さあ、4月だ あらたな月を向え
みなぎるほどの気合で
この月も 石を探し 石をワケル 沸ける
そして溶かして金属を加工する
昨日も畿内 大阪は雨の中、モーターを切った
本日も切りまくる
日に4000kgは斬る 10人なら40t切る
4/1 4時
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㈱トーナイ
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トーナイ VA電線
(以下4㌧車以上単位持込)
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231
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トーナイ 雑線43%
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221
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トーナイ 家電線ヘタ付
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150-170検収後
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トーナイ 自動車ハーネス
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231
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トーナイ 空調配管
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250
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トーナイ 通信線
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40-210
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ガスメーター・基板無し
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70
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電気メーター
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70
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アルミ缶プレス
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131
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アルミビス付プレス
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131
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特上メクラ付雑品下げ
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50
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上-上上雑品・断熱材不可
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20-35
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鉄 ギロB以下
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17
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鉄 ガス材(重量物可)
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10-14
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鉄 炉前H3平均
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24
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304ステン 炉前材
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131
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鉛管
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185
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メクラ
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0
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込銅 銅率98%UP
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540
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ピカ銅
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600
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込真鍮
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350
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4/1 4時
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㈱トーナイ
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円
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111.37
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銅
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5858
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鉛
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2331
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アルミ
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1964
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ニッケル
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10022
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鉄鉱石62%
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87.44
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その他品目は072-678-1112 東内 へ
㈱トーナイ
古代より 1500年も前か2000年以上も前からか
金属を探し 石を分別した 備前 美作 ワケのモノ
播磨風土記では ワケの犬が 現在の兵庫県と
岡山県の県境付近で金属の谷を12箇所だか発見した と書かれています
鐸 タク ヌデシ さなき ぬて ぬりて
鐸比古・鐸比売(ぬでひこ・ぬでひめ)神社
柏原市大県4-6-1
鐸の読み方は「たく」、「かね」もある。
鐸比古命を垂仁天皇の子沼滞別命とする説明から「ぬで」と読んでおく。
この皇子の曾孫弟彦王は神功皇后三韓治政と、その凱旋時、
忍熊王の反逆平定に大功があったとされる。
岡山の和気神社は、この社の御分霊を祀る。
清麿公は12世孫である。の解説は以上である。
和気清麻呂公の 12世代前の先祖は 鐸石別命ヌデシワケの命
どうも 銅鐸文化と関係が深いことが 解る
そうか 大阪府柏原市に ヌデシ彦神社 という社があったか・・・
ワケ神社より
◆和気氏由緒
第11代垂仁天皇の皇子 鐸石別命の曾孫である弟彦王は、
神功皇后に反逆した忍熊王(おしくまおう)を和気関に滅ぼした功により、藤原県を与えられ土着した。
その弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、
その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。
■神宮皇后に反逆した忍熊王(九州)を 滅ぼしたみたいだ(どうも ヤマトタケルの副将であった)
(吉備の者が 熊襲との九州での戦いに参戦していることは 他でも読んだが
熊襲が攻め込んで来たときに 備前か 播磨付近で 熊襲の進行を食い止めた のかも知れない 良くは判らん)
銅鐸文化を中国地方 出雲 吉備から
畿内大阪に持ち込んだのは ヌデシワケだった のではなかったろうか?
■日本書記 岩戸隠れの部分
「故即以石凝姥為冶工採天香山之金以作日矛又全剝真名鹿之皮以作天羽皮吹用此奉造之神是即紀伊國所坐日前神也」
即ち石凝姥を以て冶工(たくみ)として、天香山(あめのかぐやま)の金(かね)を採りて、
日矛を作らしむ。又、
真名鹿の皮を全剥ぎて、
天羽鞴(あめのはぶき(鹿の革で作ったふいご))に作る。
日本書紀にも古事記にも 古代の金属に関わる事や 名前が多数みられます
各地の風土記の中では播磨風土記にワケの犬
ワシの村の 東内 神宿の年寄りが 昔 言うには
トーナイは 伊勢神宮にも入っていると言うんじゃ
ワケが 解らんなあ
★中山太神宮 トーナイ 五ホコ立て の神技 古代から金属に関わるモノ