
先日、奥河内の奥村さんの棚田をガイドボランティアの皆さんで見学に行ったので、田んぼの世話について詳しく聞きたかったので訪問した。

奥村さん宅は河内川のほとりにあり大きな屋敷を構えられていた。「あの棚田は奥村さんが開墾したのですか」、と訪ねると親父の代に手放す人から購入して米作りをしてきたということだ。
大きな田圃はないけど全部で5俵ぐらいの米が取れた。棚田なので水の管理や田植えの時、収穫の時が大変でした。大きな機械も入らないので、運搬車を買って苗や収穫した稲を運んだ。石垣は先代の人が明治の初めごろ作ったようだ。そのあと、傷んだりすると自分たちで補修した。

(写真は広報とば提供 平成16年撮影)
しかし、この10年ぐらいは猿やシカが来て田圃をあらすので、米作りは平成13年にやめた。ほったらかしではいけないので草刈りはしているが、今はシカが来て畔の草を食べていくので何とかきれいになっている。
「石垣は白い石が多いのですが、どこから運んだかわかりませんか」と聞いたが、「そのあたりは私らではわからん」「ただ石垣を積む上手な人がいた。橋井さんという人で、河内の石垣はこの人がたくさん積んだ話を聞いている。」「河内ダムの工事をする時でも、三重県の土木関係者が来て、道筋の大きな石をのけろといわれたが、わしが積んだやつで崩れるのはない。もし、この金てこで動かせるものなら動かしてみろ。」といって石を崩すのをやめさせた。
「河内の山にはマンガン鉱や燐鉱がたくさんあった。後ろの山の谷筋には2つ3つあった。五木ひろしの父さんは工夫を連れて採掘に来た。私らも手伝いにでてトロッコを押したことがある。」「マンガンやリンは八幡製鉄の方へ運んだと聞いている。」

「私たちが調べたところでは河内にはたくさんの白いチャートの石があります。これは大昔、太平洋の海底で放散虫の遺骸が堆積してできたものがプレートに乗って運ばれてきてこの辺りの山々に上がってきた。浦神社の金頭山や青峰山の灯明岩もその仲間です。」と紹介する。「石灰岩もよく出た。」といわれたので「それは、プランクトンの遺骸が固まってできたものです。」と紹介する。とにかく河内の山々にはチャートや石灰岩、そしてマンガン、リンなどの鉱物もたくさん取れたようです。

「うちらの畑はリン酸が多いので石灰を入れないとホウレンソウなどは育たない。」と教えてくれた。裏の畑は丁寧に耕され、野菜がたくさんつくられていた。しかし、この頃は猿にやられて大変だ。」といっておられた。とにかく、奥村さんは代々受け継がれた棚田を丁寧に守り、荒らさないようにしいる苦労には頭が下がる思いであった。帰り際畑でつくられた分葱をいただいた。


奥村さんの屋敷の周りも白いチャートの石で石垣が堅牢に積み上げられていた。

奥村さん宅は河内川のほとりにあり大きな屋敷を構えられていた。「あの棚田は奥村さんが開墾したのですか」、と訪ねると親父の代に手放す人から購入して米作りをしてきたということだ。
大きな田圃はないけど全部で5俵ぐらいの米が取れた。棚田なので水の管理や田植えの時、収穫の時が大変でした。大きな機械も入らないので、運搬車を買って苗や収穫した稲を運んだ。石垣は先代の人が明治の初めごろ作ったようだ。そのあと、傷んだりすると自分たちで補修した。

(写真は広報とば提供 平成16年撮影)
しかし、この10年ぐらいは猿やシカが来て田圃をあらすので、米作りは平成13年にやめた。ほったらかしではいけないので草刈りはしているが、今はシカが来て畔の草を食べていくので何とかきれいになっている。
「石垣は白い石が多いのですが、どこから運んだかわかりませんか」と聞いたが、「そのあたりは私らではわからん」「ただ石垣を積む上手な人がいた。橋井さんという人で、河内の石垣はこの人がたくさん積んだ話を聞いている。」「河内ダムの工事をする時でも、三重県の土木関係者が来て、道筋の大きな石をのけろといわれたが、わしが積んだやつで崩れるのはない。もし、この金てこで動かせるものなら動かしてみろ。」といって石を崩すのをやめさせた。
「河内の山にはマンガン鉱や燐鉱がたくさんあった。後ろの山の谷筋には2つ3つあった。五木ひろしの父さんは工夫を連れて採掘に来た。私らも手伝いにでてトロッコを押したことがある。」「マンガンやリンは八幡製鉄の方へ運んだと聞いている。」

「私たちが調べたところでは河内にはたくさんの白いチャートの石があります。これは大昔、太平洋の海底で放散虫の遺骸が堆積してできたものがプレートに乗って運ばれてきてこの辺りの山々に上がってきた。浦神社の金頭山や青峰山の灯明岩もその仲間です。」と紹介する。「石灰岩もよく出た。」といわれたので「それは、プランクトンの遺骸が固まってできたものです。」と紹介する。とにかく河内の山々にはチャートや石灰岩、そしてマンガン、リンなどの鉱物もたくさん取れたようです。

「うちらの畑はリン酸が多いので石灰を入れないとホウレンソウなどは育たない。」と教えてくれた。裏の畑は丁寧に耕され、野菜がたくさんつくられていた。しかし、この頃は猿にやられて大変だ。」といっておられた。とにかく、奥村さんは代々受け継がれた棚田を丁寧に守り、荒らさないようにしいる苦労には頭が下がる思いであった。帰り際畑でつくられた分葱をいただいた。


奥村さんの屋敷の周りも白いチャートの石で石垣が堅牢に積み上げられていた。
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