アサの四方山話

長靴の国イタリアから、トレンティーノ斯く斯く然々、、、

8月の33人のトレント人

2006-08-31 01:52:29 | Trentinoトレンティーノ
8月に入り随分気温の低い日が続いて、いったい暑さがもどるのかしら、と不安に思っているうちに、残すところ1日になった。

今日のローカルニュースでは、ブオンコンシリオ城のロマニーノ展が予想以上の入場数で満足な結果だそうだ。これはもちろん人々のロマニーノに対する関心が増えたこともあるが、8月の悪天候続きのおかげで、山岳地方にやってきた観光客が予定を変更し、町の散策めぐりをした影響も多いにある、とのこと。

実際前半はほとんど毎日雨降りか曇りの日が続いた。そういえばボルツァーノでは、5千年以上前の人間のミイラ『アイスマン』が展示されている、考古学博物館 の入場口前に長い行列ができるほどだった。

後半少し天気も快復したが、結局涼しさはそのままである。

ここ数日はもうスプマンテのための葡萄の収穫がはじまっているらしい。
今年は良質で良いワインも期待できそうだが、そのために今しばらくの日照が必要だということだ。そうこうしているうちに、短い『秋』がやってきている。

8月のTrentatréTrentini33人のトレント人をリンクしておきます。

8月8日 Cavalese カヴァレーゼ
8月8日 Strudel di mele 林檎のストゥルーデル
8月10日 Tosella トゼラ
8月22日 La Danza Macabra ダンザ・マカブラ(死の舞踏)
8月23日 Nardis ナルディスの滝
8月24日 Lago di Tovel トヴェル湖
8月30日 Brentaドロミティ・ブレンタ




Caro Diario ‐『親愛なる日記』

2006-08-28 15:45:42 | 映画
食わず嫌いの性格なので、実はこれを貸してくれた友人には内緒だが、ナンニ・モレッティの映画、話題になっても今まで観た事がなかったのだ。
94年のカンヌ映画際で最優秀監督賞を受賞しているらしい。

それにしてもイタリア人ってホント不思議な人種だと思う。ここに登場している不思議なキャラクターのイタリア人たちって、別に映画用にわざと設定してあるわけではなく、実際にどこにでもいるイタリア人のひとりひとりだと思ってしまう。

住み始めのころは、この不思議なキャラクターがうっとうしかったけれど、最近もう慣れてきて、呆れずに付き合えるようになった。

3部作のエピソードに分れているその最後の『医者』のエピソードは、1年間にわたる、異なる医師の、異なる誤診によってだされる、異なる処方箋によって症状がどんどん悪化する様子がコミカルに描かれているが、いたって真面目な話しだ。

最後のナレーションで、『医者は話すことに長けているけれど、人の話には耳をかさない』と言っているが、これは医者に限らず『イタリア人』(この場合はトレンティーノでなく)に共通するキャラクターで、かなり的をえていると思う。

彼等も自分達のことを自己批判しているのか、と少し安心したのと、(だから変わるわけではないだろうが)食わず嫌いはよくないと自己反省した映画。

ペペロンチーニのヴィネガー漬け

2006-08-25 22:29:35 | 
《材料》
生ペペロンチーニ1キロ(この場合のペペロンチーニはタバコの形、あるいはヴェネト産という種類、いわゆるペペロンチーニ=唐辛子ほど辛くない。)
ワインヴィネガー、バジリコの葉、ニンニク

《作り方》
1) 緑色のペペロンチーニと赤色のペペロンチーニを混合して選び、よく洗い、トレーに広げて半日かそれ以上日に当てて乾燥させる。または風通しのよい部屋で1日と一晩寝かせて乾燥させる。
2) ガラス瓶にペペロンチーニを色よく詰めてひたひたになるまでワインヴィネガーをいれ、固く蓋を閉めて少なくとも1月置く。
3) ワインヴィネガーを新しく入れ換え、バジリコの葉、数片のニンニクを加えて、再び蓋を固くしめ、少なくとも2ヶ月置く。

つまり今これを準備しておくと、ちょうどクリスマス前の友人たちを食事に招待する機会が増える時期、ちょっと前菜として食べられるわけだ。そういうわけで、グレッグが1キロ買って帰ってきた。そして、日に当ててビン詰めにするのを、よろしくだって。

今年は例年になくこのペペロン‐チーニを食べている。辛いペペロンチーニでなく、甘い緑色のもの、日本のピーマンといった感じ(少し外観が違いますが)でもより柔らかくて甘味があり、消化も悪くない。

ちなみに、こちらでピーマンと訳される野菜は、日本で売っている‘パプリカ’をさらに大きく成長させたような巨大な固い肉厚のもの。これはバーベキューにはいいけれど、生でも細かくして火を通しても、なかなか消化できないのと、巨大すぎて、ペペロナ‐タ以外には使い切れないので、実はなかなか調理しない野菜のひとつ。

Bassano del Grappa(2) バッサーノ・デル・グラッパ

2006-08-24 23:45:58 | 小旅行
ヴェネト州ヴィチェンツァ県

そうそうこの日はバッサーノ・デル・グラッパに立ち寄り、その後アジアゴ経由、ラヴァローネ、トレントと山道を一周したのでした。

雨降りの続いた、涼しい夏休み中で、家に篭ること数日。それもいささか厭きて小雨の降る午前中出かけると、ヴァルスガナ渓谷を抜けるころから次第に晴れてきたのでした。

*写真は以前撮影したもの、ポンテ・ヴェッキオの写真がでてきたので。均整のとれた美しい木造の橋です。

Asiago アジアゴ

2006-08-22 23:55:41 | 小旅行
ヴェネト州ヴィチェンツァ県

私はアジアゴというとすぐチーズを思い浮かべるが、トレンティーノを含む国境に近い北イタリアの人々にとっては、第一次大戦(1915年から1918年)の前線となった忘れがたい高原のコムーネだろう。

中心地から徒歩でまもなく、戦没者の位牌が5万体以上葬られている大戦記念堂が建ち、遺品や、兵器、記録書類、写真なども展示されている。

その中に後に発見された戦没する10日前に書かれたという、家族あての手紙が展示されていて、それは両親にあてたお礼の手紙といった内容なのだが、淡々と書かれているゆえにドラマチックで、どんな小説よりこの短い手紙が心を打つほどだ。

人間と兵器の配置表記された、しかも手書き(だと思う)の、戦略プラン(17年から18年)もあり、それがまるでエクセルの表計算を手書きで書いたように几帳面で綿密な、計画性のあることに驚いてしまう。(戦略だから当然か)

調査によると、戦没者と負傷者の数はほぼイタリアとオーストリアが似通っている。ところが行方不明者の数が圧倒的に多いのがイタリア。重い鉄の武器を持ち、どのくらいの人間が戦地まで移動できたのかも想像が出来にくいほど、山の奥深いところが前線だったようだ。

ナポレオン時代の終焉とともに1918年まではオーストリア領だったトレンティーノは、敗戦によってイタリアの一部となる。

ところで、この地域で生産されるチーズ『アジアゴDOP』は若いチーズと熟成の二種類がある。いずれもこくがあって美味しい、お気に入りのチーズのひとつである。途中広い高原が続いていて、牛が放牧されている。これが皆チーズを生産しているって風のゆったり太った雌牛たちで、その数の牛が食べるのに困らないくらいの、広い青い高原が続いている。