糸井重里さんの『インターネット的』を読みました。
ここで読書記録として残しているのは、ジャンルとしては「小説」なのだけど、これは違います。ビジネス書でもないし、ネット社会の指南書でもないし、まあ、エッセイですよね。
で、なぜこれを読書記録として残しておこうと思ったのか。
答え:だって面白かったんだもん。
だって凄かったんだもん。
やっぱイトイさん、凄いわ。
本書は、最初に2001年に新書で出されたものが干支がクリンとひとまわり以上した2014年に文庫化されたもの。それを私はさらに5年後の2019年に読んだ、ということです。
出会いは昨年末。仕事先で放置されたままになっている本の中からこの文庫を見つけたので「処分する本だったらもらってもいいですか?」と訊いたところ、皆さんから「どうぞどうぞ」とダチョウさんみたいに言われたのでいただいてきた、ということです。
何が凄いかって、2001年に書かれた内容が今読んでもまったく古くない。それどころか「予言」に近い話だらけで、現在進行形なことだらけで驚くしかないのです。インターネットな話なのに、18年経っても古くない。どういうことだと疑うけど、それが「糸井重里なのだ」と言われたら納得できてしまうところは、若い頃に彼のコピーにモロに衝撃を受けた世代だからなのでしょうか。
本書は、糸井さんが『ほぼ日刊イトイ新聞』を始めた頃、インターネットについて考察したもので、それから文庫本化するときに加筆したのだけど、ほぼ手直しなしだったらしいのです。10年以上経って、10年以上前に書いたようなインターネットの状態になっていたのだということ。そしてさらに5年後でも、目から鱗が落ちるような感覚で読めました。
いや~、マジで驚いた。
ここで読書記録として残しているのは、ジャンルとしては「小説」なのだけど、これは違います。ビジネス書でもないし、ネット社会の指南書でもないし、まあ、エッセイですよね。
で、なぜこれを読書記録として残しておこうと思ったのか。
答え:だって面白かったんだもん。
だって凄かったんだもん。
やっぱイトイさん、凄いわ。
本書は、最初に2001年に新書で出されたものが干支がクリンとひとまわり以上した2014年に文庫化されたもの。それを私はさらに5年後の2019年に読んだ、ということです。
出会いは昨年末。仕事先で放置されたままになっている本の中からこの文庫を見つけたので「処分する本だったらもらってもいいですか?」と訊いたところ、皆さんから「どうぞどうぞ」とダチョウさんみたいに言われたのでいただいてきた、ということです。
何が凄いかって、2001年に書かれた内容が今読んでもまったく古くない。それどころか「予言」に近い話だらけで、現在進行形なことだらけで驚くしかないのです。インターネットな話なのに、18年経っても古くない。どういうことだと疑うけど、それが「糸井重里なのだ」と言われたら納得できてしまうところは、若い頃に彼のコピーにモロに衝撃を受けた世代だからなのでしょうか。
本書は、糸井さんが『ほぼ日刊イトイ新聞』を始めた頃、インターネットについて考察したもので、それから文庫本化するときに加筆したのだけど、ほぼ手直しなしだったらしいのです。10年以上経って、10年以上前に書いたようなインターネットの状態になっていたのだということ。そしてさらに5年後でも、目から鱗が落ちるような感覚で読めました。
いや~、マジで驚いた。