名古屋で開かれた日本労務学会の全国大会に出席してきた。同学会は主として大学の研究者が主な構成員であるが、一定の条件のもと、一般社会人も会員となることができる。私も正会員にしてもらって初めての参加であった。
業務の都合で、プログラム全体の半分ほどしか聞くことができなかったが、いろいろな示唆と刺激を受けることができた。
米国のジェームス・マジソン大学のギャラガー教授の報告では、米国においても労働者の高齢化が進んでおり、2010年までに55歳から64歳までの労働人口が50%増えるのに対し、35歳から44歳までは10%の減少になる事を捉え、引退する人と仕事との橋渡しに関する政策がとられていることが紹介されていた。その政策内容は、短時間労働や、仕事の転換、雇用形態の変更であったり、確定拠出型の企業年金の問題であったりと、日本と共通する施策も多く見られるようである。
米国には日本と違い「定年」という概念がないから、より自立(自律)的に自分の職業人生を考えなければならないという事情があるが、日本においても今後高齢者の雇用と活用については、さらに重大な問題となりことは明らかである。
また、特に最近は社会人として会社勤めをしながら大学院に入って研究をする人も多く、自らの体験と実務に関連したテーマで発表されている方も複数見かけた。
かくいう私も、2年前までは大学院(博士課程前期課程)に身をおき、一応研究の真似事のようなことをさせてもらう機会があった。同じような境遇の方を見ていると、これからも自分なりに研究を続けられるのではないかと思えてくる。
映画のせりふではないが、労務管理は人々が働く現場でおきているのであって、研究室で考案された法則に従って、ことが運んでいるわけではない。
しかしながら、人が社会を形成したときから発生した労働という問題は、労働者の保護に関する考え方や、反対に企業が人材を活用する手法など、一定の理屈・法則のもとにとり行われていることも事実である。現代社会においては、自社の都合のみで人に対するマネジメントを行うことは、ある意味不可能になっている。
「実践なき理論は空虚である。理論なき実践は無謀である。」―最近仕入れた言葉であるが、一人納得している今日この頃である。
業務の都合で、プログラム全体の半分ほどしか聞くことができなかったが、いろいろな示唆と刺激を受けることができた。
米国のジェームス・マジソン大学のギャラガー教授の報告では、米国においても労働者の高齢化が進んでおり、2010年までに55歳から64歳までの労働人口が50%増えるのに対し、35歳から44歳までは10%の減少になる事を捉え、引退する人と仕事との橋渡しに関する政策がとられていることが紹介されていた。その政策内容は、短時間労働や、仕事の転換、雇用形態の変更であったり、確定拠出型の企業年金の問題であったりと、日本と共通する施策も多く見られるようである。
米国には日本と違い「定年」という概念がないから、より自立(自律)的に自分の職業人生を考えなければならないという事情があるが、日本においても今後高齢者の雇用と活用については、さらに重大な問題となりことは明らかである。
また、特に最近は社会人として会社勤めをしながら大学院に入って研究をする人も多く、自らの体験と実務に関連したテーマで発表されている方も複数見かけた。
かくいう私も、2年前までは大学院(博士課程前期課程)に身をおき、一応研究の真似事のようなことをさせてもらう機会があった。同じような境遇の方を見ていると、これからも自分なりに研究を続けられるのではないかと思えてくる。
映画のせりふではないが、労務管理は人々が働く現場でおきているのであって、研究室で考案された法則に従って、ことが運んでいるわけではない。
しかしながら、人が社会を形成したときから発生した労働という問題は、労働者の保護に関する考え方や、反対に企業が人材を活用する手法など、一定の理屈・法則のもとにとり行われていることも事実である。現代社会においては、自社の都合のみで人に対するマネジメントを行うことは、ある意味不可能になっている。
「実践なき理論は空虚である。理論なき実践は無謀である。」―最近仕入れた言葉であるが、一人納得している今日この頃である。