じゅなの独り言

織田裕二君のドラマ(特に公僕物)が大好物な一地方公務員です。日頃考えていることをつらつらと綴っています。

自分にできることを

2011-05-03 23:52:07 | 社会
思うところあって、眠らせていたこちらのブログを
再び起こすことにしました。
小心者だからまたすぐ地下に潜ってしまうかも
知れませんけれど。
とりあえずできそうなことからやってみようかなと。
原発について、私の思うところを書いています。

5月2日の毎日新聞の記事、
スリーマイル島原発事故(’79)以前からもう
「40年近く原発建設に警鐘を鳴らし続けてきた鎌田慧さん」への
インタビューを拝読して深く反省するところがありました。

原発のことについて。
私は、少なくともチェルノブイリの事故以降は
関心を持ってきたはずでした。
下請け、孫請けの人たちが
日常的に被曝の危険にさらされていることも
読んだ記憶があったのに、
そこに追い込まれた人たちの存在をほとんど忘れていて
真剣に怒って行動することもほとんどなかったし、
太陽光発電を自宅で行うような、
「消極的な抵抗」もしてきませんでした。
せいぜいどこかで愚痴るくらいで。

家を建てる時に一応調べたのだけれど、
予算的、条件的にできなくて…というのも言い訳ですよね。
そこで立ち止まって白紙に戻す勇気とパワーを
自分は持てなかった。

「大事故を防げなかった」「対決の思想と行動が弱かった」と
あの「鎌田慧」さんがおっしゃっている。
自分なんてもっと何にもやってないよ…。

同じぶつぶつ文句を言うのなら
ちゃんと人が聞いているところで、
少しでも自分の思いを分かってもらえるように努力しながら
主張すべきなんじゃないかと思ったのです。

「どんな技術にも危険はつきもの」なのかも知れません。
ただ、原発の存在に伴う危険の大きさは。
何かと引き替えにするにはあまりに大きすぎると思うのです。

今回の事故での被害の大きさこそ未曾有のもので、
10年、20年、それよりもっと長い間、
影響が出続ける可能性があります。
現在既に出ている多大な犠牲と今後考え得るリスクをしっかり見据えて
これからの「電気」の「作り方」「使い方」を考えていかなければ。
そうしないと現在被災している方々を守りきることも
できないように思います。

そもそも「電気」をたくさんたくさん使い続けないと
私たちの国は、住んでいる人を幸せにできないんだろうか?

停電なんて、私は多分三〇年くらいは経験してないんだけれど、
本当に電気は足りないんだろうか?

今、原発を稼働させるために眠らせている水力や火力などの発電所を
フル稼働させても?
温暖化も防がなきゃならないけど、
放射能汚染よりはそれこそ、まだましだと思います。

企業や個人がさまざまに節電の工夫をしても?
あるいは自分に必要な電気は自分で、あるいは自分の町や
工場で作るようにしても?

それでも、今せっかく止まっている点検中だの修理中だのの
原発を再稼働させなきゃならないんだろうか?

そしてこれからも、大規模な発電所が必要なんだろうか?
必要な分だけ、必要な所で、様々な方法で
使い方をチェックしながら
作ったり使ったりするという方法でしのげないの?

これだけの犠牲を出してもまだ「仕方がない」の?
「仕方がない」と言い切る前に、
考えられる可能性をすべて探ったと言えるの?


去年の夏出会った本の中に興味深い一節がありました。
「地球を救う新世紀農業」という本です。
その中で、マンフレッド・マックス=ニーフ(チリ)という
経済学者の言葉が紹介されていました。それによると、
「人の欲望には限りがある」
「人間にとって必要な欲望は、
 生存・保護・愛情・理解・参加・閑暇・創造・アイデンティティ・自由
 と九つで、おまけに、それはどの文化でも同じだし、
 歴史的にも変わらない。」
「文化や時代で変わるのはこうしたニーズを満たす手段だけ」
なのだそうです。

だから、これらが比較的保障されている国であれば、
たとえGNP(国民総生産)が低くても、「国民の幸福度」は
高くなるのだなあと、読んで深く腑に落ちるものがありました。

今の日本には「生存・保護」すら危うい状況の同胞がたくさん居て、
いずれ必ず起こると言われている今後の地震に対する備えも、
とても万全とは言えない。
今、苦しい立場にある方々も、これから大人になる子ども達にも
安心して「生きていける・護られてる」と
思えるような国にするために、私たちは「仕方がない」なんて
諦めてはいけないのだと思います。
「思考停止」しちゃいけないと。

原発に賛成の方の理性的、実証的なご意見にも耳を傾けながら、
よりよい方向を探りたいし、そのために必要な行動を
少しでも取っていきたいと思います。