カメ爺の雑記録

その時、その時思いついた事を書いて行きます。

闘病日誌(10月7日から10月18日)

2005年10月18日 08時55分04秒 | Weblog
ご無沙汰しました。

10月18日(入院以来43日目)
6日夜あたりから極端に体力が無くなり、それに11日から放射線の照射治療が始まり、それによる副作用で、発熱、吐き気、痛みで完全にダウンしブログの更新ど頃ではない状態が、今でも続いています。
皆さんに私が生きているのか、死んでいるのか知って貰うためにも更新は必要と感じたので、気分の良いときにすこしづづじょう更新していきます。

10月15日(40日目)
放射線治療の第1週目、今日が最後で、明日たはお休み。第2週目は17日から。
さて、2週目はどうなる事やら、興味津々である。

10月14日(39日目)
薬が当たり午後から大分楽になる。この位の体調がずっと続いてくれれば何とか放射線治療は乗り切れると思うのだが?

10月13日(38日目)
昨日からの症状が依然続いているいる。


10月12日(37日目)
中・高同級生、小野デコちゃんがブログを見て、同じく同級生三枝夫妻に連絡、急遽三枝夫妻の、見舞いを頂く。以前にも書いたが、同級生、真の友人は損得抜きで付き合ってくれて、本当に有り難い限りです。この連中とは、もし良くなったらこちらも無心になり、付き合う様に、改めて肝に銘じました。
夜になり、病状一点。発熱、吐き気、腹部ムカつきと一時に襲われ、70年の人生で初めて、治療を止めて貰いたい、死んだ方が楽になるんじゃー無いかと思いましたが、「戦地にいる兵隊さんの事を考え」(この言葉は我々世代が最も弱い言葉のひとつです。)、思い直して、頑張って治療すること無い腹を決めました。

10月11日(36日目)
いよいよ待望の放射線治療開始の日。まず、CCPTと言う抗癌剤を2時間点滴し、続いて5FUと言う同じく抗癌剤を点滴開始と同時に放射が行はれました。
この5FUは1日24時間、4日間点滴します。
照射自体は、最後の位置微調整に5分位、照射は1~2分でした。
夜になっても、副作用の影響も出ず、この分だと楽に行く感じがしました。

10月10日(35日目)
小沢ご夫妻と大塚さん、見舞いに来られる。暫く話し込んでいる内に、大分3人の元気を貰った気がして、友達とは有り難い者だと思った。
夜、明日の準備のため、利尿剤を点滴したが、夜中30分~1時間おきに大量に排尿しなければならず、苦しかった。

10月9日(34日目)
今日は終日7度台の熱で調子もマアマア。
放射線治療は、現在の熱に関係なく、予定通り実施との最終通達あり。
康子と裕美子来訪。

10月8日(33日目)
夜8.8度の熱が出る。夜中汗のため、何回も下着を替える

10月7日(32日目)
夜に入るとこの4~5日微熱が出て、体調悪し。
鈴木先生、佳奈先生今日も来訪頂く。何時も忙しい中、時間を遣り繰りして、お見舞いに申し訳なく思っています。