焼き芋みたいな
エッセイ・シリーズ (47)
冬の駅から #15(最終章)
何年前だったか、ある日の夜、久しぶりに札幌のフジオから電話があった。
「おっ、フジオか。どうした?」
「いや、元気かなと思ってな」
「こっちは相変わらずだよ。そっちはどう?」
「まぁ、何とかな、やってるわ」
長く勤めた会社を退職後、一念発起してコンビニ店経営に乗り出していたフジオは、
業績を順調に伸ばし、札幌市内に3店舗目をオープンしたばかりだった。
「そう言えばな、デンスケが死んでもう一年半だなァ」と、
フジオがしんみりと言った。
その前の年の3月、厳冬の北海道にようやく穏やかな春が訪れる矢先に
デンスケは急逝した。
仕事中に倒れてから一週間昏睡状態が続き、そしてそのまま他界した。
ちょうど50歳を過ぎたばかりだった。
デンスケの訃報を東京で知らされた僕は、
デンスケとの思い出を遠い記憶の中からあれこれと拾い続けた。
だけど、どの場面でも、彼の優しい笑顔しか浮かばなかった。
そういえば怒った顔を見たことがない。そんな事にあらためて気がついたものだ。
デンスケは札幌の大学を卒業後すぐに結婚し、25歳の頃には二人の
女の娘の父親だった。最初の娘が生まれた頃の年賀状には、
「未来」と書いて「みく」と呼ぶんだと嬉しそうな走り書きがしてあった。
「おめでとう!もう父親かあ。すごいなあ」
「ああ。けど大変だわ。こっちは景気も良くないしさ」
「そっか。大変だな」
「東京はどう?頑張ってるかい?」
「いや、もうワケわからないよ。風に吹かれる毎日だわ」
「あはは。大丈夫かあ?」
「正直しんどいわ」
「頑張ればいいっしょ」
「デンスケのせいだからな」
「何があ?なんでー?」
「オレに音楽始めさせたのはデンスケっしょ」
「あはははは」
「責任とれナ。むはは」
たまにするデンスケとの電話のやりとりが懐かしい。
当時はまだ、東京と札幌間の電話代が高く、会話はいつも短めだった。
その頃の僕はと言うと、この東京で音楽活動にどっぷりと浸かる日々で、
父親として奮闘する札幌のデンスケの姿は、勝手に想像するしかなかったが、
デンスケのことだ、きっと幸せな人生を歩いていたに違いないと思う。
デンスケ逝去の知らせを受けた夜、
僕はぼんやりと部屋で音楽を聴きながら過ごした。
片っ端から次々と懐かしい曲に耳を傾けながら、
何時間も窓の外をぼーっと見つめていた。
それから僕はベランダへ出て、
この東京郊外の夜空を見上げた。
ここから見える星は、北海道の降るような満天の星空に比べると、
相変わらずため息が出るほど僅かだ。無性に故郷の風景が恋しくなった。
ふと、あの中学2年の文化祭で、デンスケのつま弾くギターに合わせ歌った曲を
ひとり静かに口ずさんでみた。口ずさみながら、
何かひとつの長い季節が僕の中で終わったことを感じた。
夜空に浮かぶ、まるで絵に描いた様な雲は、
丘の上の月明かりに照らされながら、真っすぐにゆっくりと、
僕の目の前をいくつもいくつも流れ去って行った。
少し距離を置き、けれどいつも同じ所に集まるように浮かぶ冬の星ぼしは、
そのうちすっかり滲んで見えなくなった。
「冬の駅から」と題して、遥か遠く、
デンスケ達との思い出をこの春先から綴って来たけれど、
先日、こんな夢をみた・・・
それは、あの頃の仲間達がずいぶんと歳を重ね、
再びデンスケの家の辺りの田園に集まる夢だった。
「ひさしぶり!」「元気だったか」「お前、老けたな!」と
楽しく談笑した後、皆ふと黙りこんで空を見上げた。
そしてその時、僕らは皆、中学の頃の姿に戻っている事に気づいて笑い合った。
「あ!わっ!若っ」「お前そんな顔だったっけ?」「なんだよー」
「デンスケ、白髪?!」「そっか、中学の頃から白髪生えて悩んでたもな」「そだなー」
そんな風にして、皆してお互いに指を差しながらひとしきり笑い合った後、
僕らは静かに顔を見合わせ「それじゃ、行っか」「そだな」と、
微かに微笑みながら、広大な空にすーっと浮かんで行った。
ー冬の駅から・完ー
~追伸~
あの日の放課後、中学校の玄関でぽつんと一人で靴を履いている時、
「これからアイツらがウチに遊びに来るんだけど、一緒に来ないかい?自転車だよね?」
当時まだ、ほとんど口をきいたことがなかった僕に、そう言って誘ってくれた事に、
デンスケ、僕は今でも感謝している。
♪「12月」 S.Y (詞・曲・歌:s.y )
約2ヶ月間もの間、「冬の駅から」を読んで下さり、
本当にありがとうございました。
拙い、まったく拙な過ぎる文章に根気よくお付き合い下さり、感謝しております。
本当に、ありがとうございました。 s.y 2021.6.12
エッセイ・シリーズ (47)
冬の駅から #15(最終章)
何年前だったか、ある日の夜、久しぶりに札幌のフジオから電話があった。
「おっ、フジオか。どうした?」
「いや、元気かなと思ってな」
「こっちは相変わらずだよ。そっちはどう?」
「まぁ、何とかな、やってるわ」
長く勤めた会社を退職後、一念発起してコンビニ店経営に乗り出していたフジオは、
業績を順調に伸ばし、札幌市内に3店舗目をオープンしたばかりだった。
「そう言えばな、デンスケが死んでもう一年半だなァ」と、
フジオがしんみりと言った。
その前の年の3月、厳冬の北海道にようやく穏やかな春が訪れる矢先に
デンスケは急逝した。
仕事中に倒れてから一週間昏睡状態が続き、そしてそのまま他界した。
ちょうど50歳を過ぎたばかりだった。
デンスケの訃報を東京で知らされた僕は、
デンスケとの思い出を遠い記憶の中からあれこれと拾い続けた。
だけど、どの場面でも、彼の優しい笑顔しか浮かばなかった。
そういえば怒った顔を見たことがない。そんな事にあらためて気がついたものだ。
デンスケは札幌の大学を卒業後すぐに結婚し、25歳の頃には二人の
女の娘の父親だった。最初の娘が生まれた頃の年賀状には、
「未来」と書いて「みく」と呼ぶんだと嬉しそうな走り書きがしてあった。
「おめでとう!もう父親かあ。すごいなあ」
「ああ。けど大変だわ。こっちは景気も良くないしさ」
「そっか。大変だな」
「東京はどう?頑張ってるかい?」
「いや、もうワケわからないよ。風に吹かれる毎日だわ」
「あはは。大丈夫かあ?」
「正直しんどいわ」
「頑張ればいいっしょ」
「デンスケのせいだからな」
「何があ?なんでー?」
「オレに音楽始めさせたのはデンスケっしょ」
「あはははは」
「責任とれナ。むはは」
たまにするデンスケとの電話のやりとりが懐かしい。
当時はまだ、東京と札幌間の電話代が高く、会話はいつも短めだった。
その頃の僕はと言うと、この東京で音楽活動にどっぷりと浸かる日々で、
父親として奮闘する札幌のデンスケの姿は、勝手に想像するしかなかったが、
デンスケのことだ、きっと幸せな人生を歩いていたに違いないと思う。
デンスケ逝去の知らせを受けた夜、
僕はぼんやりと部屋で音楽を聴きながら過ごした。
片っ端から次々と懐かしい曲に耳を傾けながら、
何時間も窓の外をぼーっと見つめていた。
それから僕はベランダへ出て、
この東京郊外の夜空を見上げた。
ここから見える星は、北海道の降るような満天の星空に比べると、
相変わらずため息が出るほど僅かだ。無性に故郷の風景が恋しくなった。
ふと、あの中学2年の文化祭で、デンスケのつま弾くギターに合わせ歌った曲を
ひとり静かに口ずさんでみた。口ずさみながら、
何かひとつの長い季節が僕の中で終わったことを感じた。
夜空に浮かぶ、まるで絵に描いた様な雲は、
丘の上の月明かりに照らされながら、真っすぐにゆっくりと、
僕の目の前をいくつもいくつも流れ去って行った。
少し距離を置き、けれどいつも同じ所に集まるように浮かぶ冬の星ぼしは、
そのうちすっかり滲んで見えなくなった。
「冬の駅から」と題して、遥か遠く、
デンスケ達との思い出をこの春先から綴って来たけれど、
先日、こんな夢をみた・・・
それは、あの頃の仲間達がずいぶんと歳を重ね、
再びデンスケの家の辺りの田園に集まる夢だった。
「ひさしぶり!」「元気だったか」「お前、老けたな!」と
楽しく談笑した後、皆ふと黙りこんで空を見上げた。
そしてその時、僕らは皆、中学の頃の姿に戻っている事に気づいて笑い合った。
「あ!わっ!若っ」「お前そんな顔だったっけ?」「なんだよー」
「デンスケ、白髪?!」「そっか、中学の頃から白髪生えて悩んでたもな」「そだなー」
そんな風にして、皆してお互いに指を差しながらひとしきり笑い合った後、
僕らは静かに顔を見合わせ「それじゃ、行っか」「そだな」と、
微かに微笑みながら、広大な空にすーっと浮かんで行った。
ー冬の駅から・完ー
~追伸~
あの日の放課後、中学校の玄関でぽつんと一人で靴を履いている時、
「これからアイツらがウチに遊びに来るんだけど、一緒に来ないかい?自転車だよね?」
当時まだ、ほとんど口をきいたことがなかった僕に、そう言って誘ってくれた事に、
デンスケ、僕は今でも感謝している。
♪「12月」 S.Y (詞・曲・歌:s.y )
約2ヶ月間もの間、「冬の駅から」を読んで下さり、
本当にありがとうございました。
拙い、まったく拙な過ぎる文章に根気よくお付き合い下さり、感謝しております。
本当に、ありがとうございました。 s.y 2021.6.12
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