77年生まれ♂の悩みドコロ

いいオヤジになりたいぞ

今日も泣いた。

2009-01-30 | Weblog
今日は他に書こうと思ったことがあったのだけど。

ボクは、今日も泣いた。
オフィスで嗚咽するのを必死に堪えたくらいに。

泣きたくて、ネットのメディアウォッチを
しているのではないのだが、難解な世界情勢や金融記事の
中にたまに散らしてあるから、やられてしまう。

ボクの実感では、世界には仲の良い隣国もあるが、
大半はお互いの印象が良くない隣国が多い。

そもそも仲がよければ、国境なんて生じてないだろうし。

そして、マスコミはえてして、それを助長する。
その内容が自国民にウケて、負のサイクルは続く。

でも、ある国の政治家も、ある国の政党も、
ある国の法律も、ある国の活動家も、
ある国の犯罪者も、ある国のヒーローも、
必ずしもその国民全てを代表しない。

当然、母国にも隣国にも善人もいれば、悪人もいる。

惜しむらくは、言葉の違い、習慣の違いが、
その理解に大きく立ちはだかることだ。

母は拾った子供の難病治癒にすべてを捧げた

着信ナシ:その涙は届いていない

2009-01-29 | Weblog
昨日、お客さんとバンコクの日本人御用達デパートに隣接する
居酒屋で呑んだ。内装が変わっていて、昭和の街角を意識した、
力道山や月光仮面のポスターが貼られた木造の座敷になっている。

席に着いて、新宿歌舞伎町にも同じように昭和レトロの居酒屋が
あったことを思い出した。

ボクは、高田馬場で育ち、数年前は一時期大久保に住んでいた。

歌舞伎町は、アジア的な猥雑感がスキで、用事がなくても
散歩がてらに通り抜けたりしてた。夜ひとりでバッティング
センターに行ったりもした。

いまそのアジアの猥雑感たっぷりのバンコクにいて、
ボクは毎日、道端の物乞いを素通りして生活している。

素通りする時、その都度、湧き上がる一抹の感情に対して、
ボクは「彼らはタイ人ではなく、ミヤンマー人やラオス人の
不法入国者で、タイ人の元締めが毎日持ち場につかせ、夜に
拾って、あがりをせしめて行くシステムの一部であり、
カネは彼らにはまず渡らないという仕組みを知っているだろ」
という説明を心の中で繰り返す。

ボクは小学生の3年間を東アフリカで過ごし、運転手つきの
メルセデスの中から、自分は滅多に降り立つことのない街中に
目をやり、そこで生きる困窮したローカルの人々を目にしてた。

高校生の時には、赴任中の父親を訪ね、ひとりカンボジアに行って、
手足のない物乞いを感覚のどこかが麻痺するくらいたくさん
視野の端に入れて来た。

でも、その多くの人たちと、いまも毎日目にしている路上の
人たちと、同じ窮乏の状態にある「歌舞伎町のストリート
チルドレン」の記事は、今朝、僕の胸をひどく締め付けた。

母国語で語られ、母国のホームタウンが現場で、自分にもいる
年端も行ぬ女児が対象だからなのだろうか。

毎日新聞らしい記事だよな、と大人の事情を認識しても
その読後感は揺らがない。

直情的に、心が動いた後、理性がそれにツッコミをいれる。
なんか腑に落ちないことがあるだろ、と。
でも、その矛盾や混沌の塊が、ボクだ。

正直、ボクは自分が「涙もろい」ことを自覚している。

ただ、これを読んでくれる方々と比較して「相対的に」
涙もろいのかと言うと、それは全くボクには不明だ。

実はみんなクチには出さなかったり、ボクの耳には届いてないけど、
ボク以上にとんでもなく涙もろくて、日々他人に思いを寄せて
心の中が張り裂けそうになっている可能性は十分ある。

でも、ボクの日常ではそれは共有されていない。
それがいいかわるいかという問題ではなく。事実として。

近い将来、思春期の子を持つオヤジになった僕は、
同じものを読んだとき、どう感じるんだろう。

できることなら涙もろいオヤジになりたい。
娘と息子の前でも思わず赤い目を見せてしまうような。

そして、すこし照れ笑いをしながら、
ふたりに「どう思う?」って問いかけてみるんだ。


『日本のホームレス人口は1万6018人。子供の数は不明で、統計上、ストリートチルドレンは存在していない。』
『「偽善」と見られる可能性をも甘受するのは、彼なりのざんげなのかもしれない。』
歌舞伎町、路上生活の4歳少女

私は怒っている

2009-01-28 | Weblog
村上春樹の作中にもあるが、文章は書いた途端、
自分の言いたいこととズレていたり、まったく逆のこと
になったりする。

さらにそれを他人が読むとますます伝言ゲームだ。

うまく言えない事を言う。整理し切れていないことを書く
ことは、殊に不特定多数の読者に向けられる場合、
多分に誤解を招きかねない。

できるだけ厳密に伝えようと思ったら、誤解のある
可能性を思いつく限り予め否定しておけばいいのかもしれない。

例えば、なにかに対して「怒っている」ことを伝えようと文面にしたとき、

私は怒っている。それは論理ではなく、妬みでもなく、
嫉みでもなく、僻みでもなく、憎しみでもなく、哀れみでもなく、
慈しみでもなく、蔑みでもなく、あくまで見知らぬアジアゾウに
断わりもなく急に足を踏まれたが故の身体反射によるものだ、とか。。

でも、自分の作文はいつも短くできあがる。

そんな危険性を承知の上で、書いてみるつもりだけれど、
誰かに不快感を与えることは全く意図していないことだけは記しておきます。

「吉本はこの『共同幻想論』で、個人と他者との関係を、1)自己幻想 2)対幻想 3)共同幻想 の3つに分類して、3)の共同幻想を個人と他者との公的な関係として定義した。」
多くの命を犠牲にする国家という幻想

自分オヤジ化計画

2009-01-27 | Weblog
娘に続き、息子にも恵まれ、バンコクでのんびり暮らしてる。

仕事を終え、帰宅し、子供をあやして、8時には床に着く。
そんな日々が続いてはや半年。

最近よくダダをこねる上の子を叱りながら、ふと考える。

自分の役割が増すな、と。

社会人、日本人、帰国子女、夫、上司、息子、兄、弟、
義兄、義弟、孫、同級生、先輩、後輩、取引先、友人。

既に社会的に、いろんな顔(役割)を持っているが、
2年ちょっと前に増えた「乳児のパパ」よりも
今回のは、より大きいチャレンジ。

「幼児の父」。

子供の自立に向けて、父としてできる最大限のことをしたい。

でもぼんやりとだけど、マイホームパパを
目指すのではなくて、オヤジになりたいと願ってる。

子供に嫌われないように行動するんじゃなくて、
人生を楽しんでる姿を見せつけるような。

そんな、オヤジに自分はなりたい。

この次に来る「思春期の子供のオヤジ」。
これが更に難題だ。。

自分の思春期、オヤジは海外にいたしなぁ。


ブッシュ氏の双子の娘、オバマ姉妹にアドバイス

 「たくさんの人がお父さんのことを理解していると思うでしょう。でも、彼らはあなたたちの生まれた日にお父さんがどう感じたかは何も知らないし、学校の入学式の日にお父さんが誇らしく思ったこと、2人がお父さんの娘であることをどれだけ素晴らしく思っているかも分かってない」とした上で、「つまり、私たちのアドバイスで一番重要なのは、お父さんが本当はどんな人かということを忘れてはいけない、ということ」と締めくくった。