中ノ源左エ門日記

陸奥国内、仙台藩領内を中心に眺めて歩き、花鳥風月に遊ぶ。
石造物、神社仏閣お墓、梵鐘鰐口絵馬大好き。

1868年の出来事に出会って

2013-10-27 22:26:23 | 日記
今をさかのぼる事145年前の歴史事象が目の前に現れたらどうなるどうする。
というわけで、少しばかり耳学問を・・・・。
◆越後長岡藩は1868年9月25日(改元9月8日明治)に明治総督府に降伏。牧野駿河守藩主一行は八十里街道を会津若松、米沢、山形を経て仙台に到着している。100人は仙台城下。600人が磐井郡東山に逗留している。北方大肝入支配下に320人南方に280人。
北方大肝入会所到着は九月二六日。上折壁村建高寺、大原村長泉寺、猿沢村観福寺で起居する。賄い費用は村々に割り当てられている。南方は、松川村、黄海村にに逗留のようであるが詳細は不明である。
11月11日まで居て帰郷している。断片的な資料が残るが、更に詳細を知りたいものである。
◆そして、平成25年10月26日・27日
越後長岡藩第17代当主牧野忠昌様・美知子様、長岡藩士会「柏友会」会長伊丹様ほか5名が一関に。本日、逗留先の三ケ寺を訪問し挨拶、二ヶ寺ではご住職の読経により法要を行ったのである。
◆畠山は、寺寺を巡るバスの車中から、歴史ガイドを勤めた。
ご当主様は、品格がありお側にいても清々しくなる。やはり違うなぁ。2013年10月27日佳日である。


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