紹興酒(市)浙江省 ミンポウ近く ココの港町で 空海は1200年前に経典や
仏具など買い揃え 帰国された金属に関わる一族 別けの犬トーナイ
紹興市(しょうこうし)は中華人民共和国 浙江省 杭州市から電車で30分ほどでして
紹興酒という酒は 日本人もよく知っている
弘法大師空海は恵果からすべてを教り、帰路 この街で経典などを買い求め
西暦805年から806年ごろ ここの港から出航し 寧波市(ねいは、ニンポー)の港から九州に帰国している
浙江省の港には 今より1212年も前に 真言密教の
空海も大変に世話になった
(この空海の渡航中の2年ほどの 期間に桓武かんむ天皇は お亡くなりになった)
この浙江省の港町には 真言宗・御室オムロ派 仁和寺ニンナジ の
だん家でもある バタ屋トーナイも
此処20年ほどはご縁を頂戴してきた
月曜日は 勝負の日だった
朝早く起きて 神様に手を合せて
その神様には
先週 中国の友から 頂いた紹興酒をなみなみ と
茶碗に前夜 注いでいて
手を合せていると なんか 一口 飲んで行け
と 囁くので湯飲みに1分ほど飲んで出かけた
2年以上も 酒を絶っているのですが
何故か 一口だけ口をつけた
この紹興酒をついでいた湯のみが
帰宅してみると8分目は 朝 残していった はずなのだが・・・
1分を残して 無くなっているんだよ
帰ってきたワシに 誰かが それ 飲め と 囁く
ハイと答えて 残った1分を飲み干した
今日は お前の為に 骨をおってやった と
神様が 供えた紹興酒を 飲まれた?みたいだ
減り方が 尋常ではない
家の者の 出入りもなくて 酒を こぼしたような形跡もなく
その一日は 勝負の日で すごくシンドイ 1日だった
神様は ほんまに おられるのかも 知れんなあ
神様も 紹興酒をお呑みになるねえ・・・
このニンポーというか 紹興の町 日本人とも いにしえから 繋がっている
此の港より 空海の船と共に8月(旧暦かもしれない)4せき の舟が 日本に向けて出航したが 全て安全航海で帰国が叶った
空海の行きがけの 船は 嵐で 福建省のあたりまで 流されたみたいだから
そこから2000kmも 中国国内を 移動なされた
(一日30km移動しても70日は掛かるだろう)
また行き道の船は 九州の長崎出航になろうか
松浦から7/6に出航され8/10 に福建省の港に漂着しているから
35日間も ほとんど 流されたような船の旅だった
遣唐使で行く様な人たちは 学びたい という欲望でいっぱいだが
しかし命がけ の 旅だったねえ
遍照金剛(へんしょうこんごう)という 名前を 恵果さんから 頂戴した
ナムダイシヘンジョウコンゴウ の 遍照金剛は そこからきている
わしは 仏教を学んでいないので なんで
(なむだいしへんじょうこんごう)
と 唱えるのか 解らずに 拝んでいるが
そういう意味だった
空海は 凄い人だったことは 確かだけれど
空海は 地下に 何が埋まっているかも 見分ける力も備えていました
だから 温泉や金属を 確実に見つけています
なんか、播磨風土記に出てくる ワケの犬のように
鉱山を見つける習性を備えておられました
空海の時代よりも 数百年も前の時代に
ワケの犬の先祖が 鉱山を
兵庫県佐用のあたりの谷で多数発見している
金属を探した ワケの犬 の 子孫 中山太神宮の子孫 バタ屋トーナイ
今日も 金属を集める それしかない
ただし
中国の政策が大きく変化し
浙江省の環境政策も変わってしまった
行き先の国の 習近平というリーダーが
環境対策を強化された
だから 困っている
tonikaku saigono tikarawo hurisibotte hunnbaru
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