カメ爺の雑記録

その時、その時思いついた事を書いて行きます。

我が人生の回顧

2005年06月22日 14時26分47秒 | Weblog
硝煙の匂いが強まった昭和最後の1桁の年に生れ、初等教育では、国防意識を習い、5年生の時には幼いながらに終戦による価値観のコペルニクス的転換を経験し、中等教育に於いては、人類皆平等との民主主義なる物を教わるが、これも米国内に於ける黒人騒動や極東軍事裁判・講和条約締結を見聞する事によって、所謂民主主義なる物が欺瞞である事を体験し、高等教育の際にはマルクス・レーニン主義の洗礼を受け、世間に出るや戦後経済復興の2番手の担い手として、先輩諸氏が撒いた種を育て、経済活動最前線でプラザ合意による国際経済の変動、貿易摩擦の嵐、石油ショックを何回も経験し、その都度、未だ若干残っていた戦時教育の残り滓である負けじ魂、国家・組織への忠誠心により克服し、経済成長の尖兵として頑張り、壮年期においてはバブル経済の火付け役、定年を向かえる少し前にはそれぞれの組織での其れなりの責任ある立場の者として、バブル経済なるものの後始末に従事して現役を退いた。

日本国民の内、国民学校に入学し、国民学校児童として6年間勉学して、昭和22年に国民学校の名の元に初等教育を終了した唯一・無比の世代としては、今更ながら時代に翻弄された我等が世代の経歴に驚きを禁じえない。
(昭和16年4月、今までの尋常小学校の名称が国民学校に変わり、22年4月よりは戦後の教育改革により、国民学校は現在の小学校に名称変更された。 即、16年4月入学、22年3月卒業の我々世代だけが、国民学校に入学し、国民学校で卒業した。)

他方、近年「40・50は洟垂れ小僧、60・70働き盛り、80・90華の人生真っ盛り」と言われる時代に成って、これからの第2の青春時代をどの様に向かえるか、目下思案の最中である。