフ村へ手紙を出し、
そこで3ヶ月を過ごします。
そして21歳の夏、親友を山で失い、その死から得た結論は
「好きなことをやっていこう」。
その後アラスカ大学に留学し、写真家となり、
アラスカの自然や、先住民の生活を追い続けました。
危険と言われる場所に出向く時でも、星野さんはいつも、
(射撃の腕前が非常に良いにも拘らず)銃を持たなかったのだそうです。
そして96年、取材で訪れたロシアのカムチャッカ半島で、
ヒグマに襲われて亡くなります。




友人が送ってくれた本の中に、映画監督の龍村仁氏の対談があり、
そこで『地球交響曲』の第三番に星野さんが登場していることを知り、早速観てみる。
繰りかえし観る。
観る毎に、感じることはどんどん増えていくようでもあり、
どんどんシンプルになっていくようでもある。
第三番には、星野さんと共に
宇宙物理学者フリーマン・ダイソンと、外洋カヌー航海者ナイノア・トンプソンが登場し、
一つひとつががまさしく“交響曲”のように全体となって、メッセージを紡いでいく。
それを観ながら、あぁーこれなんだなー、と、
感動するやら、安心するやら、せつなくなるやら、嬉しくなるやら、
とにかく生きてるって素晴しい!!(笑)

不思議なことに(と言うか当たり前のことと言うべきか)、
世界中どこでも、いつの時代でも、
突き詰めていくと、人は皆同じことを言っているような気がする。
星野道夫さんはそれをアラスカで感じ、
例えば早川千晶さんは同じものをアフリカで感じ、
人によってそれはチベットだったり、ハワイだったり、或いは沖縄だったりして、
もしかしたら六本木ヒルズで感じる人もいるかもしれない。
大切なのは「どこに行くか」ではなく、「なにを視るか」。
そしてそれは、どんなに本を読んでも、どんなに人の話を聞いても、わからない。
一人ひとりが、自分自身でそれに気付いていくしかない。
そして、だからこそ、
それは私たち一人ひとりにあまねく与えられた
天からの“ギフト”なんだ、と、思ったりする。




星野さんの本の中に、こんな一節がある。

「目に見えるものに価値を置く社会と、
 見えないものに価値を置くことのできる社会の違いを、僕は思った。
 そしてたまらなく、後者の思想に惹かれるのだった。」

科学が素晴しく発展して、かつて見えなかったものがたくさん見えるようになって、
そしていつの間にか、人は目に見えるものだけを信じるようになった。
目に見えるものだけを信じるならば、
そもそも「信じる」なんて能力は必要ないのかもしれない。
だってそれは、目に「見える」から。
だけどどういうわけだか我々には「信じる」という能力があり、
そしてまた我々が「見える」と思い込んでいるものも
実はとても実体のない、儚いものなのかもしれない。




『地球交響曲』が面白いよとつい人に薦めたくなるけど、
そういえば数年前に私自身友達の家で第一番を見せられて、
その時は特に面白いとも思わなかったんだった(笑)。
自分が見たものと同じものを、相手がそこに見るとは限らず、
だから何かを伝えたい、伝えたいと、書いたり話したりすることは
結局はマスターベーションだ、と思う。
唯一、人に伝わる方法があるとしたら、
それはただ書いたり話したりすることではなく、
ひたすらに、自分自身がそれを「生きる」ことなのだと思う。
星野さんは、きっとそれを生きたんだ。
そして、書くことも話すこともせずに黙々とそれを生きている人が
世界中にたくさんいるんだ。





地球交響曲第四番では、地球そのものを一つの生命体とみなすガイア理論の創始者である
ジェームズ・ラブロック氏が、こんなことを言っていた。


「地球に我々人類が誕生したことには、必ず深い意味があると思う。
 それは多分、地球が人類の目を通して、
 自分がどれほど美しいかを見るためなのです。」





自分が毎日を淡々と、丁寧に、楽しく過ごしていくことが、
きっとマラウィまでつながっていくと、私は信じておりますです。