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1300年前に神様からお告げを受けた藤内の子孫が現代では一時浮浪者になって今 37年目というトーナイブログ

2013-12-26 06:37:15 | 世界経済動向から銅の相場を考える
52010元 上海銅3ヶ月先物 これを 1.00 中国元 (CNY) = 17.1903 日本円 (JPY)→89万4067円
LME銅市場が クリスマス休暇で キリスト教圏がお休み ですので中国の先物を見ると そうなる
銅相場の追っかけをやっております 大阪市此花区(USJ前の北港のバタ屋とうない トーナイ その昔、藤内~東内
大阪港に1650坪の外航船が到着する港で総合的なリサイクル循環型物流処理加工センター 屑商を営むものです
ここの港は 満州鉄道への物資を明治大正時代から 物流させてきた歴史の深い 外航船が出入りする港です
2013年も 大方 2万7000トン+6000トン ほどを 自社もしくは 仲間達で 国内貨物の屑を外国貨物にし
出航させた これは 嘘は書けない この港の輸出実績で 統計がお役所にも残るようになっていますし
貿易統計(輸出)にも反映される 
これが 全部 銅ならば 仮にトン70万円としたら 231億円なのですが
銅が平均的に 10%ほど 含有された 下級金属スクラップなので その10分1程度の金嵩のものである
まあ そういった商売を 日々 繰り返しやっておりまして 結構に2013年も 多忙に過ごさせて戴いた
2013 2月に銅は高値をつけたのですが その先がジリ貧乏相場で苦しんだ年でした
5月だったか バーナンキさんの発言もあって 緩和縮小が何時なのか また 米国の財政の問題もあったりもした
2011年秋から ぱっとしていない 銅相場なの ですのよ 実は そのようです
銅スクラップや鉄くずは 国内の精錬 製鋼所などにも 搬入しますので その都度 相場の高いところへと再生物流をしています
屑とは いえども 人間の屑ではなく 銅の屑は 価値があって 馬鹿にされるようなものでもない クズ物 です
なんか クズ と言えば 卑しい とかのイメージがありますが クズでも 循環型の屑は 地球を循環させる為にも
正義の味方の クズであります
鉱山開発では 山の下のほうの 地下水は多少汚染されますが 循環型資源グルグルでは 大きな負荷は少ない
と ワシは考えておりますので 循環型資源回収は 地球を守るとも 考えておりますが
まあ しかしエエかっこうは 言っても それを回収したり 物流したり いたします 段階では 地球のエネルギーを
消費しつつ 回収業を営む事は 致し方ない 
これは トヨタ自動車が 自動車を生産するにも 地球のエネや地下資源を浪費しつつ
生産 商売 を やっていかれますので 
近代的な生活を維持するには 
地球環境に負荷を それぞれが幾分は掛けながら 経済活動や人々の暮らしが営まれていますので ・・・多少は 仕方がない
トラックで 夜に 大阪の環状線を一周してみました 街はクリスマスで とても 綺麗にたくさんの光を放っていますよね
そやな この光の渦は 夜は 太陽光発電は 発電しないので
 輸入した 原油や石炭火力 ガスなどを燃やして 作ってるのやね~
と その消費量の 多さに 大丈夫なの~ とか 考えるの 
そう 4トン車のトラックの運転席は 目線が高いので 環状線の下の景色がよく 見えるの
原発がとまってしまって ニッポン 大丈夫 なのですかね 
夜間に お昼に貯めた太陽光を備蓄し消費したら 多少はましか・・そやな 蓄電池や
電池のほうに 話題がいきそうなので 止めねばならない ワシの企業秘密にも 関係するわ
そうなの 電池も売買をしてるのよ バタ屋トーナイ(売買のお問い合わせは電話072-678-1112とうない) まあ この話は 書かないでおきましょう
10年ほども 前に ワシは 早くから 蓄電池を海外にもっていっていたので 当時は批判も 受けたが それは 今では 認められるようになってきた
---ちょっと 今朝はのん気なバタ屋トーナイでしょ
そうやねん 今年の 出荷は ほぼ 終了して 昨日は 今年最後の外航船の出航を見送って ほっと一息です
海がいきなり 荒れることがなければ この船 年内には 仲間のリサイクルセンターまで 着く と思う
ライセンスの問題もあって 年内に着いて欲しいです
船を一日 チャーターしたら タクシーを一日待たせるような金額ではないですからね そうでしょ
なので 海の天候なども かなり 日々 気にして過ごしていますの バタ屋トーナイ 銅の相場や為替などもみなければならず
なにやら かにやら と 気になる事は 日々 多くて 精神は強くたくましく 鍛えられますよね
まあ ワシもこの23年ほどは 修行も兼ねて いるのだと 自分で勝手にそう思って 日々を精進するように心掛けています
23年前というたら 34歳ころやね
22歳から11-13年過ぎて 大阪の商売にも 少し慣れた辺りや その時に 大きな借金をして 最初の自分の土地80坪を買った
自宅はまだまだ 借家住まいだった 子供も 小さいのが4人もおって また スタッフなどの子なども うちの家で暮らしたりもしてた
何台分か 借りた高槻市城南3丁目の駐車場(子供達の小学校の玄関前や)で ハンマーとタガネなどで 給湯器を 時間が空けば バラシテおったの
空調機器の パイプも 剥いておった 銅 アルミ 真鍮 ステン 基盤 鉄 などと仕分けするのんや 籠にいれていくの
バラシタ物を それぞれ 仕分けして そして 淀川の橋を渡った 寝屋川市 昔はクニモリの 色物と鉄 両方を扱う 松岡末さんというところなどへ運んでた
夜は 古本屋とリサイクルショップ兼用 名簿情報屋と 便利屋兼業の 店番をやっていましたっけ ビデオなども 店で長女は仕入れたりもさせてた?
任天堂のソフトも仕入れるのんや そして また それって 売るのんや 
任天堂といえば その頃の元気は 今はないね 株価も低迷した まんまや しかしこの一年は かなり戻してきてるの
その頃の 便利屋の仕事の大部分は 年寄りが死んでなくなった後の ゴミの片付けや 汚い仕事やで
しかし それは 儲かる仕事の1つやった
骨董的な価値のあるものも たまには 出土した かも 知れない
猫を 飛行機で送る仕事も あったか そや 清水が天井裏の掃除で 天井に乗って足を踏み外して 天井に大きな穴を開けて注文主に どやされた か
引越しの代行もよくやっていたわ 看板の製作もやらされた 人生相談 お喋りする仕事もあるの 時間を売るわけ お喋りしてね
そうですんねん ワシ器用なのよ
引き受けたら その注文先の為に 一所懸命考えて 仕事してあげるのや
そうしたら また 必ず 仕事は 何時か帰ってきますのん
客様を 喜ばせてあげれば エエのじゃ
まあ このような考えで 今日も やりますで
来年も そうする ワシの命の炎が燃え尽きるまでは 頑張るしかない
そないしたら 廻りがかってに 仕事を運んできてくれる はずや
今 35年前の浮浪者状態から この大阪に流れ着いてきてから 多分 13000日近くになってきてるんや
まあ 何時までも 最後まで バタ屋のとうない で 行き着くところまでは 行く予定
頑張っているのじゃけれどもな なかなか この2013年は 成績が振るわなかった しかし まあ なんとか凌いできている
所帯も 70人前後の 連中のおさをやっておるので 責任も感じながら 過ごしてる感じやな
今年の成績は悪いが しかしな 今年は 5名ほどの30歳以下の人が 増えてさ 少し 平均年齢もバタ屋とうない組 下がってきたんじゃ
これは エエ事やで その子達にも とうない 思想を植えつけたいとおもうてるの 
そのこたちは 全員 日本で育った系ですな 
中華系に それを教えても すぐに独立して 客までとられてしまうからね ほんまにそうなのよ
 
あ そやそや くず鉄の国内価格が 少し 昨夜下がってきましたよ
製品の値上げに成功したことも 影響しておるのかも 知れないですね
貯めてた 鉄くずは この2週間で かなり 売ったんですよ ワシ 日々 ユンボに乗って 鉄を最近 切り刻んでおるのんや
これが ストレスの解消に とても 良いんじゃ 相場で負けた日なども ユンボに乗っていたら それって忘れている訳でな 精神衛生上もよいの
ほんで そのくず鉄置き場の横にステンレス荷物下ろす置き場があって ステンレスも入荷したら また そのユンボの手を伸ばして 切るの 握リ潰す場合もあるんや
304というステンクズに仕上げてるんや 
1月から 工事してた サブヤードがけっこうに 役に立ってる 壁も7mの高さに作ったんやな 長いこと工事に手間が掛かった 3ヶ月はやった
今年も けっこう 自分で工事して 各リサイクルセンタ 設備は改善してきてるの
最後の 土間打つ工事は プロに一部は頼んだが ほぼ自分っち でやった 元型枠工事暦30年の 柴田が けっこうに 役にたった 
通り が出せるので 助かる
昨日も 舟を積みながら 工事も 此の花営業所でも させてたの 壁の図面は ワシの頭の中なので それを柴田に 口頭で現場で 伝えて工作してるん
材料は ほぼ 廃材や Kg30円ほどで 仕入れたものが多いの 新品を仕入れたら たいていはkg110円前後 小口の配達では そんなにもするのんや
ペンキか それはコーナンで買えば 2万もするので ある秘密の仕入先で 仕入れてる そこは3分の一で塗料が仕入られるの プロの仕入れるところや
 
 
↑ トーナイの 日々更新の会社HP のリンクです
 
おしゃべり 時間切れ バタ屋トーナイの始祖の宣伝を以下 でしているので
ご興味ならば 御読み下さい
そうですねん ワシの始祖は ワシは 今ではくず屋さんですが 1300年も前に
神から お告げを受けたものなの ほんまなの・・・ ↓
 
■『陰陽五行と日本の民俗』からのなかで,『鉄山秘書要約』を次のように解析している。
 
  「七月は申(サル)月であるから, 金屋子神は申月申刻に天降りされた。申は金気の始め, また七日の七も七赤金気で, 金気の象徴。次ぎに西方に向かって白鷺に乗って行かれたというが, 西・白・鳥はいずれも金気である。このように時間・空間・色彩・十二支において,金気ずくめの金屋子神は,「土生金」の理で,土が二つも重なっている桂の木に止まり,最上の呪物土気である死体,それも生類の霊長としての人間の死骸を最も好まれる。それらすべて一部の隙もない五行の理の応用であり,反映であって,昔の日本人が如何に五行の呪術に凝っていたか,歴然たるものがある。同時に裏を返せば,そこに見られるのは自らの仕事に対するあふれるばかりの忠誠心であって,後代の私どもは深く感動させられるのである。」
 このことからも,
楢原邑に始めて「中山大神」として示現した神は,午(ウマ)の最盛期を選んで出現したことから,この神が「火」を中心とした神格と認識されたとして間違いないであろう。②一体どのような火であるか,火の種類については今のところ明確ではない。
しかし, この神が
東内(藤内)の矛殿・五座の鉾石など鉾を属性としていることからも,鉾などの武器製造に不可欠な金属溶鉱・鍛治の火()を象徴していた可能性は高いと考えられる。
 
 
    東内(藤内の祖)に神が示現したのが慶雲三年,丙午の年の五月上旬(二の午の日)とある。二の午の日がわたしには解らない。当時は月を上・中・下旬とせず,上・下旬に二分していたものなら「二番目の午日」はおさまる。しかし,旬を原則どおり十日単位とした場合には,十二支を一巡とする午日が二度現れるはずがないのだが。この点については,是非どなたかにご教示をお願いしたい。
  とにかく,この年の干支(カンシ)は丙午であって, 日時ははっきりしないが,日の方は干支の干が不明なるも支は明確に「第二の午日」と言う。ちなみに,旧暦の五月は夏の盛りの「午」月でもある。すると, この神は午の年・午の月・午の日に,白馬()に乗って現われたことになる。ここまで午が揃うと, 出現時間も当然「午の刻」の可能性も高いのではないか。午の刻は真昼-正午である。こういった干支にぴったり合わせた示現伝承や,五座の鉾石伝承からも,「陰陽五行思想」の濃密な土壌のなかから,この神が誕生したことは間違いない。
  鉾石は五個あったと考えられ,鉾の大小は置くとして中央と東西南北の四方に,鉾が立てられたものであろう
 
 
■和銅(日本の時代)
和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。
·                                 和銅8年9月、霊亀に改元。
続日本紀 卷四には、武蔵国 秩父郡(現在の埼玉県 秩父市黒谷)から、
和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められたと記されている。
和銅期
和銅元年2月 - 平城の地に新都造営のがでる。10月、伊勢神宮平城宮造営を告げる。
·                                 和銅3年3月 - 藤原京から平城京に遷都。藤原氏、興福寺の造営を発願する。
·                                 和銅4年10月 - 蓄銭叙位令を定める。
·                                 和銅5年1月 - 太安万侶により古事記 完成、撰上。
·                                 和銅5年9月28日 - 出羽国を建てる。
·                                 和銅6年4月3日 - 丹後国 美作国・大隅国を建てる。
 
☆官稲混合による正税とは 年貢というか 稲穂を集める役目 駅起稲 神税 西暦700年過ぎの頃

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