今日も4時起き、4時半出発、5時から作業。終わって今12時半。帰ってきた。ちょうど一か月前から一日おきに早出仕事が続いている。三連続の日もある。二日空くことは無い。明後日から3連日で早出だ。早出というのは4時とか5時に出発すること。6時頃の出発では早出には数えていない。
その間に、高圧の停電事故(自分のお客さんじゃないところ)が起こり、日を空けて2回起こり、2回目は一回目より重症化しもう3回目が来たら仮の復旧は不可能だ。その事故は完全に背負ってしまった。最後まで面倒見なくちゃなんないんだろうな。
一日おきの早出はほとんど自分のお客さんの年次点検。
応援を頼んで手伝いに来てもらっているのだが、応援を頼んでいる人はほとんど所属する協会に入ったばかりか、仕事をよく知らない人。仕事を教えるのと、仲間がいねえだろうと声をかけて来てもらってるんだけど。
何年か前、一人のまだ入ったばかりの人が、「俺はこの協会に入って得られたものなんかねえ。手伝いに呼ばれるけど掃除ばかりで試験機なんか触ったことねえんだ。」そう言っていたんで、毎週呼んで試験機の操作の仕方を教え、保護継電器による試験方法など教え込んで、自分で出来る様になったけど、「俺は〇〇さんにだけは感謝していて、入会したばかりのころ仕事がない時に呼んでもらって感謝してるよ。他の人はダメ。」そう去年俺のいるところで言っていたので、呼ぶのをやめた。〇〇さんは俺じゃない。他にも、毎週のように呼んでいるけれど、みんな自分の仕事の時には俺を呼んでくれないんだ。とても寂しいよ。
一緒にやってる人がいるからとか、グループをつくってやってるんだとか、昔からの電気関係の知り合いがいてそいつに手伝い頼んでるんだ、とか。
別に恩を売るつもりはないし、仲間に入れてくれとも言わないが、たまには呼んでくれてもいいんじゃないかと寂しく思う。教えるだけ。払うお金のお礼は言われるけど、教えたノウハウについてはお礼なんか言われたことはない。
高圧的なことを言ったことなんかないし、お金はらってんだからとか威張ったことないし。逆に応援に来てくれてありがとうと言っているんだけれど。
この物凄い孤独感は今に始まったことではないのだけれど、若いころからそうだった。子供の頃からそうだった。子供の頃なんか、普通の家庭の子は相手にしてくれないから年上の友達とばかり遊んでいた。
学校は不登校が多いから友達が出来ない。数すくない相手になってくれた友達も出来たが、お金のかかる遊びは仲間に入れないから遠くからみているだけだったし、集団で遊びに行くのも声をかけてもらえなかった。
全て蚊帳の外。
誰からも俺という存在は順位の低い存在なんだろうなぁと思うことが多く、
プライベートなことを話せる人は皆無だ。lineでやり取りする個人的な人も居ない。仕事もみんなはlineでやり取りしてるようだ。俺にはみんなIDは教えてくれない。
何の話も声がかかるのは一番最後なんだよね。
人に親切に接していれば必ずいいことがあると20年前までは信じていた。また、人のために一生懸命頑張れば必ず自分に報いてくれると信じていた。
騙され、嘘をいわれ、極限状態まで働かせられ、やがて病気になるまでは。
でも、そんな人ばかりじゃないし、きっと優しくしてくれる人は居るだろうと信じて独りになってから頑張った。本当に優しい親切な面倒見の良い仕事の先生である先輩に恵まれ、頑張ってきて良かったと心底思っていた。しかし、それは長くは続かなかった。一人になってからほんの数年で先輩は旅立ってしまった。また病気は悪化し、しかし仕事は待ってくれないから無理をして、また悪化してとそれを繰り返してきた。
でも、いちまつの望みを持って、「人に親切を持って接し、誠意をもって頑張っていれば、いつか必ず受け入れてくれる人は現れる」と信じて頑張ってきた。でも、もう諦めた。「自分のことを受け入れてくれる人は絶対に現れない」そう思った。ならば、お礼なんか要らないし俺のこと受け入れてくれなくても構わないから、稼いだお金は困っている子供にご飯を食べる資金にしてもらうために、こども食堂に寄付を始めた。というか前からしていたが、最近特に額が大きくなってきた。もうそれでいい。見返りなんかいらない。
苦しい人生になってしまったのはみんな自分が悪いんだろうか?
こういうことを考える自分が悪いんだろうか?
騙され、裏切られ、死ぬ寸前で病気に気が付いて医者のおかげで生き延びてきたが、そんな生き延びる価値のある人生だったか?
自分の望みは叶わない人生だった。というか、苦しみを消すことが出来ない人生だった。望みなんか何も叶わない。苦しいことは今も増えていく。
なんだか疲れた!
TARAKOさんの訃報を読んでとても残念だった。
ほぼ同じ年。自分ももういつどうなるかわからないなぁ。
前日に鳥山明さんの訃報をテレビで見て、俺らにはドラゴンボールよりあられちゃんが身近で懐かしく、そして残念な思いがわいたところだった。
同年代の人がどんどん亡くなっていく。それは仕方のないことなんだけど。
そう割り切れないのが人情というものだ。
神田沙也加さんが亡くなってから松田聖子さんをめっきり見なくなったが、大丈夫だろうか?
19歳の時に、「TVジョッキー」という人気番組があってその「奇人変人コーナー」というのが大人気で、空手道場の師範代がバット折りでそれに出演することになって、テレビ局に同行した。1度目はオーディションでバットを脛で折るというのは大変受けたが、同行しているあんたらも何かやってくれよということになって、ブロックを台においてガソリンをぶっかけ火をつけてそれを手刀で割るというのをやった。本番でそれもやることにきまり、本番当日スタジオ入口で出番を待っていると、松田聖子さんがスタジオ入りした。入るときに俺をテレビ局の人と勘違いしたらしく俺に向かって「おはようございます」と挨拶してきた。俺も「おはようございます」と返したが、小さくて細くちょっとその辺には居ない女性だったよ。思い出だな。
子どもを亡くした親の気持ちはよくわかる。倒れないように心のケアをして欲しい。
一方、普通のそこらの親父の俺は先日の自分の客ではない事業所の地絡事故について、仮設を立てて測定をして分析をしてみた。
たぶん仮設は正解だったようだ。

高圧ケーブルの5000Vを10分印加して漏れ電流をプロットしたデーターをグラフにしたもの。
この波形ではもう寿命が来ていると説明した。
工事屋さんと公共施設の担当両者からケーブルの発注をかけた。2か所からかけたほうがいいからと。先に入ったケーブルを使おうということになった。
なにしろ280mある。1年くらいかかる予想だが、再送電は成功したがまたいつ落ちるかわからない。そう長くはもたないだろう。
俺は、役所の人に「建設機器レンタル屋で工事用発電機の200KWとか300KWとか大型のものを借りて、どうしても電気を送りたいところへ送ったらどうですか。」と進言した。そうしようということになったが、工事屋さんが暗い顔で、発電機を外に置いて電気室に引っ張り込む低圧用のケーブルも入ってこないんだよ。そうか・・・
憂い事は当面続きそうだ。
地絡継電器が働くたびに呼び出されるだろうな。
もう疲れた・・
先日地絡事故を起こした事業所の絶縁の低い連絡ケーブルの交換工事店さんでやり、俺が耐圧試験をやり、その他のところの絶縁抵抗を測定し、受電所からこの電気室までの引き込みケーブルの絶縁診断をやった。
ケーブルを交換しないと、今日は送電成功してもまた地絡を起こすことを力説して、ケーブルを交換することになった。しかし、ケーブルが入荷しない。コロナ禍から、能登半島地震の影響で電材が極端に入らなくなった。
今度落ちたらケーブルが届くまで送電は試みないということで話はついた。
そうなると、市民への大きな影響となる。
ここは受託しているお客さんじゃないんだけど。なんでこんなことばかりにかかわってしまうのかなぁ。俺はこういうのおおいよなぁ と考えながら帰路についた。
今日もあわただしい一日だった。
4時30分に起き、5時に出発。5時半から仕事を始めて今17時20分。
やっと一息ついた。
昨日も呼び出しがあり、茨城から帰るとすぐに出動となった。
体調はとても悪く、サインバルタというクスリを一日30mgまで減らしてきたんだけれど、上限の60mgまで引き上げた。そのクスリの増減は主治医からは許可を得ている。
上限まで使うと眠気との闘いとなる。また、以前に希死念慮が現れたときにこのクスリを疑った。でも、ダメな時はだめだ。
もう一種類は、まだ上限に達していない。一時は上限までいったのだが、減らしてそのまま続いている。
いつだったか記憶が定かではないのだけれど、前回雪が降った日の朝、ある公共施設で地絡事故が起きた。俺はその施設とは何の関係もないのだけれど、K保協会に断られ(年に一度定期点検を受けている)、他の同業者のあてもなく電気工事店の担当の人から電話が来た。みんな断られてしまいどうしたら良いかわからない。お宅で何とかしてくれ と呼び出されたらしい。困って俺に電話をしてきた。
仮復旧をして、明日8日に地絡を起こしたんじゃないかと疑われるところを交換する予定だった。
そしたら、昨日朝来たら停電していたとのこと。明日の夜でもいいから早く来てくれ と言われたそうな。俺は「事故の復旧工事だから夜間作業はやめましょう。危険だ。あそこが事故点なのか確信はないから、入れたとたんにドカンと来るかもしれない。深夜ではどうにもならない。」そう説得して、明日朝8時から工事をやることになった。
何で俺関わらなくちゃなんないんだ?そう思ったが、町の重要施設だし、停電させておいたらたぶん10日くらいで町中大騒ぎになるだろう。10日かからんか。5日くらいかな。あれだけたくさんの物を運び込むのだから。
俺は、絶縁が一番低かったところを工事するだけでなく、一番厄介な第一電気室から50mくらいある40年前のCVケーブルを不安視していた。
メガは良かったんだよ。だから仮復旧したんだ。しかし、昨日呼び出された事業所のことを思い出したら一本線がつながった。地絡過電圧継電器が働いて太陽光発電がとまっていたんだ。そして、その公共施設と発電所は東電の変電所が同じはず。
前回地絡した時は、発電所には影響はなかった。
前回より高い地絡電圧が現れたということだ。つまり、悪化したということ。
変える道すがらそんなことを考えながら、決心した。ケーブル診断に使うメモリレコーダーを用意した。普段持ち出すときに使うパソコンにソフトをインストールし、ポータブルプリンターを充電し、印刷をしてみた。使えそうだ。
全て充電し、リュックに詰めた。クルマの中は試験機と耐圧トランスなどでいっぱいだ。ついでに台車も積んだ。先日とても歩いた気がしたから。試験機、発電機、トランスを50mも運ぶのはしんどい。俺は出入り業者じゃないのに業者だとみると手伝ってくれないんだよ。みんな。明日は雪の予報だ。
作業は大変だが、停電した日に条件が近くなる。
だから今度こそ事故点が確定できるかも知れない。
体調は悪い。行きたくないが仕方ない。俺しか行ってくれる人いないんだから。とんでもない重労働が待っている。
いつものことだ。